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92: 闇夜の鮟鱇★ 2011/09/30(金)10:41 ID:???0 AAS
●●●東歌の起源について●●●(2/3)
東歌の次のテーマとして、今度は防人の歌が取り上げられていますが
実は、その防人の大半も東国の出身で、その歌は東国を立ってから、
難波の港を出るまでに作られたものだという話が出ていました。
とすると、そうした防人の歌が作られたのは、
短歌を作る習慣が東国に根付いた後の時代、つまり、
例の東歌が作られた後の時代と考えないと辻褄が合いませんよね。
その意味では、両者の時間的な前後関係が気になりますが、
実は、その防人の歌を採録したのが大伴家持なんだそうです。
彼は万葉集の中でも最後尾にあたる第四期の歌人ですから、
防人の歌にしても、万葉集の中では最も新しい部類に属すると見れば、
その点でも、矛盾が生じることはないように思います。
防人の歌(万葉集を読む)
外部リンク[html]:manyo.hix05.com
つまり、東歌が採録された後、東国にも次第に和歌が定着する中で、
東国出身の防人には、和歌の心得のある者がいたということになりますね。
その防人には、インテリが多いという話も出ていましたが、
当然ながら、和歌を作る素養があるとなれば、作者の多くは、
防人の中でも、将校クラスの人物ということになるんでしょうね。
ところで、東歌ではひとつ疑問が出されていましたね。
竹取翁と万葉集のお勉強
外部リンク:blog.goo.ne.jp
筑波祢尓(つくばねに)
由伎可母布良留(ゆきかもふらる)
伊奈乎可母(いなをかも)
加奈思吉兒呂我(かなしきころが)
尓努保佐流可母(にのほさるかも)
(筑波山に雪が積もったのかなあ。いや、そうではなくて、
いとしいあの子が、沢山の布を干したのかなあ。)
その場合、これは実景として『雪』を見ているのだという説と、
『干した布』を見ているのだという説と、二説が対立しているそうです。
その意味では『かも』が両方に付いているのがポイントかもしれません。
ですから、どっちが実景でどっちが譬喩か区別がつかなくなる分けですね。
でも、更に良く見ると、雪につく『かも』に関しては、
『雪ではないかもしれない』としか解釈のしようがありませんが、
布につく『かも』に関しては、布自体ではなくて、
布を干している人にかかる、と見る手がありますよね。
つまり『布ではないかもしれない』と解釈する代りに、
『実際に白い布が干してあるが、それを干したのは、
いとしいあの子ではないかもしれない』とする分けですね。
そういう風に解釈すれば、この歌はやはり雪が幻想で、
布が実景とみる方が自然ということになりますが……
これは、ちょっと無理なこじつけでしたかね!?(^^;)
それから、少し前になりますが、熊野に関する歌で、
例の柿本人麻呂が作った歌が紹介されていましたね。
三熊野之(みくまのの)
浦乃濱木綿(うらのはまゆふ)
百重成(ももへなす)
心者雖念(こころはおもへど)
直不相鴨(ただにあはぬかも)
(み熊野の海岸に咲く浜木綿が百重をなして咲くように、
私の心も幾重にも重ねて、あなたのことを思っているのに、
どうしても、直接あなたに逢えないのはつらいことです。)
>>90 では『柿本の人麻呂の恋の相手は、農民でなく貴族だろう』
と書きましたが、この歌の内容からしても、
こうして簡単に逢えない相手というのは、
やはり、貴族以外にはありえないでしょうね。
で、更にその周辺でデータを漁る内に、
人麻呂刑死説というのを発見しました。
柿本人麻呂:熊野の歌
外部リンク[html]:www.mikumano.net
万葉集の中では、彼の死去が『死』と表現されているので、
江戸時代の学者は、彼の身分を六位以下と考えたそうですね。
というのも、三位以上の死は『薨』、四位と五位の死は『卒』
と表現するのが、当時の習わしだったからです。
ところが、様々な証拠からすると、彼の身分は決して、
そんなに低くはないはずだ、と考えたのが梅原猛氏で、
その結果、彼は人麻呂の死を刑死とする説を唱えたそうです。
刑死の場合、身分に関わらず『死』と表現されるからですね。
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