[過去ログ] 【初】ソープ初出撃.初心者のスレ Part55【泡】 (1001レス)
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782: 2014/08/17(日)12:14 ID:nbLFwqQW0(1/3) AAS
ヒマなので、一連の読み下し文(創価学会のホムペのコピペと思われ)読んでみた。
日蓮て、さほど知能も高くないし、ちょっと世間知らずだったんだねえ。ズレかた、ヒネかたが独特だけど。
現代に生まれてたら、隠れヲタク程度にしかなれなかったと思う。
投下している当の創価の連中は、これらをちゃんと読んだことはあるんだろうか。大先生の託宣しか見てない?
783: 2014/08/17(日)12:40 ID:11gSmyeC0(12/17) AAS
For example, James Beattie (1788) remarks that Languages, therefore, resemble men in this respect, that, though each has peculiarities,
whereby it is distinguished from every other, yet all have certain qualities in common. The peculiarities of individual tongues are explained
in their respective grammars and dictionaries.Those things, that all languages have in common, or that are necessary to every language,
are treated of in a science, which some have called Universal or Philosophical
grammar
784: 2014/08/17(日)12:41 ID:11gSmyeC0(13/17) AAS
The problem for the linguist, as well as for the child learning
the language, is to determine from the data of performance
the underlying system of rules that has been mastered by
the speaker-bearer and that he puts to use in actual performance.
Hence, in the technical sense, linguistic theory is mentalistic,
since it is concerned with discovering a mental reality underlying
actual behavior
785: 2014/08/17(日)12:50 ID:nbLFwqQW0(2/3) AAS
自分の言葉で語れよ遠慮はいらんぞ。
786: 2014/08/17(日)13:33 ID:11gSmyeC0(14/17) AAS
其の実を論ぜば天下第一の大不実の者なり、其の故は彼等が本文とする四分律・十誦律等の文は大小乗の中には一向小乗・小乗の中にも最下の小律なり、在世には十二
年の後・方等大乗へうつる程の且くのやすめ言滅後には正法の前の五百年は一向小乗の寺なり此れ亦・一向大乗の寺の毀謗となさんがためなり、されば日本国には像法半
に鑑真和尚大乗の手習とし給う教大師・彼の宗を破し給いて人をば天台宗へとりことし宗をば失うべしといへども後に事の由を知らしめんがために我が大乗の弟子を遣してたす
けをき給う、而るに今の学者等は此の由を知らずして六宗は本より破れずして有りとおもへり墓無し墓無し、又一類の者等天台の才学を以て見れば我が律宗は幼
弱なる故に漸漸に梵網経へうつり結句は法華経の大戒を我が小律に盗み入れて還つて円頓の行者を破戒無戒と咲へば、国主は当時の形貌の貴げなる気色にたぼら
かされ給いて天台宗の寺に寄せたる田畠等を奪い取つて彼等にあたへ万民は又一向大乗の寺の帰依を抛ちて彼の寺にうつる、手づから火をつけざれども日本一国の大乗の寺
を焼き失い抜目鳥にあらざれども
787(1): 2014/08/17(日)13:34 ID:11gSmyeC0(15/17) AAS
To study actual linguistic performance,
we must consider the interaction of a variety of factors,
of which the underlying competence of the speaker-hearer
is only one. In this respect, study of language is no different
from empirical investigation of other complex phenomena.
We thus make a fundamental distinction between competence
(the speaker-hearer's knowledge of his language) and Performance
(the actual use of language in concrete situations).
In actual fact, it obviously could not directly reflect
competence. A record of natural speech will show numerous
省2
788: 2014/08/17(日)14:22 ID:mRx10xEE0(1) AAS
妖怪皮カムリ荒らすなよ
789(1): 2014/08/17(日)17:04 ID:11gSmyeC0(16/17) AAS
何の比か大蒙古は寄せ候べきと問いしかば経文には分明に年月を指したる事はなけれども天の御気色を拝見し奉るに以ての外に此の国を睨みさせ給うか今
年は一定寄せぬと覚ふ若し寄するならば一人も面を向う者あるべからず此れ又天の責なり、日蓮をばわどのばらが用いぬ者なれば力及ばず、穴賢穴賢・真言師等に
調伏行わせ給うべからず若し行わするほどならいよいよ悪かるべき由申付けてさて帰りてありしに上下共に先の如く用いさりげに有る上本より存知せり国恩を報ぜんがため
に三度までは諌暁すべし用いずば山林に身を隠さんとおもひしなり、又上古の本文にも三度のいさめ用いずば去れといふ本文にまかせて且く山中に罷り入りぬ、其の上は国
主の用い給はざらんに其れ已下に法門申して何かせん申したりとも国もたすかるまじ人も又仏になるべしともおぼへず。
又念仏無間地獄・阿弥陀経を読むべからずと申す事も私の言にはあらず、夫れ弥陀念仏と申すは源と釈迦如来の五十余年の説法の内・前四十余年の内の阿弥陀
経等の三部経より出来せり
790: 2014/08/17(日)17:51 ID:nbLFwqQW0(3/3) AAS
>>787,789 そうやっていつまでも他人の言葉の陰に隠れていろ。どんな行いにも、それ相応の効果はある。
791: 2014/08/17(日)20:53 ID:11gSmyeC0(17/17) AAS
未だ広宣流布せざるに法華経当世に当つて流布せしめずんば釈尊は大妄語の仏・多宝仏の証明は
泡沫に同じく十方分身の仏の助舌も芭蕉の如くならん。疑つて云く多宝の証明・十方の助舌・地涌の涌出此等は誰人
の為ぞや、答えて曰く世間の情に云く在世の為と、日蓮云く舎利弗・目〓等は現在を以て之を論ずれば
智慧第一・神通第一の大聖なり、過去を以て之を論ずれば金竜陀仏・青竜陀
仏なり、未来を以て之を論ずれば華光如来、霊山を以て之を論ずれば三惑頓尽の大菩薩、本を以て之を
論ずれば内秘外現の古菩薩なり、文殊・弥勒等の大菩薩は過
去の古仏・現在の応生なり
792: 2014/08/18(月)09:30 ID:hQatuHZi0(1) AAS
法華経×
包茎教○
793: 2014/08/18(月)09:42 ID:6MthqIhC0(1) AAS
792 名前:あぼ〜ん[あぼ〜ん] 投稿日:あぼ〜ん
794: 2014/08/18(月)09:57 ID:TlF9sQxr0(1) AAS
↑包茎教○で正しい事が証明されましたw
795: 2014/08/18(月)10:02 ID:9BG15yqB0(1/11) AAS
しかば小大・権実の諍論いできたる、されどもいたくの相違もなかりしに、漢土に仏法渡りて六百年・玄宗皇帝の御宇善無畏・金剛智・不空の三三蔵・月氏より入り給いて後・真言宗を立てしかば、華厳・法華等の諸宗は以ての外にくだされき上一人
自り下万民に至るまで真言には法華経は雲泥なりと思いしなり、其の後・徳宗皇帝の御宇に妙楽大師と申す人真言は法華経にあながちにをとりたりとおぼしめししかども、いたく立てる事もなかりしかば法華・真言の勝劣を弁える人なし。
日本国は人王三十代・欽明の御時・百済国より仏法始めて渡りたりしかども始は神と仏との諍論こわくして三十余年はすぎにき、三十四代推古天皇の御宇に聖徳太子始めて仏法を弘通し給う慧観・観勒の二の上人・百済国よりわたりて三論宗を
弘め、孝徳の御宇に道昭・禅宗をわたす文武の御宇に新羅国の智鳳・法相宗をわたす第四十四代元正天皇の御宇に善無畏三蔵・大日経をわたす然而弘まらず、聖武の御宇に審祥大徳・朗弁僧正等・華厳宗をわたす人王四十六代・孝謙天皇の
御宇に唐代の鑒真和尚・律宗と法華経をわたす律をばひろめ法華をば弘めず
796: 2014/08/18(月)10:03 ID:9BG15yqB0(2/11) AAS
嵩がもりの頂にて二三遍・又故道善御房の御はかにて一遍よませさせ給いては此の御房にあづけさせ給いてつねに御聴聞候へ、たびたびになり候ならば心づかせ給う事候なむ、恐恐謹言。七月二十六日日 蓮 花 押 清澄御房/文永十一年五月 五十三歳御作
与富木常忍 於身延 扶桑沙門日蓮之を述ぶ夫れ以れば月支西天より漢土日本に渡来する所の経論五千七千余巻なり、其中の諸経論の勝劣・浅深・難易・先後・自見に任せて之を弁うことは其の分に及ばず、人に随い宗に依つて之を知る者は其の義
紛紕す、所謂華厳宗の云く「一切経の中に此の経第一」と、法相宗の云く「一切経の中に深密経第一」と、三論宗の云く「一切経の中に般若経第一」と、真言宗の云く「一切経の中に大日の三部経第一」と、禅宗の云く或は云く「教内には楞伽経第一」と
、或は云く「首楞厳経第一」と或は云く「教外別伝の宗なり」と、浄土宗の云く「一切経の中に浄土の三部経末法に入りては機教相応して第一なり」と、倶舎宗・成実宗・律宗云く「四阿含・並に律論は仏説なり華厳経・法華経等は仏説に非ず外道の経なり
797: 2014/08/18(月)10:05 ID:9BG15yqB0(3/11) AAS
疑つて云く今世に此の法を流布せば先相
之れ有りや、答えて曰く法華経に「如是相乃至本末究竟等」云云
、天台云く「蜘虫掛りて喜び事来たり〓鵲
鳴いて客人来る小事猶以て是くの如し何に況や大事
をや」取意、問うて曰く若し爾れば其の相之
れ有りや、答えて曰く去ぬる正嘉年中の大地震・
文永の大彗星・其より已後今に種種の大な
る天変・地夭此等は此先相なり、仁王
経の七難・二十九難・無量の難、金光明
経・大集経・守護経・薬師経等の諸経
省2
798: 2014/08/18(月)11:14 ID:S64vTXL40(1) AAS
本日のNGID:9BG15yqB0
799: 2014/08/18(月)11:35 ID:9BG15yqB0(4/11) AAS
王の両臣の如し此の多宝仏も寿量品の教主釈尊の所従なり、此の土の我等衆生は五百塵点劫より已来教主釈尊の愛子なり不孝の失に依つて今
に覚知せずと雖も他方の衆生には似る可からず、有縁の仏と結縁の衆生とは譬えば天月の清水に浮ぶが如く無縁の仏と衆生とは譬えば聾者の雷の声を聞き
盲者の日月に向うが如し、而るに或る人師は釈尊を下して大日如来を仰崇し或る人師は世尊は無縁なり阿弥陀は有縁なり、或る人師の云く小乗の釈尊と或
は華厳経の釈尊と或は法華経迹門の釈尊と此等の諸師並びに檀那等釈尊を忘れて諸仏を取ることは例せば阿闍世太子の頻婆沙羅王を殺し釈尊に背いて提
婆達多に付きしが如し、二月十五日は釈尊御入滅の日乃至十二月十五日も三界慈父の御遠忌なり、善導・法然・永観等の提婆達多に誑されて阿弥陀仏の
日と定め畢んぬ、四月八日は世尊御誕生の日なり薬師仏に取り畢んぬ、我が慈父の忌日を他仏に替るは孝養の者なるか如何、寿量品に云く「我も亦為れ世の
父・狂子を治する為の故に」等云云
800: 2014/08/18(月)11:37 ID:9BG15yqB0(5/11) AAS
円澄は天台第二の座主・伝教大師の御弟子なれども又弘法大師の弟子なり、弟子を召さんよりは三論・
法相・華厳よりは天台の伝教・義真の二人を召すべかりけるか、而も此の日記に云く「真言瑜伽の宗・秘密曼
荼羅彼の時よりして建立す」等云云、此の筆は伝教・義真の御存生かとみゆ、弘法は平城天皇・大同二年より弘仁十三年までは盛に真言をひろめし人なり、其
の時は此の二人現におはします又義真は天長十年までおはせしかば其の時まで弘法の真言は・ひろまらざりけるか・かたがた不審あり、孔雀経の疏は弘法の弟子・
真済が自記なり信じがたし、又邪見者が公家・諸家・円澄の記をひかるべきか、又道昌・源仁・道雄の記を尋ぬべし、「面門俄かに開いて金色の毘盧遮那と成る」
等云云、面門とは口なり口の開けたりけるか眉間開くとかかんとしけるが〓りて面門とかけるか、ぼう書をつくるゆへに・かかるあやまりあるか、「大師智拳の印
を結んで南方に向うに面門俄かに開いて金色の毘盧遮那と成る」等云云
801: 2014/08/18(月)11:41 ID:9BG15yqB0(6/11) AAS
法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩業・苦の三道・法身・般若・解脱の三徳と転じて三観・三諦・即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり、能居所居・身土・色心・倶体倶用・無作三身の本門寿量の当体
蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり是れ即ち法華の当体・自在神力の顕わす所の功能なり敢て之を疑う可からず之を疑う可からず、問う天台大師・妙法蓮華の当体譬喩の二義を釈し給えり爾れば其の当体譬喩の蓮華
の様は如何、答う譬喩の蓮華とは施開廃の三釈委く之を見るべし、当体蓮華の釈は玄義第七に云く「蓮華は譬えに非ず当体に名を得・類せば劫初に万物名無し聖人理を観じて準則して名を作るが如し」文、又云く「今蓮華の称は
是れ喩を仮るに非ず乃ち是れ法華の法門なり法華の法門は清浄にして因果微妙なれば此の法門を名けて蓮華と為す即ち是れ法華三昧の当体の名にして譬喩に非ざるなり」又云く「問う蓮華定めて是れ法華三昧の蓮
華なりや定めて是れ華草の蓮華なりや
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