[過去ログ] 秋田クールー病を社会生態学的に考える(その2) (396レス)
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336: 環境ファシズムと地域行政(481) 2006/03/26(日)00:45 AAS
>>329
>可能性でスレを立てるな。可能性を知識とは言わない。
>きちんと自分で調べ、決定的事実を手に入れてから立てるんだな

浅学の身で、大変、失礼な言い方で申し訳ありませんが、
貴方様は、各々の学問領域(特に生態学や進化学)の多様性というのを、恐らくほとんどご理解していない。

今回の公開学術論議は、スレッド題名にありますように、あくまでも社会生態学に関する論議を試みているものですが、
この学問は「社会を生態学及び進化学の手法を用いて解析する」点に特徴があると考えています。そして生態学、
進化学、歴史学という学問は、(私は必ずしも専門ではありませんが)決定的事実で積み上げられる領域ではなく、
全ては仮説や理論の上に新たな仮説や理論を積み上げて論理的なストーリ化を試みるものではないでしょうか?

たとえば人類の起源を議論する上で欠かせないミトコンドリアイブという概念がありますが、
この全人類は元々はアフリカ在住の少数グループから派生しているという説は、ここまで広く社会に受け入れられていても
あくまでも仮説に過ぎません。これは例えば鯨などの動物の分子系統研究に関してもいえ、鯨がカバと共通祖先を持つ
という考え方もあくまでも仮設に過ぎません。進化学や生態学という分野は、こういった仮説や理論を積み上げていく学問
という側面があり、大事なことは「決定的事実を前提にできない」という点です。そもそも(何百万年も前の)過去の決定的事実
など手に入るはずが無く、あくまでも仮説と理論の論理的に積み重ねで研究を進めます。またそこで得た結論が
決定的事実になる訳でもなく、他の仮説と比べて論理的に確からしいという考え方に到達するに過ぎません。

社会生態学や社会生物学もその点、同じではないでしょうか?生態学や進化学の対象が人間社会に変わっただけです。
アプローチは似ています。従って、貴方が言う「決定的事実がないと学問ではない」という理屈では
進化学も生態学も学問ではない事になり、そういったお考え自体がナンセンスと考えます。
この点、どうかご理解の程、宜しくお願いします。
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