広島ビッグアーチとサッカー専用スタジアム (926レス)
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727: 2010/01/07(木)20:51 ID:fLTVahNa(4/4) AAS
五輪 広島の思い 被爆者スポーツの力期待 (2010年1月5日 読売新聞)
ナショナリズムに異論も
外部リンク[htm]:www.yomiuri.co.jp
広島、長崎での五輪は、被爆者にとってどんな意味があるのか。
「死ぬまでに広島でオリンピックを見たい」。木原一行さん(79)(広島市中区)、征治さん(68)(南区)兄弟はこう語る。
一行さんは今も、1964年の東京五輪でホッケー会場が歓声に包まれた情景を忘れられない。フィールドには懸命にボールを追う征治さんがいた。
一行さんは旧制山陽中2年だった1945年8月6日、広島市皆実町の車両庫に学徒動員されて被爆。
壁を背にしていたため、熱線は浴びず、自宅へと命からがら逃げ帰った。4歳だった征治さんも、空が真っ白に光ったことと、兄を捜しに出たことを今も鮮明に覚えている。
ホッケー部員の一行さんは翌年、仲間と灰が積もった学校のグラウンドを整備し、練習を再開した。
けがややけどを負った部員もいたが、スティックを手にするとプレーに集中できた。山陽高3年の時、東京国体で優勝。征治さんも兄の後を追ってホッケーを始め、日本代表にまでなった。
ホッケーが「原爆に負けるな」と励ましてくれた。兄弟はそう思う。そして、スポーツに平和を築く力があることも感じる。
「世界中の選手や観客が五輪のために広島、長崎を訪れ、町や人に触れることで何かを感じ取ってくれれば、それだけで五輪は成功したと言えるはずだ」。一行さんの言葉に、征治さんがうなづいた。
◇
「『被爆地でオリンピックを』という思いはわかるが、今の五輪はナショナリズムが色濃く、広島、長崎にはふさわしくないのでは」。
広島市西区己斐出身で、「ズッコケ三人組」で知られる児童文学作家、那須正幹さん(67)(山口県防府市)は、被爆地での五輪開催を懐疑的に見る。
那須さんは3歳の時に自宅で被爆。家の陰にいて大けがは免れたが、黒い雨に襲われた。
ただ、50巻になるズッコケ三人組のシリーズで戦争に触れることはなかった。
「ハチベエ、モーちゃん、ハカセの三人組が元気に駆け回ることが、平和な世界を表す」からだ。
だが、還暦を超え、「今のうちに自分史を書きたい」との思いが募っている。
頭に浮かぶのは、まだ焼け跡が残る近所に生まれた、お好み焼き屋をめぐる物語だ。被爆の惨状だけでなく、そこから再生したことに大切な意味があると思うからだ。
だから、那須さんは「復興を成し遂げた広島と長崎がナショナリズムの横行する五輪を変えてほしい」とも語る。
那須さんが言うように広島、長崎こそが、五輪の新たな可能性を生み出すのかもしれない。
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