[過去ログ] 【大串と川端】十両互助会 第7席【タンデム体制】 (736レス)
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360: (スププ Sd9f-B3OJ) 2022/01/13(木)08:24 ID:T6V8Il2Td(1) AAS
会長昇進の川端氏 新十両から所要39場所は史上1位のスロー出世

川端氏は大阪市平野区出身の30歳。小学生からわんぱく横綱になるなど活躍し、日本大学4年時にはアマチュア横綱に輝き、平成26年春場所、幕下15枚目格付出で初土俵を踏んだ。
平成27年夏場所で新十両に昇進し、四股名を「大翔丸」に改名、翌年には新入幕。低く丸い体を行かした押し相撲を武器に長く幕内下位に定着、結びの一番も経験した。
令和2年以降は十両の土俵が続いており、来場所で十両在位20場所目となる。

互助活動には若い頃から積極的で、平成26年九州場所と翌27年初場所では、いずれも十両の優勝争いのトップに並んで千秋楽を迎えたが、
2場所とも、負ければ幕下陥落の成績となる阿武咲(打越)戦が組まれ、2場所とも押し出しで星を譲り、V逸。のちに“川越互助”と呼ばれる伝説を作った。
幕内時代には前頭下位に安住し、その現状維持姿勢と淡白な取り口から、いつしか『サラリー丸』の愛称がついた。
平成31年春場所の十両陥落を機に、当時会長だった安彦氏の勧誘を受け、幕内互助会からヘッドハンティングで勘定大臣として十両互助会入り。同年秋場所には、新入閣から4場所目で異例の会長代理を務めた。
令和2年春に発足した大串内閣で、ナンバー2の会長代行に就任。大串会長が休場や入幕で不在の場所で、指揮官の役を担ってきた。

閣議では、6日に辞任を表明した大串会長が川端氏を後継者に指名し、出席者全員がこれを支持。大串会長の右腕として働いてきた実績が評価された。
日大出身の会長は5人目。平成3年生まれでは3代基、5代安彦に続いて3人目。また、新十両から所要39場所での会長昇進はこれまでで最もスロー出世となる。

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