[過去ログ] 【嵐を呼ぶ行司】萌える行司スレッド64【38代木村庄之助】 (1002レス)
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654: (ワッチョイW 0b5c-nMS5) 06/30(日)10:35 ID:dXCEEBq70(3/7) AAS
尾崎伊之助、
晩年の「ムァッツァナシッ!」は師匠の内山と言い方がよく似ている。昭和50年すぎ頃までは「ダンナッ!」だった。「オンノッ!」「コンニャクッ!」「ニャンニャン!」等にも聞こえた。
浅井庄之助は高音域、中音域、低音域とあって、取り組み中の「タラッタラッタラッ!」は中音域。勝ち名乗りでは声が低くなり、取り組み中力士の動きが止まった時の「はっけよい!」だけはなぜか「おいっ、キタロー!」みたいな声になった。
655: (ワッチョイW ff6b-cSQ3) 06/30(日)11:10 ID:uCU6Y+Ou0(1) AAS
>>646
待ったが7、8回あったってスゲーなおいw
これが晃之助なら激おこどころか、裁きすっぽかしレベルだろwww
656: (ワッチョイW 0b5c-nMS5) 06/30(日)12:08 ID:dXCEEBq70(4/7) AAS
大昔は制限時間とかなかったし昭和の後半になっても時間前に立ったり待った複数回あったりと言うのは今より多かった。だから基本的に昔の行司の方が耐性ありそうだけどな。
晃之助が歴代の行司の中で最も立ち合いに神経質な行司であると断言して良い。
だいたい時間いっぱいで「待ったなし」という行司も昭和の中頃までは少なかったようだし(内山庄之助くらいなものか)
時間です
待ったなし
手をついて
みたいに具体的に急かす?のは歴史としてはそんなに古くないようだ。
そのかわり、昔の行司には、時間前に一方的に立とうとしてるように見える力士に対して「まだまだまだまだ!」などと言って自分の呼吸で制御しようとするタイプの行司がけっこういたのは付け加えなければならない。この種のまだまだは近年の行司では野沢庄之助が言う時があった。
657: (ワッチョイW dede-CS9y) 06/30(日)16:44 ID:LA6kVDCh0(1/2) AAS
伊三郎
アイヤー カッドーハッダー カッドーハッダー (貴ノ花)
ウオッツア エッドーウッビー エッドーウッビーイ(三重ノ海)
658: (ワッチョイW 0b5c-nMS5) 06/30(日)20:25 ID:dXCEEBq70(5/7) AAS
伊三郎は仕切りの時の み?ょーでー も独特。
師匠の宗四郎は夏みかんと顔がそっくりでもっと太らせた感じ
659: (ワッチョイW 0b5c-nMS5) 06/30(日)20:52 ID:dXCEEBq70(6/7) AAS
ニワトリが首を絞められてる動画を見てズッコケ行司こと今岡英樹を思い出した
660: (ワッチョイW 872d-QA9I) 06/30(日)21:39 ID:T9Fh4iev0(1) AAS
伊三郎は基本腹から声出してるけど、「待ったなし!」のところだけ地声になる
661(1): (ワッチョイW dede-CS9y) 06/30(日)21:58 ID:LA6kVDCh0(2/2) AAS
土俵上は大関同士、貴ノ花と増位山、制限時間いっぱいです。
行司は大柄な行司の式守伊三郎
662: (ワッチョイW 0b5c-nMS5) 06/30(日)22:20 ID:dXCEEBq70(7/7) AAS
>>661
うわぁ最高!タイムスリップした気分!
663: (ワッチョイW 860d-CS9y) 07/01(月)16:44 ID:BMz9RWcm0(1) AAS
番付発表
勝ち名乗りの四股名を間違えたり、あまりにも酷い行司には降格があってしかるべきだ
もっと競争原理を
664: (ワッチョイ 73a3-EXgL) 07/01(月)22:32 ID:Glx+x9z10(1) AAS
名力士の時代に名行司というし今の時代では行司はパッとしないよな
665(1): (ワッチョイW 0b5c-nMS5) 07/02(火)07:38 ID:YMKOwkqh0(1/2) AAS
白鵬の取り組みサバいてた頃の今岡は名行司だった
666: (ワッチョイW ff64-cSQ3) 07/02(火)20:18 ID:Yesejkj50(1) AAS
江川勘太夫って過小評価だけど、自分は何というか、あの気の抜けたような掛け声は好きだったなぁw浦本錦之助の掛け声も小さいけど、気合い入っていてよかったw
667: (ワッチョイW ff72-CS9y) 07/02(火)22:00 ID:utm9/zgr0(1) AAS
江川勘太夫の声は、ニャオニャオニャオと聞こえた。
彼と同時期、近い地位にいた玉光がかすれ気味の声で中入り後最初の一番を裁いていた記憶があるが、いつ頃だろう?
668: (ワッチョイ 73a3-EXgL) 07/02(火)22:13 ID:/fxJmoBX0(1) AAS
ウニャウニャウニャが多いが、立合いハーケヨーイと声が大きいこともある
人気力士の取組ではほとんど声が聞こえない
669: (ワッチョイW 0b5c-nMS5) 07/02(火)23:24 ID:YMKOwkqh0(2/2) AAS
江川と浦本は時期によってハッケヨイをいったり言わなかったりで本人なりのはやりがあるのか面白い。
浦本なんかは同じ日の取り組みでも1番目は言って2番目は言わないとか(その逆も)けっこうあった
多田玉光はある時期を境に言うようになったが
ハキョーガータガータ…って感じで声量は大きく不足していた
多田玉光が仲入り後裁いてたのは昭和50年代くらい?(筆翁がズッコケて休場したあたりか?)
670(1): (ワッチョイW 3bb6-m2lT) 07/03(水)00:37 ID:h/GKUc/C0(1) AAS
>>665
本当にそれ! 病気になる前は転倒・転落は多少あったにせよ。普通に上手かった。独特な声だけど声量もあった。
671: (エムゾネW FFaa-CS9y) 07/03(水)07:30 ID:xWBLApTrF(1) AAS
平成5年頃の若闘将の相撲をまとめた動画を見たら、のちの立行司、三役格行司が多数登場していて興味深い
木村孔一も何番か出ていて、立ち合いを合わせる声がかなり厳しい
勝ち名乗りはやっぱり長い 笑
672: (ワッチョイW 0b5c-nMS5) 07/03(水)08:43 ID:FIaP4N4i0(1/3) AAS
>>670
式守勘太夫 (11代)[しきもり かんだゆう]
11代式守 勘太夫(しきもり かんだゆう、本名:今岡 英樹(いまおか ひでき)、1959年9月22日 - )は、大相撲の三役格行司。高田川部屋所属。
== 人物 ==
島根県出雲市出身。少年時代は高砂部屋の元大関前の山(8代高田川)のファンで、それが相撲界入りのきっかけとなった。もっとも、最初から行司志望だった訳ではなく、親方に手紙を書いているうちに「行司になりたい」と書いてしまったという。
1975年5月場所、木村英樹の名で初土俵〔この名は北勝力(現谷川)の本名と同じ。〕。40代式守伊之助の1場所後輩に当たる。伊之助より上の世代とは年齢が離れている(伊之助より1枚上だった4代木村正直(2013年1月死去)とは6歳差)ということもあり、彼とは付き合いが深いようで、新弟子時代は何度も相撲を取って勝負していたという。
時間いっぱいでの立ち合い前は、「待ったなし!手をおろして!」。立ち合い後は「はぎょい!のぎょんとろこんとろこんと!んぎょ〜たぎゃんと!」。
大柄な体格が印象的で、ニワトリの首を絞めたような、やや詰まり気味で太めの掛け声が特徴である。その体格のためか、椎間板ヘルニアによる休場が稀にあるが、裁きそのものは差し違えは特に目立たず、無難にこなしている。しかし、時折土俵下に転落してしまったり、負けた力士に軍配を挙げてしまう等、やや近年は不運にも悩まされている。
2012年1月場所に、木村和一郎から11代式守勘太夫を襲名。
同年5月場所千秋楽、大相撲史上初となる平幕同士の優勝決定戦となった前頭4枚目栃煌山−同7枚目旭天鵬戦(旭天鵬が勝ち初優勝)を、幕内格筆頭行司であった勘太夫が裁いた〔優勝決定戦 相撲記者・佐々木一郎〕。
省1
673: (ワッチョイW 0b5c-nMS5) 07/03(水)08:43 ID:FIaP4N4i0(2/3) AAS
↑勘太夫時代のWikipedia
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