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57: 2021/05/24(月)18:18 ID:tIQLRV7b0(4/4) AAS
  世界の行末・・・・・・38

 こうして、第三次改良標準化計画で、改良型軽水炉(ABWR,APWR)が開発されていき
、1986年に改良標準化計画は終了した。この間動燃事業の破綻やプルサーマルサイクル
が確定せず、今だ再処理に至ってない上に、福島の事故やもんじゅの事故が発生した。
この第三次計画の成果のひとつとして 柏崎刈羽6号(1996年11月)7号(1997年7月)
の建設・運転開始はABWRとしては世界最初となった。さらに最近は、浜岡5号機(2005
年1月)、志賀2号機(2006年3月)が営業運転を開始した。2004年度の原子力発電での
電力量は282,442 百万kWhで総発電量の30%を供給するに至った。2004年度では53基
の原子力発電所(BWR30基、PWR23基)が運転中で、合計設備容量47,122kWは世界三位で
あった。1970年、大阪で日本万国博覧会が開催された年に、高度成長期の真っ只中にあ
って、未来を担うさまざまな先端技術への期待が高まり、こうした世の中の流れの中で
、「原子力は発電に利用することのできるエネルギーである」という認識が、日本にも
広まって設置された原子力政策も今や頓挫している。1973年には第一次オイルショック
が起こったがこれを軽減し、1978年には第二次オイルショックに、世界各国が石油資源
に依存しすぎるリスクから、混乱を呈した。日本でもオイルショックによる混乱は大き
く世界各国と同様に「エネルギーの安定供給」が重要な課題として認識され、その解決
策のひとつとして、原発に注目が集まるようになりました。勿論シーレーン防衛も又、
その一環ではあったが、この時に日本における原発の導入に拍車がかかってが進み始め
ている。1973年、当時、首相を務めていた田中角栄氏は「原子力を重大な決意をもって
促進をいたしたい。」と述べたし、1974年に、此の為の 発電所の立地を促進する立地
地域への交付金を定める法律が整備された。原発の導入が進んだ背景に、こうした政策
の後押しによるものもあり、ここにいたるまでの間に原発に対する理解が 日本社会の
中で進んで来たことと、また電力需要が増大する中でのエネルギー供給の安定化という
社会の強い要請もあったことを、又再考察すべき時になって来ていると言える。
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