てすと (136レス)
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10: 名無しさん [] 2021/03/31(水) 11:40:52.04 ID:1Mrkwy4U0 チャーチルの失敗 07 ペトロフ将軍は外敵に奪われることを恐れ、苦渋の決断の末に黄金22箱を旧満州に居 た日本駐留軍へと預けて兵員の防衛をした。その後終戦に至って、黄金を取り戻すため に日本で裁判を起こすなど奔走したペトロフ将軍でしたが、訴訟は却下され黄金22箱 がペトロフの手に戻ることはありませんでした。コルチャーク(海軍大将)は、ロシア 革命後の内戦で、1918年11月に白軍が樹立した「全ロシア政府」の「最高執政官 」となったが、後に赤軍に敗れて銃殺された人物だ。シベリアのオムスク市に全ロシア 政府が樹立されるに際し、カザンからロシア帝国の金準備(延べ棒)の大部分を当地に 運んできた人物だ。これらは、第一次世界大戦勃発後まもなく、戦火を避けてカザンに 移されていた。とされる。当時の国立銀行オムスク支店での調査では、金準備は総額6 億5000万ルーブルと見積もられた。ところが、コルチャーク敗北後の1921年に 、金がソビエト政権の所有となった際に、再調査してみると、延べ棒の量がかなり減っ ており、4億ルーブル分しかなかった。行方不明となった2億5000万ルーブルにつ いては、エストニア出身の兵士カルル・プルロクが証言している。コルチャーク軍のシ ベリア連隊に所属していた彼は、東シベリアのケメロボ市に近いタイガ駅まで鉄道で金 を運び、穴を掘って埋めたという。1941年になって内務人民委員部(内務省)が、 プルロクをエストニアから呼び出し、現場に立ち合わせてあちこち捜索したが、何も見 つけることはできなかった。この2億5000万ルーブル。金準備(延べ棒)500箱 その内の300箱が 第二次世界大戦後、戦後すぐに東京隅田川の土手岸で GHQに よって掘り進められて川底から引き揚げられ 米国本土に持って行かれたと日本の新聞 は記載してる。つまり、老人ペトロフ将軍の裁判の知識をもとにCIA若しくはFBI の旧帝国軍人捜査で証言から突き止めて 闇のままに本国に持ち去ったと言う形だった 。 http://krsw.5ch.net/test/read.cgi/susucoin/1616467274/10
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