てすと (136レス)
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4: 2021/03/30(火)12:38 ID:KcDU8ZSC0(1/4) AAS
チャーチルの失敗 01

ウィンストン・チャーチルが生まれた1874年、ヴィクトリア朝時代の英国だった。が、
多くの植民地をしたがえた超大国として世界に君臨していた事は、国の存立としては、
経済的貿易には成功だったとしても、軍をもった戦略的外交や大国主義の軍事としては
全くもって負債にかならなかった。ロシアの南下に置いても日本に協力仰がななければ
ならない程逼迫していたのに、オスマントルコ勢に相手していた上、インド・アフリカ
と帝国ロシア更に南米にと戦局を持っていたのである。全て植民地主義の奴隷商売の種
を貪り続けた結果であった。石炭産出の工業国とは言え、その全ての不満を抑える事は
不可能だった。そこにベルサユ条約時に植民地主義撤廃を掲げた大日本帝国と言う島国
の台頭である。とりわけ近衞文麿(このえふみまろ)の奴隷解放要求には 西洋文明の
持つ凶悪さの無知があり、西洋のキチガイ猿扱いのまま、推移して中国侵攻の主権奪取
と南洋ドイツ領の管轄権を付与して事は終わっていた。これに驚いたのが日本投資での
巨利を貪っていたシフ一族のユダヤ投資家であった。アメリカのウィルソンの「新外交
政策」は実は口では自由平等博愛を呼びかけながら、その実は白人同士の英国統治の中
のアメリカの独立自治を謳ったに過ぎず、国内の黒人奴隷の解放など飛んでもないもの
であった。外交一元化を唱える外務省にとってはウィルソンの「新外交政策」はとって
つけたような素晴らしい発案で、コロリと騙されて日英同盟を捨てて国連に参加した。
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