てすと (136レス)
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50: 2021/05/08(土)07:43 ID:yhSD2lFA0(8/10) AAS
 フィリップ殿下の死を悼む   30

ジョージ4世は魅力と教養により「イングランド一の紳士」と呼ばれたが、その放蕩な
生活、さらに妻キャロラインとの関係の悪さに、当時の人々は不満を持ち、王家の名声
が落ちた。ジョージ4世の唯一の嫡出子がシャーロット王女だったが1817年に先立って
死去、そのため後を継いだのは弟ウィリアムだった。母はヴォルフェンビュッテル公で
カール・ヴィルヘルム・フェルディナント、つまりドイツ皇帝の次女キャロラインであ
る。1811年から即位するまで、父の精神疾患により摂政王太子として統治し、弟のウィ
リアムに継がせている。ウィリアム4世は兄の王位に頼ることなく、王家の血筋を隠し
青年時代海軍に勤務していた。後に「船乗り王」(Sailor King)の愛称で親しまれる
のだが、1779年13歳の時士官候補生として海軍に入隊して、特別扱いされずに一般の
士官候補生と共に訓練を受けている。その後も王家出身であることを隠して生活してて
、決して弱音を吐かなかった性格だった。という。有名なホレーショ・ネルソン提督の
旗の下で西インド諸島で勤務していた。多数の愛人を囲った兄たちとは異なり、ドロシ
ー・ジョーダン(ドロセア・ブラントの名で女優として活躍していたアイルランド人)
と1811年までの20年余り夫婦同様に生活し、10人の庶子を儲けた。兄が20歳の頃から
議会から補助金6万ポンドを貰い、父の年金5万ポンドを与えられても尚まったく足り
ずに、厩舎だけでも毎年3万ポンド支出する豪奢な暮らしの放蕩の生活に比べて、極め
て質素な暮らしだった。大酒飲みと放蕩な生活は1820年代末にはジョージ4世はプリン
ス・オブ・ウェールズであった頃でも大型な宴会とおびただしい量の酒で肥満体浪費と
放蕩の生活に大酒を飲み、数多くの愛人を抱え常軌を逸していたらしい。彼の戴冠式は
盛大で、約25万ポンドという莫大な支出を要し、先代のジョージ3世の約1万ポンド
を軽く越えたが、戴冠式は大衆に歓迎された。1821年リチャード2世以来はじめて公的
にアイルランドを訪れ翌年にはエディンバラを訪れた。こうしたスコットランド行幸に
比べてウィリアム4世は、戴冠式などどうでもいいと言い出して側近を慌てさせている

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