てすと (136レス)
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69: 2021/06/10(木)08:23 ID:dAruEqLR0(2/2) AAS
歴史の群像10 フィリップ殿下の死を悼む 38
この日本の鉄道工作隊が到着した時、バンポンの集合収容所は、先遣隊が1942年5
月に到着したとき、すでに完成していた。彼らはすぐに、路線に沿って、新しい収容所
を建設するため、北方へ移動させらていた。それはカンチャナブリである。カンチャナ
ブリは未開の地域の中で、比較的よく開発された町で、木材処理する二つの近代的製材
所とともに、寺院や政府のバンガロー式建物、および古い要塞を持っていた。カンチャ
ナブリの地は川の合流点近くに位置し、上流の森林地帯から流されてくる丸太を集める
ためには、理想的な場所であったのだ。日本が南方軍鉄道隊の司令部として、カンチャ
ナブリを選び移動したのは、交通の便が良好な為であった。先遣隊はまもなくここから
移動し、タマルカン近くの川のほとりまで追いたてられ、そして通常“ポンポン船”と
いわれるモーターボートに引かれて、川の西岸にたどり着く。マエクロン川を背後には
鉄道の路線は、もう一つの主要水路、クワエノイ川に沿って、西へ屈曲していく。川の
合流点より数キロの地点で、捕虜たちはチュンカイのテント張りの収容所に入れられた
。彼らの仕事は、さらに大きな労働部隊を集めるための、アタップの仮兵舎を建てるこ
とが仕事だった。チュンカイは、タイ側の端末から統制される作戦のうち、ジャッグル
地区での主要基地の一つとなるものと予定されていた。捕虜たちは川岸につながれてい
たイカダをまず解体し、それを収容所まで引きずりだして、しばしば鞭(むち)打ちさ
れながらも、一本の釘も使わずに、鋸と斧だけを使って、しかも、柱のために簡単な穴
を掘るだけで、長さ五五メートルのアタップの仮兵舎をつくる技術を習得させられた。
アタップの葉で屋根を葺くことは、あきあきする仕事であったろう。一年のうち五ヵ月
、この鉄道地域のどしゃぶりの雨をしのぐようにするために、屋根の全体の構築は、ア
タップー枚ごとに、丁寧にその隣りと重なり合うようにして、結びつけなければならな
かった。これがあとに続くタイに前進してきた捕虜達に、先遣隊の未経験な仲間の仕事
でのつくられた仮兵舎になった。雨漏れが酷い時は次にきた労働者は、不備な屋根を、
呪(のろ)う程に不愉快なものになった。
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