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4: 名無しさん [] 2021/03/30(火) 12:38:38.67 ID:KcDU8ZSC0 チャーチルの失敗 01 ウィンストン・チャーチルが生まれた1874年、ヴィクトリア朝時代の英国だった。が、 多くの植民地をしたがえた超大国として世界に君臨していた事は、国の存立としては、 経済的貿易には成功だったとしても、軍をもった戦略的外交や大国主義の軍事としては 全くもって負債にかならなかった。ロシアの南下に置いても日本に協力仰がななければ ならない程逼迫していたのに、オスマントルコ勢に相手していた上、インド・アフリカ と帝国ロシア更に南米にと戦局を持っていたのである。全て植民地主義の奴隷商売の種 を貪り続けた結果であった。石炭産出の工業国とは言え、その全ての不満を抑える事は 不可能だった。そこにベルサユ条約時に植民地主義撤廃を掲げた大日本帝国と言う島国 の台頭である。とりわけ近衞文麿(このえふみまろ)の奴隷解放要求には 西洋文明の 持つ凶悪さの無知があり、西洋のキチガイ猿扱いのまま、推移して中国侵攻の主権奪取 と南洋ドイツ領の管轄権を付与して事は終わっていた。これに驚いたのが日本投資での 巨利を貪っていたシフ一族のユダヤ投資家であった。アメリカのウィルソンの「新外交 政策」は実は口では自由平等博愛を呼びかけながら、その実は白人同士の英国統治の中 のアメリカの独立自治を謳ったに過ぎず、国内の黒人奴隷の解放など飛んでもないもの であった。外交一元化を唱える外務省にとってはウィルソンの「新外交政策」はとって つけたような素晴らしい発案で、コロリと騙されて日英同盟を捨てて国連に参加した。 http://krsw.5ch.net/test/read.cgi/susucoin/1616467274/4
59: 名無しさん [] 2021/05/23(日) 12:01:34.67 ID:inDvw5FS0 歴史の群像10 フィリップ殿下の死を悼む 36 その年の11月末までに、ビルマ基地の労働部隊は、鉄道建設の準備として、日本側の 司令部は、バーレイ准将の捕虜管理部と一緒に、タンビュザヤトに集合させ収容所建設 を行った。この時の捕虜は作業隊は戦場掃除として、戦場の瓦礫清掃で、地雷の処理、 道路の建設、ドックでの作業などを行なうもので、ブキテマ高地で戦死した日本の兵士 をまつるため、神社をも建設した。作業隊で働かされた多くの捕虜は、始めて日本兵と 接触し、日本人を評価する機会だった。だがその経験は、あまり品性を高潔にするよう なものでなかった。しかし捕虜自体は志願であり、無理して働かせて、いつも同じ貧弱 な食事とされ、米飯主体の食事の提供に対し、軍票によってバナナなど原住民から購入 できた。ただ、命令に従わない些細なことは、殴ってでも捕虜たちを従わせたであろう 。宿舎は、増加する病人にたいして、支給する薬品はほとんどなかった。特定の大きさ の作業隊を提供する必要があったので、多くの病人たちは、健康な仲間たちと 一緒に なって働くように強制されてもいた。マレー半島で退却戦闘中に、捕えられた連合軍の 捕虜たちは、当初には、降伏地の近くの施設や監獄に収容された。しかし彼らはしだい に、クアラルンプールの民間人の監獄、プドゥーに集められた。プドゥー監獄では、ヨ ーロッパ人捕虜の、マレーにおける中央収容所となった。一般的にいって、彼らが得た 唯一の快適なものは、捕虜自身によってつくられたものであった。その材料は島内各所 へ作業隊として働きにでかけたときに、盗んできたものであった。激しい労働、不健康 な宿泊設備、殴打される危険にもかかわらず、作業隊の志願者が不足することは、ほと んどなかった。なぜなら屋外作業は人々に景色の変化を眺める機会を与えたし、また、 当時の最新のニュースを集める機会もあったである。さらに重要なことは食料や薬品を 盗んだり買ったり、あるいはこれらの必需品を彼らの持っている貴重品と交換したり、 現地調達品をお金で買う機会が与えられていたからである。こうした時英軍の空爆が、 始まろうとしていたのである。 http://krsw.5ch.net/test/read.cgi/susucoin/1616467274/59
74: 名無しさん [] 2021/07/04(日) 18:20:24.67 ID:+w9HbY9G0 十字軍の空の下に 07 ラオスで「カジノタウン化計画」が持ち上がった。ボーデンである。市側では、この 構想に飛びついた。中国企業がカジノを中心とした観光開発に乗り出し、資金も業者も ノウハウも全部中国人でお客さえ中国なのだ。そもそもは中国では賭博は違法行為であ る。指定される澳門(マカオ)などは大陸資本によって海外企業までも賄賂収入で介入 させ香港などの地元業者は排除された。政治的思惑である。そこで、国境を越えた先に カジノタウンを作り、中国人旅行者を呼び込もうと計画し、フィリピンなどで成功して いた。こうしてボーテンは完全なるギャンブル・タウンと化していく。カジノだけでな く、闘鶏場や路上マージャンまでも行われる都市となり。挙げ句の果てには売春も横行 していた。賭けに勝ち、羽振りのいい男達を相手にする女達も中国からの出稼ぎ売春婦 だった。街で特に大きいホテルの前は立ちんぼのたまり場となる、歩いていると腕を掴 まれ「ねぇ、遊ぼっ」とせがまれる。治安が急速に悪化したボーテンの町に人が溢れか えった。町は潤った。売春婦も食事や生活は必要だったからだ。売春婦の横行のみなら ず、麻薬を売る地元民や少数民族の数も増えた。もともとラオスは大麻とアヘンの産地 である。特に山岳部民族は昔から換金作物として麻やケシを栽培していた。今でも旅行 者相手にコッソリ売る。当時のボーテンではかなり行われていた。さらにこのカジノは 潤ってマフィアのマネーロンダリングにも使われ、治安は急速に悪化していった。犯罪 は多発し、殺人事件も珍しくない状態となった。「カジノで大負けし金を払えなくなっ た客は、殺される」という。中国の取り立ての厳しさや噂はまことしやかに囁かれた。 ていました。事態を重くみたラオス政府は、2011年にカジノの閉鎖を決定した。苦渋の 選択だ。犯罪よさようなら!中国人ギャンブラー達!売春婦達!ホテルやレストランは な次々と廃業、ボーテンの栄華はあっという間に終わった。「カジノ閉鎖」のその後は 結局のところ廃虚を残しただけとなった。 http://krsw.5ch.net/test/read.cgi/susucoin/1616467274/74
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