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18: 名無しさん [] 2021/04/15(木) 04:07:14.05 ID:AaoGxqBj0 フィリップ殿下の死を悼む 04 ところが、である。歴史的背景からも 日本軍は常に背水の陣の中にいた。事実歴史 的にも、西洋の植民地主義者から言えば、ロシアに勝った、日本は最後の野蛮な独立国 だったのである。つまり江戸時代以前からアフリカを支配し、中東を収め、インドには 英国服従たらしめ、中国さえも砲艦外交で従わせて賠償金をせしめ、残るは東洋の島国 一国になっていた状態だったのだ。遠く南洋も南米も豪州もみんな白人の天下で原住民 は奴隷だったのだ。この締めくくりに日本と対戦する事が必要だ。と白人のソサエティ つまり知識人クラブは考えていた。そこで対日貿易封鎖を試みたのであって東南アジア がその戦場の中心になる事は何十年も前、一次大戦前の開国当時からの合意した思惑で あったのだ。そこでこの中心が当時としてはシンガポールで、重厚な要塞都市として、 存在していたのだった。大平洋戦争の幕開けは、12月8日(現地時間12月7日)朝の事で ハワイ・真珠湾への攻撃とされる。がしかし、時間的には真珠湾攻撃より1時間50分前 、即ち2時間前に、日本陸軍の部隊が当時イギリス領だったマレー半島・コタバル浜の に上陸を開始している。理由は天皇陛下は皇居で記者に対して、翌日に宣戦布告の詔( みことのり)を発布する故を発表していたからだ。こうしてイギリス軍と戦闘を始めて いた。12月8日に起こった戦闘は多くの死者を出して一応は上陸をはたした。この中 の爆破されたトーチカからは鎖につながれて銃を撃っていたインド兵が沢山出て来た。 彼らも又捕虜として従軍した。更に日本軍に有利だったのは、日本の戦車は板金戦車で 欧州の砲撃に耐える重戦車や走行の速い軽戦車より、さらに軽く小さかった事だった。 軍需物資の米国の地金や鉄鉱石が輸入されない中で木材フレームを取り入れた板金戦車 だったので、走行不能と呼ばれる湿地のジャングルも砂浜も走行していたのである。 装甲は薄いものの 対銃撃の盾には重宝なものだったのだ。 http://krsw.5ch.net/test/read.cgi/susucoin/1616467274/18
19: 名無しさん [] 2021/04/15(木) 04:07:50.53 ID:AaoGxqBj0 フィリップ殿下の死を悼む 05 こうした日本陸軍の装備を笑っていたフランス軍に異変が起こった。日本軍を迎え撃 つ連合軍司令官はアーサー・パーシヴァル中将だった。4個師団強に相当する8万5千の 兵力があった上7万人の戦闘部隊は38個歩兵大隊は、英印軍17個大隊、イギリス本国軍 13個大隊、オーストラリア軍6個大隊、マレー/シンガポール人の2個大隊と言う混成団で 3個機関銃大隊を基幹としていた。このうち2個師団は1月後に護送船団で到着した者 ばかりであった。新着のイギリス軍M. ベックワース=スミス少将の部隊は、完全編成 部隊ではあったが、戦闘経験と適切な訓練を欠いていた士官クラスだった。又その他の 部隊のほとんどもマレー半島で日本軍の攻撃から受けた損害から回復する時間はなく、 定数を割り込んだ状態であった。現地人大隊はやはり戦闘経験が無く、いくつかの部隊 は戦闘訓練すら未了であった。ここで兵站を背負ってた海上輸送の2月5日到着の最後の 船団であった客船エンプレス・オブ・エイジアが、日本陸軍機による攻撃を受けて撃沈 される事件が起こり搭載物資を全損させた。これは日本の偵察機の誤爆であったがしか し、これによって多くの山に隠れて配備された原住民兵の突き上げに、食糧供給されな い部隊の士官から アーサー・パーシヴァルは食糧要請の突き上げがはじまったのであ る。つまり信任のパーシヴァル将軍は、このデモにも似た現地の古い士官達にどうしよ うもない苦境になったのだった。おそらくこれが日本と欧州の戦闘感覚の違いであろう 。日本のコヒマ侵攻は、食糧を出来るだけ持っては行くが、基本現地調達である。対し て欧州文化の戦争は、基本領地拡大と食糧供給である。兵士には食べ物や銃弾を供給さ れる権利がある。と言うのが基本で、日本人の様に銃弾が無くても竹やりでも戦え。ま しては神風がきっと吹く。なんていう戦闘論はどこにも存在しない。銃弾も食糧もない 。と言うのは撤退するのが鉄則であり当然だったのである。それは砂漠での戦いで特に 承知の事だった。 http://krsw.5ch.net/test/read.cgi/susucoin/1616467274/19
20: 名無しさん [] 2021/04/15(木) 04:08:24.10 ID:AaoGxqBj0 フィリップ殿下の死を悼む 06 大日本帝国陸軍の第25軍司令官の山下奉文中将の指揮下には、近衛師団(師団長・西村 琢磨中将)、第5師団(師団長・松井太久郎中将)、第18師団(師団長・牟田口廉也 中将)の3個師団からなる3万強の戦闘部隊があった。戦闘員の数では連合国軍に比べ はるかに劣っていたが、その練度と経験、装備の性能でもそう勝るものでもなかった。 近衛師団には九五式軽戦車からなる戦車旅団が配属されていて、日本での最新鋭の一式 戦闘機を擁した第59戦隊と第64戦隊がこれらを空中から援護したが、此の戦闘機の活躍 が大きかった。イギリス空軍にホーカー ハリケーンや、アメリカからのブルースター F2Aバッファローなどの最新の戦闘機と、ブリストル ブレニム爆撃機などセレター 基地などに展開していたが、そんなに性能のいい機体でもなかった。その上、バトル・ オブ・ブリテンで消耗し、さらにヨーロッパで続くドイツ軍との戦いに 最新鋭機は まわされていたことからハリケーン以外の航空機はみな戦闘力に欠けるものばかりであ ったのだ。3倍を超える兵力差、当時難攻不落と謳われたシンガポール要塞、そこを、 日本軍が10日足らずで攻略し駆け抜けていった。イギリスが率いる歴史上最大規模の 将兵だったが降参する。チャーチル首相は自書で、「イギリス軍の歴史上最悪の惨事で あり、最大の降伏」と評した。だが、そうしたトーチカ内の鎖につながれた兵士を見て 植民地化した住民達は盛んに日本軍を応援し 道案内すらしていた。対してイギリス軍 とアメリカ軍による連合軍の食料と何種類かの弾薬は、既に底をつき、降伏を決意した パーシヴァルは、指揮下部隊の司令官たちと協議したあとに日本軍と連絡を取って、フ ォードの自動車組立工場において、両軍の最高司令官による降伏交渉を行う約束を取り 付けるに至ったのである。これまで戦争と言えども、有り余る食糧と退屈な時間を過ご し、ワインをたらふく食って過ごしていた士官達には 耐えきれない兵站の断絶だった のだ。 http://krsw.5ch.net/test/read.cgi/susucoin/1616467274/20
21: 名無しさん [] 2021/04/15(木) 04:43:47.79 ID:AaoGxqBj0 フィリップ殿下の死を悼む 07 こうしてイギリス陸軍は敗北し、シンガポールが陥落したため約8万人のイギリス軍 将兵やイギリス領インド軍兵士、オーストラリア軍将兵が日本軍の捕虜となり、これま でにマレー半島の戦争で投降した5万人に加わった。さらにセレター軍港や空軍基地を はじめとするイギリス軍の施設はほぼそのまま日本軍に接収され、インド洋やオースト ラリア方面に展開する日本軍に活用されることになった。とされる。植民地大国だった イギリスにとってのシンガポールはインド洋と太平洋、オーストラリアを結ぶチョーク ポイントであり、「東洋のジブラルタル」とも呼ばれた。それゆえ、シンガポール陥落 と2隻のイギリス海軍の有力戦艦が日本軍に撃沈された事実はイギリスには大きな痛手 と精神的激痛を伴った。既に々時期のマレー沖海戦で海を制され、日本軍に、陸空での 優勢をとられたため、連合国軍はその切り札として期待していただろうイギリスの戦艦 プリンス・オブ・ウェールズと、巡洋戦艦のレパルスの2隻が出撃したが、大日本帝国 海軍の陸攻隊に撃沈されてしまっていたのである。陥落前には、キング・ジョージ5世 級戦艦2番艦プリンス・オブ・ウェールズ、レナウン級巡洋戦艦2番艦レパルス、空母 インドミタブル、護衛の駆逐艦エレクトラ、エクスプレス、エンカウンター、ジュピタ ーからなるG部隊が編成されたが、いずれも欧州のドイツとの闘いでの精鋭部隊の艦だ ったが、殆ど海洋戦闘でなく特殊空挺を得意にしていた部隊である。一方日本軍は輸送 船と共に、シンゴラとパタニ方面に第20駆逐隊(朝霧、夕霧、天霧)・第12駆逐隊 (叢雲、東雲、白雲)・掃海艇3隻・輸送船17隻(第二十五軍先遣兵団)、コタバル 方面に軽巡洋艦川内(第三水雷戦隊旗艦)、第19駆逐隊(綾波、磯波、浦波、敷波) ・掃海艇3隻、輸送船3隻プラチャップ方面に輸送船1隻、バンドン方面に香椎と輸送 船3隻、ナコン方面に占守と輸送船3隻、と分散して兵員と艦艇を送っていた。双方に 精鋭の最新艦とはいかなかったが、旧戦艦でも日本軍は 数でも兵員でも勝っていた。 http://krsw.5ch.net/test/read.cgi/susucoin/1616467274/21
22: 名無しさん [] 2021/04/15(木) 08:47:04.06 ID:AaoGxqBj0 フィリップ殿下の死を悼む 08 実はプリンス・オブ・ウェールズは船名というより称号であった、イギリスの皇太子 に与えられるもので、それほど作られた当時は英国民の誇りが詰まっていたのだ。今般 チャールズ皇太子も、1958年よりウェールズ公と呼ばれているが、実際の叙任式は1969 年7月1日、北ウェールズのカナーヴォン城で行われている。この撃沈は幾つもの衝撃が 起こっている。まずプリンス・オブ・ウェールズはイギリス海軍のみならず 英国民の シンボルであった為、これが撃沈した事は チャーチル始め日本憎しの意識や戦争意識 を高める一致団結する事に寄与した。これまで植民地からの奴隷制度も残っていた中で 第一次大戦後に植民地傭兵は栄誉として国民になっていたが、大勢は経済奴隷のままで 英国民とは軋轢があった。ところがそれが解消された。つまり 雑用の居候が落胆する 旦那様を見た。と言う事であろう。そして第二に航空機の威力が試されて、戦艦よりは 遥かに強い事が証明された。日本の老いぼれ船舶の活躍よりは、そのショックが大きく エンタープライズは、すぐさま改造ドックに引き返し、航空機用のマシンガンから連発 の高射砲に積み替えられ重装備となった。しかし日本の戦艦には新たな高射砲開発が出 来ていなくそれを積み込む事は出来なかった。その上積み込む場所もなかったのだ。と いうのもこの船はパナマ運河を抜けるような 細長く縮小した戦艦フォルムに苦労して 作っていたからだ。もともと海軍は船の建造の割り当てには、大賛成とは言わないまで も賛成していた。海軍にも艦隊派と条約派があったが、1930年(昭和5年)のロンドン 海軍軍縮条約締結により、「条約妥結やむなし」とする海軍省側に、腰抜け政府とする 国民に煽られて、これに反対する艦隊派(軍令部側)という対立構造が生まれ、そこに ある背景は陸軍との予算攻防があった。だがこれは後に統帥権干犯問題に発展し、真珠 湾攻撃の失敗につながっていた。どこの国も軍費捻出に苦労していたのである。実は、 そう言った突き上げや批判が、逆に政府を戦争に導いて言ったと言ってもよかった。 http://krsw.5ch.net/test/read.cgi/susucoin/1616467274/22
23: 名無しさん [] 2021/04/15(木) 08:51:00.29 ID:AaoGxqBj0 フィリップ殿下の死を悼む 09 そうした中、太平洋戦争中、日本軍はタイとビルマとをつなぐ全長415kmにもわたる鉄道 を日本軍は建設した。当時タイは「泰」ビルマは「緬甸」と書かれたので、この鉄道は 泰緬(たいめん)鉄道と名づけられた。泰緬鉄道の建設速度は、驚くほど速くこの鉄道 を建設するためにつぎ込まれた、連合軍捕虜および現地の強制労働者からでた犠牲者数 も、厖大なものだった。からくも生き残り、終戦とともに日本軍から解放されたすべて の人々にとって、泰緬鉄道は、生涯忘れることのできない忌まわしい思い出として残っ ている。とされる。 http://krsw.5ch.net/test/read.cgi/susucoin/1616467274/23
24: 名無しさん [] 2021/04/15(木) 08:51:22.70 ID:AaoGxqBj0 一九四二年(昭和十七年)の四月、鉄道建設要員が四地域に集結さ せられた。つまり、マレーの首都のクアラルンプールのプドゥー監獄、シンガポールの チャンギ地区、ジャワのバタビア(現在のジャカルタ)付近の一連の収容所、そして、 スマトラの西海岸にあるパタン地区の四地域である。これらの捕虜たちはやがて、泰緬 (たいめん)鉄道の現地へ移送されることになった。捕虜の大部分は、シンガポールに いた兵士で、1942年二月十五日、5万6千人の英・豪軍、6万人のインド軍を指揮 していたパーシバル将軍の兵士達だった。英・豪軍は10日分の食料と最小限の装備品 をもって、島の北西にあるチャンギまで、シンガポール市内を徒歩行進させられて別の 収容所に送られたインド傭兵部隊との接触は、完全に断たれてしまった。補給用食糧の 貯蔵はなくなり、毎日、単調な米飯に切り換えられた。米はもともと、ヨーロッパ人の 胃には、なじまないものであった。そこで、捕虜たちの大部分は、急速に衰弱しはじめ た。その状態は終戦まで、ずっと続いた。又供給された タケノコや山菜には、我々に 竹を食わせた草を食糧とした。と言う偏見があった。更に泰緬鉄道建設の殆どは日本人 の工作隊で行っていた。と言うのも捕虜たちの大部分は、管理は彼ら自身にほとんど任 され、労働は任意で軍票の支払いによって運営されていたからだ。収容所のまわりには 、塀かつくられていたがその中では、彼らは少なくとも降伏前にあった部隊単位を維持 したし、自分たちの管理について、自ら責任をもっていた。捕虜の大部分は捕獲者の、 つまり日本人を、ほとんど見かけたことがなかったし、文化や食生活どころか国の位置 すら知らない者だった。 http://krsw.5ch.net/test/read.cgi/susucoin/1616467274/24
25: 名無しさん [] 2021/04/15(木) 08:56:58.04 ID:AaoGxqBj0 フィリップ殿下の死を悼む 10 バンポンの収容所施設は、アタップ(ヤシの葉)屋根で、竹や葉の原始的な木造建築 だった。その形は、低い側面をもつ、梁のある支柱のテントといったようなものである 。以後、宿舎にはこの方式が継承された。この宿舎の建築は簡単で、材料はジャングル に自然にはえている竹、ヤシの葉だけを使い、ひもは繊維質の樹皮から作られた。アタ ップ小屋の建設は技術を要する仕事であり、また多くの経験を必要とした。捕虜たちは 、鉄道作業が終るまでには、熟練工になった。最初に長い竹の棒をテントの支柱のよう に地中にさし込み、建築のための柱とし、それから別の竹を小屋の梁(はり)として、 柱に直角に水平におき、この梁に別の竹を取りつけて屋根の支えとした。多くの小屋は 、垣根が地上にとどくほど傾斜していたので、側壁をもっていなかった。屋根の覆いは 、薄く割った竹と直角に敷かれたアタップの葉ででき、たくさんの、しなやかな、重な りあった瓦(かわら)のように、ひとつひとつは横木の上に巻きつけられ、個別に敷か れた。小屋の室内設備は、きわめて簡単なもので、小屋の長さだけの低い台が両側に一 列ずつあるだけだった。これらの二つの台はまた、普通の竹でつくられ、高さは地上か ら六〇センチであった。この長い台は捕虜たちの寝台となり、各人は横幅約六〇センチ を占めるだけで、実際には、すぐ隣りの人と接触してしまうほどだった。これが、労働 者たちがつぎの日の仕事のために、新しいエネルギーを得るべき場所であった。ある場 合には、一つの小屋に二〇〇人も収容されていた。実は捕虜たちがやった仕事の大半は こうした 小屋作りのもので 戦争で死んだ兵士の片づけとか、営舎建設とか神社建設 や掃除片づけで、至って生活する為にやっている仕事だったのだ。つまり捕虜たちは、 泰緬鉄道建設でなく 建設に携わる労働者の宿舎建設や その雑用しかしてなかったの である。日本からは日本人の鉄道工作隊がやってきて 鉄の橋をかけて開通した。そう あの明日に架ける橋は トンだ映画の為の作り話だったのである。 http://krsw.5ch.net/test/read.cgi/susucoin/1616467274/25
26: 名無しさん [] 2021/04/15(木) 09:03:28.24 ID:AaoGxqBj0 フィリップ殿下の死を悼む 11 ところがである。41’年12月に開戦して快進撃に陥っていた日本軍に、あっと言う 間に6月ミッドウェー海戦で航空隊がやられ、8月のソロモン沖海戦で空母がやられる のである。これで南方のソロモン諸島やニューギニア島が玉砕されガダルカナル島撤退 に陥るのである。更にドイツがアントン作戦でフランスを配下にしてスターリングラー ド包囲に向かうと、日本陸軍もどういう訳か43’年インパール作戦を決行するのであ る。インパール作戦(日本側作戦名:ウ号作戦)は、第二次世界大戦(大東亜戦争)の ビルマ戦線において、1944年(昭和19年)3月に帝国陸軍により開始、7月初旬までの 継続された、援蒋ルートの遮断を戦略目的として、イギリス領インド帝国北東部の都市 であるインパール攻略を目指した作戦のことである。とされる。作戦に参加したほとん どの日本兵が死亡したため、現在では「史上最悪の作戦」とされる。当作戦を含めて、 ビルマで命を落とした日本軍将兵の数は16万人におよぶ事が知られている。イギリスは 1942年(昭和17年)10月以降は、第一次アキャブ作戦などイギリス軍の反攻作戦を起し たが捕虜奪還には至らなかった。1943年(昭和18年)前半には、オード・ウィンゲート 率いるコマンド部隊が空挺侵入して、地形的に防衛側有利と思われたチンドウィン川の 東方のジビュー山系へもイギリス軍の反攻が可能なことが示された。ウィンゲート旅団 は撃退したものの、今後のさらに活発なイギリス軍の反攻作戦が予想されたからだ。太 平洋方面での日本の戦況悪化が響き、ビルマ方面からは航空兵力が転用されるなど戦力 低下が生じたのだ。日本側は防衛体制の刷新を図り、3月に緬甸方面軍(ビルマ方面軍 )を創設するとともに、その隷下の第15軍司令官に牟田口廉也中将を昇格させた。この 大規模な組織再編・人事異動によって、牟田口以外の要員の多くが入れ替わり悲劇を生 んだのである。現地事情に詳しいのは司令官の牟田口と参謀(防衛担当)の橋本洋中佐 だけとなり司令官の構造的な欠陥要因となり独断専行発生に陥って自滅の道を歩むのだ 。 http://krsw.5ch.net/test/read.cgi/susucoin/1616467274/26
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