[過去ログ] 生きるために食べよ食べるために生きるな (11レス)
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5: 2023/07/12(水)19:40 ID:AApGezaU0(3/6) AAS
 ?・・・・陰間と衆道
 不思議なのは、女性の大奥などは 家系存続子孫繁栄から 後妻や妾は何人でも許容
されたが、男妾だと本妾の許可が必要だったし、一人しか出来なかった事だ。1549年に
来日したフランシスコ・ザビエルは日本人を賞賛しながらも、許すことができない罪悪
として、男色を挙げていた。ザビエルを保護し、布教を許した山口の大名、大内義隆が
最も陰茎が大きく痛かったらしく、更に彼の持った、陰間美少年の数の多さに驚き嘆い
ている。大内も、当初はザビエルに、男色などを非難されたことに立腹して、この布教
の許可は直ぐに取り消された。また、天正7年(1579年)に、初来日したイタリア宣教
師、アレッサンドロ・ヴァリニャーノは、日本人に見られる罪悪は、色欲に耽(ふけ)
ることだとして、特に男色については、「彼らはそれを重大なことと、考えていないか
ら、若衆たちも関係のある相手も、これを誇りとし、公然と口にし語られ、隠そうとは
しない。」と書いている。時代は江戸初期に 跨(またが)るが、元和5(1619)年に、
来日したフランソワ・カロンも、「貴族の中には、僧侶並に、男色に汚れている者が、
多くあるが、彼らは、これを罪とも恥ともしない。」と言っている。これが日本の現状
だった。しかし、これらの批判は結構に不思議な事だ。宣教師群の男色は公認されて、
各国各所に物語があるからだ。聖書の『コリント人への第一の手紙』では、正しくない
者として、盗むもの、偶像を礼拝する者などと同列で、男娼となる者、男色をする者と
書かれてはいるものの。しかし、実際、同性愛禁止の法律があった国が多くあって同性
愛が蔓延していたのである。「ポーランドでは、同性愛禁止の法律がなかった稀な国」
と表現されたが、同性愛禁止の国の多くは、「肛門性交は17歳以上から」と年齢が定め
られている国であったのだ。と言うのも女子も男子も寄宿舎で、集められた教育が多く
同性愛がはびこる風習が、兵士の教育に流用されていたのだ。つまり尻繋がりが友情の
証しだった。宣教師達で問題視されたのは、男色よりは、少年少女の幼児虐待としての
視点での告白であった。つまりこれは、男色家は多く、処罰の対象でなかったのだ。
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