【愛媛】[新居浜市]新居浜太鼓祭り[2019/10/15-18] (319レス)
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111: 情報発信元:七七四通信社 [sage] 2023/11/30(木) 21:21:28.35 ID:3R408YQW 水俣病では、チッソの工場排水に含まれていたメチル水銀が原因と政府が公表したのは68年。 だが、熊本県水産課(当時)は52年の報告書で、 排水を分析し成分を明確にしておくことが望ましいと指摘している。 この文書も埋もれてしまい、被害の拡大を食い止められなかった。日本で1930〜 40年代を中心に使われた放射性物質を含む造影剤「トロトラスト」による悪性腫瘍について、 海外では47年に報告がされている。重大な情報だったはずだ。日本は戦後の混乱期であったにせよ、 厚生省がどんな対応を取ったかということは明らかにされるべきだと思う。 トロトラストが主に旧陸海軍病院で使用された意味は大きい。 旧陸海軍病院は戦後各地で国立病院などになった医療機関で、極めて身近な存在だ。 被害者は相当数に達していた可能性があるのではないか。厚生省は陸海軍省の業務を継承した官庁。 トロトラストを「薬害」として記録し、公開し、教訓として生かしていく姿勢が必要だ。 「トロトラストの関連資料はこれです」とすぐに出されてしかるべきだ。 日本では情報開示と公文書管理の行政が立ち遅れてきた。欧州や米国のみならず、 中国や韓国など近隣の東アジア諸国と比べても遜色がある。人権と民主主義を保障するには、 公文書の保存と公開が不可欠だ。文書に基づいて自分たちの権利を主張し、 議論を進めていかなければならない。ところが、官僚も国民もその自覚が不足し、 文書行政が弱いまま今まで来てしまった。 長崎大の原爆後障害医療研究所にあるトロトラスト患者のリストや臓器の標本などの資料について、 将来にわたる保管が課題と指摘している。国民の健康に重大な影響をもたらした以上、 その経緯に関わる記録を保存することは行政が負うべき責務だ。一大学、 一研究所の負担に任せるのではなく、早急に国の責任で関連資料の保存策を検討し、 実行に移すべきだろう。その際、研究所の現存資料にとどまらず、 全国的な調査を実施し、その結果を保存することも視野に入れる必要がある。 放射性物質を含む造影剤「トロトラスト」は、国内では1930年代から50年代まで使われた。 注射されてから数十年後にがんを発症した人の多くは、発症から1年以内に亡くなっている。 体内に沈着し、肝臓などの細胞を長年にわたって痛めつけるためだと思う。 主に旧陸軍病院で傷痍軍人に使われたとされるが、 当時13歳の女性に投与されたという資料も残っている。 病理医の私は、がん発症後の患者の診療経験はないが、79年度以降、 トロトラストが注入された疑いのある傷痍軍人を対象に国が実施した定期検診に立ち会った。 患者は淡々と検査を受ける姿が印象的だったが、その家族からは「いつ爆発(発症) するか分からない時限爆弾を抱えさせられた」「患者をモルモット扱いしているのではないか」などと、 やり場のない不安や憤りの声を聞いた。医学分野では、 60年代には全国からトロトラスト注入が影響しているとする症例の報告が上がっていた。 一方、患者や家族への補償や支援についての検証や議論は十分にされてこなかった。 被害は歴史に残さなければならない。報道を契機に、 検証や記録の在り方など多方面から議論になることを願っている。長崎大の原爆後障害医療研究所には、 全国約280人分のトロトラスト沈着者のリストやカルテ、内臓の標本などが保管されている。 トロトラストの病理研究の第一人者だった故森武三郎医師が集めたものを引き継ぎ、 2016年に東北大を退職する際に移管した。トロトラストは欧米諸国でも使用されたが、 これだけの数の資料や標本がまとまって保管されている例は他にない。 トロトラスト以外の内部被ばくとして、1900年代初め、 米国で放射性物質のラジウムを含む夜光塗料を使って時計を製造していた女性工員が、 塗料を塗る筆をなめながら作業したためラジウムが体内に入り、骨などにがんができた例がある。 しかし、標本などは残っていない。長崎大の資料は内部被ばくを知るため、世界的にも貴重だ。 だが、トロトラストについて熱心に研究する人がいなくなり、資料の保管が大きな課題になっている。 放射線は医療など、さまざまな分野に寄与しており、放射線の利用なくして今の人類の生活はありえない。 一方で原発事故や核兵器の脅威は続いている。だからこそ放射線病理の研究は大切。 トロトラストの沈着が発がんに影響しているのは確実と言えるが、 分子や遺伝子のレベルで放射線がどのように作用し、 がんになるか―という詳しいメカニズムは分かっていない。 トロトラストの資料の保管には人材も費用も必要だが、廃棄すれば二度と手に入らない。しっかり残すべきだ。 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1571067647/111
112: 情報発信元:七七四通信社 [sage] 2023/12/03(日) 01:29:48.19 ID:892ePKHY 県感染症情報(11月20日―26日) 新型コロナウイルス感染症142例。 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1571067647/112
113: 情報発信元:七七四通信社 [sage] 2023/12/04(月) 18:14:08.28 ID:uhny9lkQ 現在74歳ですが、ご自身の老いを感じることはありますか。何にもないところでつまずいたり、 壁にガンガンぶつかったりするようになったね。自宅では2階で寝てるんだけど、 寝る前に物を忘れたから1階まで取りに行くっていうのを4回ぐらい繰り返したら、もう嫌になった。 取りに行くのをやめようと思ったくらい。食べ物を消化するのだって、うまくできないからね。 そういう衰えが体全部に来てるわけ。いろいろ諦めるようになってきた。 そういうところで死が近いことがわかってきたよね。ただ、死に際にベッドの周りに孫が来て、 家族に囲まれてみたいなのは、俺にとってはどうなんだろうって思う。 死ぬときは1人だし、パっと死ぬのでいいんじゃない 今後、もっと体力が衰えていったときに、自分が人生の主人公じゃなくなって、 人にあれこれ振り回されるのが嫌だっていう感覚があるのかもしれないね。 周りの同世代の皆さんを見て、思うことはありますか。最近、宮崎駿監督の映画「君たちはどう生きるか」 を見たんですよ。映画館で同じ席の並びに、俺と同い年ぐらいの車いすの老人の方がいらした。 ちょっと気になって見たら、真剣に、一生懸命に見てるの。 でも、俺もその老人も、もう「君たちはどう生きるか」っていう歳じゃないわけじゃん。 「どう生きるかって言われてもなあ」って思ってもいいのに、その方は食い入るように映画を見ていた。 それから映画館を出て、カレー店さんに入ったんだけど、そこで隣になった老人が、 おでこにカレーがつくんじゃないかってくらい前のめりで真剣に食ってるわけよ。 俺、それがすごいなと思ったんだよね。映画館で出会った車いすの方も、 カレーライスの方も、年寄りなんだけど前を向いてるじゃん。「君たちはどう生きるか」 を真剣に見てること自体が前向いてるって話でしょ。俺も同じぐらいの歳だけど、 ただ前を向いているだけじゃなくて、「そこまで前を向くか」っていう狂気みたいなものを感じたんだよ。 それは生きる力でもあって、自分の人生を諦めていない。それって、 子どもが野原で理由もなく走り回ったりするのに似たものだと思うんだよ。 前を向いて生きることって狂気みたいなものなんだって気付かされたね。 老人ホームで老後を穏やかに暮らしたいと考える人も少なくありません。 自身はそういった老後の過ごし方について考えることはありますか。 どうしても老人ホームに入らなければならない様々な事情があるのもわかる。 だけど、もし俺が老人ホームに入るなら、そこは恋愛も自由だし、何を食ってもいいし、 何時までに帰ってこなくてもいいし、好きなAVがあったら見てもいいしっていう、 そういう自由な老人ホームがいいかな。それだと責任が負えないって言われても、それで構わない。 栄養が整った食べ物が出てきて、誰かが手伝ってくれて、安定している生活って、 ちょっと諦めに近いと俺は思うんだよね。管理される中に入るっていうことは、 そういった権利を奪われるっていうことだと思うから。 前を向いて生きる狂気みたいなものをしまわないといけない。 老人ホームに入る方を否定するつもりはないけど、きっと自分にとってはつらいだろうなと思うよね。 これからどう生きたいとか考えることはありますか。どう生きたいってのは考えてないっていうのが本音。 仕事に関して言えば、どういう理由で呼ばれなくなるかは知らないけど、 俺たちの仕事は呼ばれなくなったらおしまいだから。芸人は「行く先々の水に合わねば」って言葉があって、 もうダメって言われたらダメなんだっていう、そこら辺の覚悟はできている。ラジオもやっているけど、 そこでは自分の言いたいことが言えるような環境でやらせてもらっているしね。 いずれは外国かどこかで優雅に過ごそうとか、そんなことはこれっぽっちも考えてないよね。 終活なんてのも考えてないし、老人ホームに入るなんてことも、小指の先ほども考えていない。 昔は人生50年だったわけだから、長く生きすぎても嫌なわけよ。もちろん、 いろいろと支えられて生きている方もいらっしゃって、そういう方たちにもまた別の悩みがあると思うけど、 俺みたいな年齢の芸人になると、野垂れ死にする方が“諦めていない”感じがするんだよね。 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1571067647/113
114: 情報発信元:七七四通信社 [sage] 2023/12/05(火) 19:13:55.15 ID:6H4xxTKI 「同調圧力」について考えていきたいと思います。 特に日本社会は同調圧力が強い社会であると言われています。「みんながこうするから、自分もそうする」 確かに実感としてもそんな方が多いように思います。しかし、同調圧力は本質的に自主規制です。 圧力を感じて、忖度して、勝手に合わせているだけのものです。 強制されているわけではないのです。ですから同調圧力をはねのけようと思うのであれば、 アナタが従わなければいい、ただそれだけのことなのです。 (1)マイペースなポジションを作るアナタが今まで属してきたコミュニティ、 たとえばクラス、部活、サークル、会社、ママ友グループなどに、こんな人はいないでしょうか 「あの人はマイペースな人だから、どういう意見か聞いてみないとわからないよね」 というポジションの人です。ちょっと一匹狼的な、誰とも群れないタイプの人。 普段からそういうポジションに身を置いていれば、周りに忖度することなく自分の考えを貫けるでしょう。 逆に普段みんなの意見に合わせている人が、急に自分の意見を主張し始めたら、 周りはちょっとざわざわするかもしれません。同調圧力は、周りの期待が高い状態とも言えます。 最初から同調することを期待されていなければいいのです。そのため普段から「マイペースなポジション」 をキープしておくことが大切です。ではどうすればマイペースなポジションがキープできるか。 それは普段から仲良くしすぎないことです。もちろん感じ悪くするわけではありません。礼節は保ちながら、 深入りはしないという感覚です。もっといえば、「仲良くしたい相手は厳選しなさい」ということです。 仲良くすべき相手は、「自分の意見を言うのに気兼ねが要らない」相手だと思います。 なんだか言いにくいな、と感じたら距離を適切にとればいいのです。 普段から距離感をつかむことが大切です。 (2)時間を稼ぐ何か意見や行動を求められたときに、 即答すると圧力に負けやすくなります。目の前に圧力がある状態だからです。ですから 「ちょっと考えてからお返事しますね」と時間稼ぎするのも一つの方法です。即答しないことは、 実は柔らかな「NO」の表現でもあります。即答できないことによって、「問答無用で賛成ではないのだな」 と相手に伝えることができるからです。つまり相手の期待値を下げることができるわけです。 「この職場でがんばってみたけれど、もう潮時かもしれない」「このコミュニティでは上手くやっていけない」 という人には、もうあきらめて逃げたくなるときがあります。しかし、「今までがんばったんだからもったいない」 と考えてしまったり、「もうちょっとがんばれば上手くいくかもしれない」と「あとちょっと」を期待したりして、 逃げ時を失うこともあります。そこで、どんなタイミングで「逃げる」べきなのかについて考えたいと思います。 「逃げる」を考える上で一番大切なのは、「自分の気持ち」だと思います。 どっちを選んだ方が自分の気持ちがモヤモヤしないか。まだ見届けたいことがあって、 逃げた方が後悔するのであれば踏ん張る。ここにいること自体が辛くて仕方がないので、 逃げない方が後悔するなら逃げる。基本はこれでいいと思います。「自分の気持ち」とは、 もっと言えば「自分の納得」でもあり、自分軸とも言えます。しかし、この考え方だけだと危険があります。 自分の気持ちは素直に表出するわけではないからです。本当は違うことを感じていても、 現状で気持ちを落ち着かせるために、自分の本音に加工をしてしまうことがあるからです。 それらについて3つの視点から解説をしていきたいと思います。 (1)サンクコスト人はそれまで費やした時間や労力が無駄になることを嫌う性質があります。 この今まで費やした時間や労力のことをサンクコスト(埋没費用)といいます。 簡単に言えば「今までがんばったのにもったいない」ということです。 そのため、冷静に考えれば今すぐにでもやめるべきなのに、続けてしまう。 そしていつの間にか損失が大きくなってしまう。これがサンクコストの罠です。 (2)正常性バイアス人は、とんでもない危険な状態になっていても「まあ大丈夫だろう」 「何とかなるだろう」と考えようとすることがあります。これを正常性バイアスといいます。 たとえば煙がもうもうと立ち込めていても、誰もが「火事だ」と気が付いて逃げ出すわけではありません。 「何か知らないが煙が多いな、まあ大丈夫だろう」と大事になるまで動かない人も大勢いるのです。 職場でも、かなりやばい状況になっても「まあ大丈夫だろう」とぎりぎりまで動かない人もいます。 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1571067647/114
115: 情報発信元:七七四通信社 [sage] 2023/12/06(水) 22:23:51.32 ID:dkFipOZe そして気が付けば会社がなくなるだとか大事になることもあります。 正常性バイアスが強い人も逃げ時を見失いやすいと言えます。 (3)防衛機制防衛機制は心理学ではよく用いられる言葉です。簡単に言えば、 「現実をそのまま認めると葛藤が生じるため、自分の気持ちに加工してしまう」のが防衛機制です。 防衛機制には様々なものがあり、いくつかの防衛機制は現状を正当に評価する妨げになります。 たとえば、有名なのはイソップ童話の「すっぱい葡萄」でしょう。自分には取れない葡萄のことをキツネは 「あれは酸っぱい葡萄だから食べられなくていいのだ」と思ってしまう。 ここでは、自分を正当化して気持ちを落ち着かせようとする防衛機制の「合理化」が働いています。 これらを踏まえると、「逃げる」判断は遅くなる可能性の方が高いと考えても良いでしょう。(1)も(2)も(3)も、 無意識のうちに働いてしまうので、完全に影響を受けないようにすることは難しいかもしれません。 「こういったものがある」と知っておくだけでも充分です。 私は、「逃げる」ことを意識した時点で、いつ逃げてもよいと思っています。本当に問題がないのなら、 「逃げる」などと全く考えもしないはずだからです。心のどこかに「逃げるとしたら」 「逃げた方がいいのかな」などと「逃げる」という単語が湧き出てきた時点で、逃げてもいいのです。 しかし、すぐに逃げる判断もできないかもしれません。そこでこうしてみてください。 「『逃げる』という言葉が頭に出てきたら、出口を決める」つまり逃げたい気持ちが少しでも出てきたら、 「○○になったら逃げる」というラインを設定しておくのです。たとえば、 「次のタイミングで昇進できなかったら、転職する」「次同じようなトラブルが起きたら、即仕事を辞める」 「次の資格試験で合格できなかったら、あきらめる」などといった具合にです。出口を決めておくことで、 逃げるタイミングを見失わずに済みます。また、最後のチャンスを設けることもできます。 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1571067647/115
116: 情報発信元:七七四通信社 [sage] 2023/12/07(木) 03:43:44.09 ID:h/bXFg/o ある朝、独り言をずっと繰り返し、目がうつろだったため、看護師に報告し、 屯用薬として処方された統合失調症に効果のある薬を使いました。しかし午後には呂律がまわらなくなり、 頭を前後に振る行動まで現れ始めました。更に数日後には、自傷行為も出はじめます。 今度は看護師も躊躇ったようで屯用薬は使わず、精神科医の往診の際に状況を説明し、 統合失調症の薬は中止、メマリーは10mg継続と、新たに抗うつ病の薬が処方されることになりました。 「施設から異変について連絡が来たとき、既に唾液を垂れ流している変わり果てた姿でした。 そこで初めて知ったのは、最初医療センターの往診を受けて以降、何回も薬の処方が増えていたのです。 妻にうつ症状がでたときは屯用薬として統合失調症に効果のある薬が処方されていました。 元々薬に頼ることが嫌いなので、内服薬は少なめにしてほしいと思っているのですが、 そういう意向を聞くこともなければ相談一つありません。 そもそも介護職員の言動に左右されて薬の変更と増量されていくことに問題はないのでしょうか」 往診の後も、激しい頭の振りは収まりませんでした。このため、 他の統合失調症の薬も処方されていったようです。こうした薬の変更はひと月ほど続き、 なんとか頭を振るなどの行動は落ち着いてきたものの、ADL(日常生活動作) がどんどん低下していきました。さらにひと月後には食事も全介助に近い状態となり、 更には嚥下に障害がでて食事の摂取量も減っていきました。「施設は妻の症状が変わるごとに、 その問題行動を医師に伝えてくれたこと自体を攻めるつもりはありません。ですが、 妻がどんな状況なのか、どんな治療や薬を飲んでいるのかについては報告しないことが許せません。 食事も上手く食べられないからゼリー食の方が安心だと言われたのですが、 施設の方が家よりも手厚い介護が受けられると思ってお金も払って任せていたのにあんまりです。 これなら、充分な介護が出来なくても、在宅にいたままの方が良かったのではないかと思ってしまいますよ」 今では、この施設にしようと決めた自分が悪かったではないか、 そもそも自分が病気にならなかったら面倒が看られたのに と夜も寝られないほど葛藤する日々が続いていると言います。 もちろん、施設も手を抜いていたわけではないでしょう。 薬の副作用などにより容態が変わりすぎることに苦慮していたと思われます。 担当の介護職員も、自分の説明が不十分だったのではないかと感じたのか、騒いだり、 怒ったり、物を投げる様子をスマホで撮影して、医師に見せてはどうか、と提案してきたそうです。 ただ、この提案は断りました。そんな姿を、医者や介護の関係者とは言え、 他人に共有されることは耐えられないと感じたからです。 しかし、こうしたやりとりの後、施設とのコミュニケーションは徐々に改善していきました。 栄養の確保を最優先にゼリー状態でも口から食べ物をとることからスタート、 家族の意向として薬は複数ではなくなるべく量と数を減らしてほしいことを医師にも徹底。 薬ばかりに頼るのではなく本人の食べたい、話したい、 外気に触れたいなどの希望を聞きつつ過ごせるような支援をしてくれることになったと言います。 最近は、入所したばかりの状態には戻り切れていませんが、顔に表情が出てきました。 時間のある時は面会に訪れ、一緒に車いすで散歩にでかけるようにもなりました。 しかし、ここにたどり着くまでに払った犠牲は少なくありません。 薬の調整によって、わずか数ヵ月で体調が急激に悪化したことは事実です。 「面会で『なんで、私は生きているの帰りたい、なんで家に戻れないの』と何度も問いかけられました。 もし、自分が同じ立場だったら、同じことを考えたでしょう。そう思うと、涙が止まりません。 ただ、他に選択肢があるかと言えば、ないんですよね。担当職員も限界だったことを考えると、 担当職員に強く当たってしまったことを今となっては申し訳ないとも思います」 家族、施設側も幸せを願っての行動でしたが、結果として、 食の楽しみを奪う、生き甲斐をなくすなど本人には負担となってしまいました。 もちろん本人も、環境の変化にとまどっていたはずです。隣にいないことで、話をしてくれる人もいなく、 環境の変化にとまどい、認知症の進行やトラウマからの被害妄想が強く出てしまったのかもしれません。 しかし、それを受け止めてベストな対応をするのが、専門家である施設の役目だと思います。 そして、本人の問題行動ばかりに焦点を当てず、家族の意向も定期的に確認するなどができていなかったことも反省として挙げられると思います。 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1571067647/116
117: 情報発信元:七七四通信社 [sage] 2023/12/10(日) 03:56:22.91 ID:WI10McHD 県感染症情報(11月13日―12月3日) 結核8例。 後天性免疫不全症候群2例(無症状病原体保有者、20代男性、30代男性)。 梅毒8例(30代男性2例、50代男性、60代男性、20代女性、30代女性、50代女性、70代女性)。 過去分として 梅毒1例。 県感染症情報(11月27日―12月3日) 新型コロナウイルス感染症189例。 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1571067647/117
118: 情報発信元:七七四通信社 [sage] 2023/12/11(月) 03:45:27.69 ID:pQujBsjQ 最後はクロザリルを投与されそうになったけどレボトミンを抜くことで問題行動が無くなり、 安定しているという事でした。この後やはり離脱症状が出て、少し暴力がありましたが、 大きなことにはなりませんでした。一時的に保護室に誘導されただけで、 薬を増やされたり変えられたりということは無かったです。そして大分安定してきたと言うのもあり、 医療観察法の入院から一般の病院に移される話が出て来ました。 息子の病院を移動させるために国選の弁護士さんがついたり、会議が開かれたりしたのですが、 その会議で監察官の人の「なぜ急に問題行動が無くなったのですか」 という問いに、「抗精神病薬を単剤化したからです」と、 悪びれる様子もなくしらっとした顔で医師は答えていました。一瞬しんとなる会議場。 あなた5年間私がレボトミン止めてくれって言ってたのをずっと無視して使い続けましたよね 今あなたレボトミン止めたから暴力出なくなったって言ったけど、 暴力が出るような処方を続けていた自分自身に対する反省は無いんですか 私がそう思っていると医師の口から驚くべき言葉が。「でも病状は全く良くなっていません」 え?人を攻撃したり、モノを壊したり、壁に穴を開けたり、水をがぶ飲みしたり、水をまき散らしたり、 床に水たまりを作ってスライディングしたり、便をこねたり全部無くなりましたけど、 それって良くなってないんですか「行動は関係ありません。精神症状は全く改善されていません。」 オイオイ何を言ってるんだオマエは。私は唖然として医師を見てしまいましたが、 周りの人達は何となく丸め込まれて特に医師に意見する人もいません。「お医者さんがそう言うんだから、 素人にはわからない何かがあるんだろう」という様子で、何事も無かったように会議は進行していきました。 これですよ、これ。黒を白に持っていく強引さと、圧倒的な権限。精神科病棟においては医者は正に神。 理屈に合わないことを言っても、「お医者さんがそう言うんだから」ということで、 全てのことがまかり通ってしまう。検証もされず、反論も出ない。誰も口出しできない。 精神の問題は難しくてわからないから。問題行動ピタっと止んだんだから、良くなったに決まってるでしょう。 正確には、やっと医療センターで悪化する前の状態に戻ったということですが。 それは息子の根本的な認知のゆがみが治ったとは言わないですよ。 でも医療センターで爆発的に増えた問題行動はほぼ治まったわけですから、 良くなったに決まっています。問題行動が出るか出ないかは病気には関係ないと言うのならば、 息子の破壊した部屋の修理費は医師に支払って欲しいものです。 医師は問題行動は病気には関係ないと思って、 ずっと暴力の出る薬を処方していたんでしょうから。私に60万円も請求して来ないで。 自分が処方した薬を止めることで問題行動がピタっと収まったにも関わらず、 問題行動を抑える治療をしていたのではなく精神症状を改善する治療をしていたので、 自分の処方は間違っていなかったと言い張る医師。会議も終わり、 国から派遣された弁護士さんのコーディネートで病院に移送が決まった息子。 国の力が働いて初めて事態が動くという。精神保健と国の意向との繋がりがよくわかります。 医療観察病棟での入院は長くて6年ということは聞いていましたが、 入院ももうすぐ5年になろうとしている、かつ保護者の退院の要請が強かったということで、 移動が決まったのでしょう。以下、裁判所の決定通知から抜粋します。 「対象者は破瓜型統合失調症に患しており(元は妄想型で薬物治療で破瓜型に進行したんだけどね) 医療観察法による医療を受ける為に入院後、抗精神病薬による薬物療を受けたことにより、 精神症状は抑制され(元々抗精神病薬は飲んでたし、 処方内容も初期の頃は入院前と変わってなかったんだけどね。 医師病院に入院した時から精神症状ぜんぜん良くなってないって言ってたけどね) 前回の入院継続決定以降も、頻度は相当程度低下したものの(レボトミンやめましたからね) 職員に対する暴力行為に及ぶことがあるなど、著明な改善までは認められない。このように、 医療観察法に基づく入院決定から約4年8カ月が経過し、それにも関わらず、対象者には、 前記のような問題行動(薬の副作用と離脱症状だけどね)に著明な改善が認められないことなどから、 前記病院の主治医も、対象者の人格的に未熟であり児戯的要素については、 薬物療法も含めた治療効果が限定的であると診断し、本件は処遇終了も検討されるべきである、 と判断している」ということで、息子はR病院に移されることになったのでした。 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1571067647/118
119: 情報発信元:七七四通信社 [sage] 2023/12/12(火) 17:57:54.56 ID:ZUNNDwuf 医師、会議では、息子の精神症状は医療センターに入院してから全然よくなっていないとずっと言っていたし、 息子の発達障害の傾向を私が伝えた時は鼻で笑っていたけど、 裁判所への報告書には入院で良くなったとか発達障害だから薬物治療がうまくいかないとか書いたみたいですね。 息子の処遇は医療観察法の入院から、医療保護入院になりました。 今では外出や一時帰宅も許可され、保護室や個室から移動して、大部屋での生活になっています。 医療センターでの5年近くになる保護室での監禁は、いったい何だったのでしょう。 医師の処方のまずさが原因だったと言わざる負えません。息子は薬のせいで犯罪者にされ、監禁され、 健康被害を負わされました。そして服薬継続がないと生活できない脳に変えられ、 認知も抑制力も低下したまま元に戻らないという後遺症が半永久的に残ってしまいました。 これから退院しても、生活していくのは大変です。これは医療による大きな犯罪ではないでしょうか。 現在息子は腎性尿崩症であることがわかっています。 リーマスの長期投与でバソプレシンという体の水分量を調節するホルモンが狂ってしまい、 機能しなくなってしまったのです。そのため、夜間も含めた1,2時間おきの頻尿に苦しんでいました。 それが発覚したのは病院に転院になり、一時帰宅が許可されてからです。 息子の頻尿があまりにも酷いので、私が調べて腎性尿崩症ではないかと医師に言ったのでした。 その後の尿浸透圧検査で息子の頻尿は、心因性の多飲によるものではなく、 腎性尿崩症だということがわかりました。多分医療センターにいた時も腎性尿崩症だったと思うのですが、 心因性の多飲による頻尿だとされ、その対応は酷いものでした。 最初に一時帰宅した時に、あまりに頻尿がひどかったので、 これは精神薬の副作用だと思い調べてみたらやはり感は当たっていました。 腎性尿崩症の原因薬物の代表がリーマスだったのです。特にたくさん長期的に飲むと発症するようでした。 息子は上限を超えた量は飲んでいませんでしたが、飲んでいる年数は6年と長かったですし、 身体的副作用が出やすいという今までの経緯からしても、間違いないと思いました。 病院での会議の時私が議題にあげさせてもらい、 息子はホルモンの働きが悪くなって希釈された大量の尿が出てしまうという、 腎性尿崩症という病気なのでは、と言ったのですが、担当医は 「水を飲みすぎる為に尿量が増えているんだと思います」と言って、取り合ってくれませんでした。 (きっと薬の副作用だと言われるのが嫌なんでしょう)そこでたくさんの資料を添えて、 医師に手紙を書きました。腎性尿崩症の検査をしてくださいと。 医師の回答は、「病院では腎性尿崩症の検査はできない」というものでした。 そして病院側では頻尿は何かの病気から来るものとはとらえていない、と言われました。 腎性尿崩症の検査は通常、検査ができる病院に入院して検査をしなければならないので、 ただの精神病院である病院では私も難しいかなと思っていました。 仕方なく、医師の返事を受け入れ、退院まで待って減薬しようと思いました。 数日後、以前から頼んであった血液検査の結果を受け取りたいと私が看護師さんに頼むと、 看護師さんは不安げな顔で「血液検査の方でいいですか」と言いました。 私は血液検査しか頼んでいなかったので、他に何か検査をしたのかな、と思い、 検査結果を全部見せてもらうよう、お願いしました。 看護師さんは、先生に聞いてみます、と言って部屋から出ていきました。 病院の人は、血液検査の結果を見せることに対してびくびくしている人が多いです。 何をそんなに恐れているんでしょうね。患者の体が悪くなってるということがバレちゃうからかな。 多分私は血液検査を要求する保護者ということで、警戒され始めているように思います。 暫くすると医師がやってきて、血液検査の結果と尿検査の結果を私に見せました。 リーマスの血中濃度は正常範囲内だということと、ナトリウム値が少し低いということを説明した後、 ドヤ顔でこう言ったのです。「尿浸透圧の検査をしました。息子さんは40ミリオスモル(mOsm/L)です。 尿崩症は300ミリオスモル(mOsm/L)以上じゃないと、判定されないんですよ。数値は大分低いですから、 尿崩症じゃないことがわかります」その後、息子に向かって「ちょっとお水を飲みすぎちゃってるんだよねー」 と一言。「あ、はい」と頷く息子。「そうなんですね、ありがとうございました」 尿浸透圧が低くてナトリウム値が低いんだから、尿が薄くなってるんじゃないの?それって尿崩症なんじゃないの? http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1571067647/119
120: 情報発信元:七七四通信社 [sage] 2023/12/13(水) 22:17:56.05 ID:sbrvy++x と不思議に思いながらも、その場はそう返事した私。「検査しなくても尿浸透圧を計ることで、 尿崩症の診断はできるんですよ」うれしそうにそう言う医師。私はその後、 帰宅するとすぐに尿崩症についてまた調べてみました。するとどの資料を見ても、300ミリオスモル (mOsm/L)以下だと尿崩症だと書いてあるではありませんか。そうだよね、尿が薄くなってるんだもの。 特に150ミリオスモル(mOsm/L)以下だと腎性尿崩症の確率が高いと書いてあります。 息子の数値はこの範囲にバッチリと当てはまります。私は翌日速攻で医師に電話し、 「どの資料にも300ミリオスモル(mOsm/L)以上じゃなくて、300ミリオスモル(mOsm/L) 以下だと尿崩症だと書いてあるんですけれども」と告げました。医師は「そうですかわかりました。 後でまた調べてみます」と言った後、その日のうちに電話をかけてきて、「すみません、 お母さんの言った通りでした。私が間違ってました」「尿崩症の治療はお薬の治療になります。 原因はリーマスも候補に入りますが、この前一粒減らしたところなので、暫く様子を見させてください」 と言いました。私は息子の尿崩症が認められてほっとしましたが、医師のレベルの低さには驚かされます。 腎性尿崩症が放置され、最終的に腎不全などになったら大変です。 精神科の先生というのは元々能力の低い人達の集まりなのではと思っていましたが、 医師を見ているとますますそれが確信に近づいてきました。 確かに大抵の資料に引っ掛け問題みたいな記述はありました。腎性尿崩症の確定検査のひとつとして、 ホルモンをちゃんと出させる薬を注射で投与し、30分おきにその作業を続け、 最終的に2時間後に尿浸透圧を計った時に、300ミリオスモル(mOsm/L) 以上であれば腎性尿崩症とする、という記述がありました。 でもこれ頭のいい小学校の高学年の子ぐらいだったら 「ホルモンを出させる薬を注射して尿浸透圧が上がるのであれば、 通常の状態だったらホルモンがちゃんと出ていないということなので、 通常の状態ではホルモンが出ていないということを確認する検査なんだな」ということがわかる文章です。 ちゃんと医師免許を持っているお医者さんが読み間違う文章じゃないと思うんですよね。 それを検査結果を真逆に受け取るとは。先生が見せてくれた数値は通常時の尿浸透圧検査の数値で、 腎性尿崩症の確定検査をした時の数字じゃないからね、と突っ込みたいところです。 「間違っちゃった、ごめんなさい」では済まされないのが医療の世界。のはず。この先生、 入院当初も「息子の様子はどうですか」と私が聞いた時、「階段を登れないくらい弱っています」 と言ったりしてたんです。私がびっくりして確認すると、他の人と間違ってたらしいです。 こんな調子で薬の処方なども間違ってないかとっても心配。この先生が一人で仕切っている病院。 早く退院させたいなと思います。今年の2月にホームの職員さんのご親戚がお亡くなりになりました。 62歳でした。9月にはホームの入居者さんがお亡くなりになりました。57歳でした。 次々とお亡くなりになる50代・60代の知人。 お二人に共通していたのは長く精神薬を服用していたということです。 先日まで、末期のすい臓がんが見つかって入院した、 賃していた家の借主さんの部屋の片づけに追われていたのですが、この知人でもある借主さんも、 数年前まで精神薬を服用していた方でした。65歳の方で、余命は3か月と言われています。 みなさんお酒は飲まれないのですが、精神薬を含むお薬の服用は多かったようです。 57歳の、私と歳も誕生日も一緒の入居者さんは、ホームで穏やかに最後の時を過ごされていました。 65歳の知人も、お貸しした家で、お嬢さんと一時期でも楽しい時を過ごされたんだと思います(と信じたい) 精神薬の長期投与というのは、健康被害を及ぼすことが多いです。 全員がこのような運命をたどるとは言いませんが、精神薬を長期服用されている方は、 人一倍健康には気を付けて生活した方がいいかもしれません。 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1571067647/120
121: 情報発信元:七七四通信社 [sage] 2023/12/13(水) 22:18:20.81 ID:sbrvy++x と不思議に思いながらも、その場はそう返事した私。「検査しなくても尿浸透圧を計ることで、 尿崩症の診断はできるんですよ」うれしそうにそう言う医師。私はその後、 帰宅するとすぐに尿崩症についてまた調べてみました。するとどの資料を見ても、300ミリオスモル (mOsm/L)以下だと尿崩症だと書いてあるではありませんか。そうだよね、尿が薄くなってるんだもの。 特に150ミリオスモル(mOsm/L)以下だと腎性尿崩症の確率が高いと書いてあります。 息子の数値はこの範囲にバッチリと当てはまります。私は翌日速攻で医師に電話し、 「どの資料にも300ミリオスモル(mOsm/L)以上じゃなくて、300ミリオスモル(mOsm/L) 以下だと尿崩症だと書いてあるんですけれども」と告げました。医師は「そうですかわかりました。 後でまた調べてみます」と言った後、その日のうちに電話をかけてきて、「すみません、 お母さんの言った通りでした。私が間違ってました」「尿崩症の治療はお薬の治療になります。 原因はリーマスも候補に入りますが、この前一粒減らしたところなので、暫く様子を見させてください」 と言いました。私は息子の尿崩症が認められてほっとしましたが、医師のレベルの低さには驚かされます。 腎性尿崩症が放置され、最終的に腎不全などになったら大変です。 精神科の先生というのは元々能力の低い人達の集まりなのではと思っていましたが、 医師を見ているとますますそれが確信に近づいてきました。 確かに大抵の資料に引っ掛け問題みたいな記述はありました。腎性尿崩症の確定検査のひとつとして、 ホルモンをちゃんと出させる薬を注射で投与し、30分おきにその作業を続け、 最終的に2時間後に尿浸透圧を計った時に、300ミリオスモル(mOsm/L) 以上であれば腎性尿崩症とする、という記述がありました。 でもこれ頭のいい小学校の高学年の子ぐらいだったら 「ホルモンを出させる薬を注射して尿浸透圧が上がるのであれば、 通常の状態だったらホルモンがちゃんと出ていないということなので、 通常の状態ではホルモンが出ていないということを確認する検査なんだな」ということがわかる文章です。 ちゃんと医師免許を持っているお医者さんが読み間違う文章じゃないと思うんですよね。 それを検査結果を真逆に受け取るとは。先生が見せてくれた数値は通常時の尿浸透圧検査の数値で、 腎性尿崩症の確定検査をした時の数字じゃないからね、と突っ込みたいところです。 「間違っちゃった、ごめんなさい」では済まされないのが医療の世界。のはず。この先生、 入院当初も「息子の様子はどうですか」と私が聞いた時、「階段を登れないくらい弱っています」 と言ったりしてたんです。私がびっくりして確認すると、他の人と間違ってたらしいです。 こんな調子で薬の処方なども間違ってないかとっても心配。この先生が一人で仕切っている病院。 早く退院させたいなと思います。今年の2月にホームの職員さんのご親戚がお亡くなりになりました。 62歳でした。9月にはホームの入居者さんがお亡くなりになりました。57歳でした。 次々とお亡くなりになる50代・60代の知人。 お二人に共通していたのは長く精神薬を服用していたということです。 先日まで、末期のすい臓がんが見つかって入院した、 賃していた家の借主さんの部屋の片づけに追われていたのですが、この知人でもある借主さんも、 数年前まで精神薬を服用していた方でした。65歳の方で、余命は3か月と言われています。 みなさんお酒は飲まれないのですが、精神薬を含むお薬の服用は多かったようです。 57歳の、私と歳も誕生日も一緒の入居者さんは、ホームで穏やかに最後の時を過ごされていました。 65歳の知人も、お貸しした家で、お嬢さんと一時期でも楽しい時を過ごされたんだと思います(と信じたい) 精神薬の長期投与というのは、健康被害を及ぼすことが多いです。 全員がこのような運命をたどるとは言いませんが、精神薬を長期服用されている方は、 人一倍健康には気を付けて生活した方がいいかもしれません。 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1571067647/121
122: 情報発信元:七七四通信社 [sage] 2023/12/14(木) 01:29:56.20 ID:r4V/29qL 「両親の結婚50周年を祝って銀婚式をやりました。両親はまだまだ健康でしたが、 もう80代でしたので、健康なうちに親族で温泉旅行にでも行こうという話で盛り上がったんです。 そしたら、うちの夫、何て言ったと思います『僕は集団行動が苦手なので遠慮します』って言ったんです。 その場がシーンとなって。私は、両親に何だか悪いことをした気持ちになり、 せっかくのお祝いの場で雰囲気を悪くした夫を恨むような気持ちになりました」恐らく、 夫にしてみれば、集団行動が苦手な自分が同行しても、周囲に迷惑をかけると思ったのかもしれないし、 そもそも、自分が自由に楽しめないことにお金を払いたくないという気持ちがあるのかもしれない。 しかし、その場にいる人にとっては、「場を乱す」、「冷たい」、「話が合わない」 といったマイナスの取られ方をするのである。こんな風に、妻の親族とうまくやってくれないとか、 友達家族と集まっても場を乱すということが続くと、妻は夫と共に行動したくなくなってしまうのだ。 アスペルガーの中には、知能が高く、天才肌の人もいる。文系よりも理系に多く、 人間とのコミュニケーションより、機械(パソコン)や数字を相手にしていたいというタイプだ。職業でいうと、 IT関係の仕事や医者、そして研究者などが多いように思う。こうした人が夫だとどうなるだろうか。 自分が求めたことに相手が応じられないとイライラしたり、「お前はなぜできないんだ」と責めたりするのだ。 また、相手を言い負かすのが好きな人もいて、モラハラ夫になりやすい側面がある。 こうした特徴をもつアスペルガーの夫とその妻は、一体どんな経過をたどっていくのだろうか。 これまで不可解で辛かった夫の言動が「アスペルガー」という発達障害が原因であると分かると、 大抵の妻はホッと安堵するのである。夫が悪いのではなく、悪いのはアスペルガーだと思えるからだ。 そして、妻はアスペルガーの夫への対応を学ぶのだ。ネットで様々な情報を収集したり、 カサンドラの会のような当事者の会に参加する妻もいる。また、相談時、付箋が山ほど貼られた書籍 (大抵は、「アスペルガーの夫とカサンドラの妻」のようなタイトルがついている)を持ってくる人もいる。 こんな風にして妻は対処法を学び、口頭より視覚に残る伝達方法がいいとか、 「察して」ではなく言葉に伝えるなどの工夫をするのである。もし、 夫婦の不和の原因がアスペルガーだけなのであれば、そうした工夫で夫婦関係が改善されることもある。 しかし、大抵の場合はそうはならない。「お前が準備できないのに、 なぜ俺が自分で買いにいく必要があるんだ」と怒るかもしれない。また、「家事育児がお前の仕事なのに、 仕事しないお前に価値があるのか」と暴言を投げかけるかもしれない。これはどういうことだろうか。 いくら妻が工夫をしても、妻のしんどさが変わらない場合、夫婦の不和の原因は、 決してアスペルガーだけではなく、もっと大切な思いやりや愛情が欠けている場合が多い。 こうして、アスペルガーの夫の特徴を把握し、対策をしてみたものの、 相手は何も変わらなかったという絶望を味わった妻の脳裏に次のステップとして浮かぶのは 「離婚」の二文字だ。しかし、アスペルガーの特徴を持った夫との離婚協議はそれほど簡単ではない。 妻から離婚を切り出したとして、想定されるのは以下のような事態だ。・だんまりを決め込む 離婚に応じるとも応じないとも言わない。これまで以上に自室に引き込もったり、 コミュニケーションが難しくなる。・拒絶するこだわりの強い夫には、 自分が考える家族の形や夫婦の形があったりする。そのため、離婚なんて考えられないということになり、 妻の話を聞こうともせず、頭から拒絶される。・攻撃する妻から離婚を切り出されることが屈辱的であり、 離婚理由が自分にあると言われるのが我慢できず、攻撃してくる夫もいる。 アスペルガーの夫は、知的に高いことが多く、相手の気持ちを理解した 「会話」は苦手でも、相手を言い負かすための口撃は得意な人が多い。すなわち、 アスペルガーの夫との離婚協議は一筋縄ではいかず、夫婦だけで話し合って解決するのは困難である。 そんなとき、家庭裁判所の離婚調停を利用するメリットは、 「裁判所」という権威が介在することで話が前に進む可能性があることだ。 知的レベルが高く高圧的なアスペ夫に対しては、家庭裁判所の調停が有効である。 家事調停委員を介してのやり取りであれば、夫が妻に威圧的に攻撃することを防ぐことができるからだ。 弁護士に依頼するメリットは、法的知識が豊富な専門家に頼れる安心感である。メンタルの状態が落ちている妻 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1571067647/122
123: 情報発信元:七七四通信社 [sage] 2023/12/15(金) 21:53:49.71 ID:2L6ni5Nu 軽々に安楽死を容認することには反対ですが、悲惨な現場の経験から、 選択肢としての安楽死は必要ではないかと考えています。激しい苦痛に苛まれながら、 医療の手を尽くしてもどうにも免れさせることができないとき、だれが見てもどこから見ても、 安楽死させてあげたほうがいいという状況は厳然として存在します。安楽死反対派の人が、 自らそんな状況に陥ってもなお、「死んでいい命はない」と言えれば立派ですが、 我慢の限界を超えればやはり、「お願いだから死なせてくれ」と言うのではないでしょうか。 映画監督のゴダール氏が安楽死を遂げたことについて、 ある新聞に掲載された倫理学の教授のコメントにはあきれました。 安楽死の意思表示があってもそれは本心でない場合があるとか、 安楽死を容認すると周囲が早合点する危険性があるとか述べたあと、「緩和ケアの発達によって、 終末期のつらい症状はほぼ取り除ける」と、無責任きわまりない発言をしているのです。 どこまで医療を過信しているのかと開いた口がふさがりませんが、 仮に額面通り受け取るとしても、「ほぼ取り除ける」ということは、取り除けない場合もあるわけで、 安楽死はそういう人のために選択肢として必要なのです。チューブと機械を取り付けられ、 浮腫と黄疸と出血と下血と吐血で悲惨な状況になる延命治療を中止する尊厳死も、 選択肢としてはぜったいに必要です。安楽死や尊厳死を否定したがる人の心の奥底には、 やはり死の絶対拒否という硬直した思いが横たわっているような気がします。絶対拒否は思考停止で、 あらゆる状況が起こり得る現場では役に立ちません、というか有害です。安楽死法がない日本は、 見えない「安楽死禁止法」が布かれているのと同じです。苦しみながら死んでいった人は何も言いません。 無駄な苦しみを味わって、悲惨な時間を長引かされて、その苦しみを経験していない人たちから 「死なないで」などと言われて亡くなった人も、何も言いません。しかし、もし死人に口があれば、 あんなに苦しむのなら安楽死させてほしかったと言う人は、決して少なくないと思います。 欲望肯定主義の世の中はまったく油断がならず、不幸と不満を増大させる勘ちがいを引き起こす 「罠」に満ちています。その最たるものが、スーパー元気高齢者の活躍です。 もう亡くなられたスーパー元気高齢者の代表。百歳を超えても現役の医師であり、 晩年にもベストセラーの著作を発表し、テレビ出演もされていました。かつてあるテレビ番組で、 次のように発言していました。「六十五歳で助走がはじまり、七十五歳で飛躍するんです」 なんと希望に満ちあふれた言葉でしょう。しかし、現実的ではありません。むしろ、弊害が多いです。 たとえば、せっかく引退する気になっている高齢の社長や会長が、またやる気になってしまったりとか。 「老害」という言葉はあまり使いたくありませんが、現実にはそこここでささやかれています。 職場で頑張る地位の高い高齢者は、たいてい周囲には有害であって、当人はそれに気づいていません。 中には、「若い者がどうしてもやめさせてくれない」などと言う人もいますが、そんな人にかぎって、 裏では若者たちがリタイアを熱望しています。さらに番組で、「わたしはエレベーターは使いません。 階段も二段飛ばしで上がります」と発言していました。そんな言葉を聞けば、 「よし、ワシも負けておれん」とばかり、突然、階段を二段飛ばしにして転倒、骨折して寝たきりになったり、 あるいは途中で心臓発作を起こして永眠ということになったりしかねません。著書には、 階段飛ばしについて、「急激な無理は禁物」と書いてありますが、テレビではそこは省略されます。 視聴者の盛り上がりに水を差すからです。元気高齢者が元気でいられるのは、 基本的には持って生まれた体質のおかげでしょう。もともと長寿の体質でなければ、 何をやっても効果は得られません。もともとの体質(遺伝子)は変えられませんから、 快適な老いを実現するには、自分の体質の中で満足を得ていく以外にありません。ところが、 スーパー元気高齢者の活躍を見せられると、自分もそうなりたい、なれればいいな、なれるのではないか、 きっとなれるだろうと思う人が増え、そうなれない場合、不満と失望を抱え込んでしまうのです。 老人デイケアのクリニックにいたとき、身体が弱って不自由になったことを嘆く人は多かったですが、 あまり不愉快そうでもない人もいました。「年いったらこんなもん」と、現状を受け入れていました。 老いの現実を認識し、高望みをせず、身の丈に合った状況で満足するすべを、身につけている人なのでしょう。 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1571067647/123
124: 情報発信元:七七四通信社 [sage] 2023/12/17(日) 07:51:10.19 ID:FlTbOZsR 県感染症情報(12月4日―10日) 新型コロナウイルス感染症279例。 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1571067647/124
125: 情報発信元:七七四通信社 [sage] 2023/12/18(月) 07:12:47.76 ID:rTVoEBza 老人デイケアのクリニックに勤務していたとき、利用者さんのテーブルをまわって順番に、 「調子はどうですか」と聞いていました。「大丈夫です」と言う人もいましたが、 大半は何らかの症状を訴えます。「腰が痛いんです。三日ほど前から痛くてたまりません」 「なんや息をするのがしんどくて」「足がむくんで抜けるようにだるいんです」 「目ヤニが出て、耳からも耳だれが出て」「便が硬くて、力むと脳の血管が破れそうで」 「オシッコのにおいがきつくて」「夜になかなか寝つけんで、寝たと思うたらお便所に行きとうなって」 高齢者の苦しみを聞いてまわるのは、かなりのハードワークでした。 なにしろ簡単には治らないことばかりなのですから。 しかし、これらの訴えは年を取ればある程度予測可能なものばかりです。頭でわかっていても、 自分のこととしては受け入れがたいのでしょう。人はだれでも、年を取れば足が弱るし、手がしびれて、 息切れがして、身体が動きにくくなり、眠れなくなったり、尿が出にくくなるのに夜はトイレが近くなったり、 お腹が張るのにガスは出ず、出なくていい痰や目ヤニやよだれが出て、膝の痛みに腰の痛み、 嚥下機能、消化機能、代謝機能も落ちたりして、身体が弱るものです。そうなるのが自然なのに、 それを受け入れるのは簡単ではありません。老いるということは、失うことだとも言われます。 体力を失い、能力を失い、美貌を失い、余裕を失い、仕事を失い、出番を失い、地位と役割を失い、 居場所を失い、楽しみを失い、生きている意味を失う。そんな過酷な老いを受け入れ、 落ち着いた気持ちですごすためには、相当な心の準備が必要です。若いときから優秀だった人は、 人生で得たものが多い分、失うつらさにも耐えなければなりません。仕事で高い地位についていた人は、 リタイアしてふつうの人になることに抵抗があるでしょうし、頭がいいと言われていた人は、 記憶力や計算力が衰え、言いまちがい、勘ちがいなどを指摘されると腹が立ち、 逆にショックを受けたり、落ち込んだりします。もともとさほど優秀でない人は、リタイアしても同じですし、 記憶力の衰えなどもたいして気にはなりません。健康に気をつけて、どこも悪いところがなかった人も、 老化現象による不具合には耐えるのがたいへんです。若いときから具合の悪い人のほうが、 慣れている分、年を取ればこんなものだと受け入れやすいでしょう。年長の知人は、 高学歴で社会的地位も高い職業に就いていましたが、老いを受け入れることができずに苦しんでいます。 衰えて当然だと思うのですが、なんとか若いときの状態を維持しようと頑張っています。 これまで大きな挫折の経験がなく、逆に努力によって困難を克服してきた成功体験があるので、 老いにも努力で立ち向かおうとするのです。当然、心は安らかではありません。「いい加減にあきらめたら」 と奥さんに言われても、頑としてあきらめません。あきらめたら終わりだ、敗北主義だと頑張るのです。 老いの不如意も衰えも、受け入れて付き合っていくしかない。そう思えたら少しは楽になるのにと思います。 あきらめの効用です。あきらめるというのは、もともと「明らむ」、すなわち「つまびらかにする」とか 「明らかにする」という意味で、仏教では「諦」という文字は「真理・道理」の意味があるそうです。 あきらめきれないのは、状況を明らかにしていない、真理・道理に到達していないということで、 だからイライラ、モヤモヤするのです。健康維持や老化予防の努力にも思わぬ罠が潜んでいます。 毎日、しっかり運動をして、酒、煙草もやらず、夜更かしもせず、栄養のバランスを考えて、刺激物を避け、 肥満にも気をつけて、疲れも溜めず、健康診断や人間ドックも欠かさず、ストレスも溜めず、 細心の注意で健康に気をつけていても、老化現象は起こります。がんや脳梗塞やパーキンソン病、 あるいは認知症も、なるときはなります。そのとき冷静に受け止められるでしょうか。 あんなに努力したのにと、よけいな嘆きを抱え込んでしまわないでしょうか。 もちろん、努力をすればリスクは下がります。しかし、ゼロにはなりません。 そのことをしっかり認識しておかないと、努力しない人以上の苦しみに陥る危険があります。 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1571067647/125
126: 情報発信元:七七四通信社 [sage] 2023/12/19(火) 08:19:43.15 ID:oh42Azhp 誰かにとっては名医でも、自分にとっては精神衛生上悪い医者だということがあるのです。 たとえば血圧の数値が高くなって、いくらなんでもこれはマズイということで紹介された病院で、 医師からいきなり説教をされてカチンときてしまいました。 「叱られにきたのではない」「なんだこの偉そうな態度は」などといら立ちを覚え、 その医者のいうことを素直に聞く気になれなかったのです。 医者に会うと血圧が上がるなんて馬鹿なことがあってはいけません。 相性以前に誰にでも感じの悪い医者というのもいます。 たいていの医者は小さいころから成績優秀で周囲の人たちから一目おかれているうえに、若いころから 「先生」と呼ばれることも相まって「自分は偉い存在なのだ」と勘違いしていることが少なくないのです。 待合室がドンヨリとして暗い医院は要注意。逆に待合室が賑わっていて明るいのは、 真摯に患者さんと向き合う「いい医者」がいる証拠です。 医者によって患者さんが元気になるから待合室も賑わうのです。逆に元気のない患者さんばかりだと、 薬の出しすぎなどの問題があるかもしれません。加齢によってさまざまな不調が出やすい高齢者は、 何かあったときに気軽に相談できるかかりつけ医(主治医)を決めておくとよいでしょう。 風邪だと思っていたら、検査の結果、深刻な病の可能性があると判明したといった場合も、 専門医を紹介してくれたり、大学病院への紹介状を書いてくれるなど、 速やかに治療を始めるための橋渡しをしてくれるはずです。働き盛りの40代、 50代の医者が望ましいと考えてしまいがちですが、そうとも限りません。 同年代だからわかってもらえる不調があると思います。それに、昔の医者は聴診器を胸に当てながら、 その人の顔をよく見て、傾聴を通して「こういう可能性がある」と目星をつけていました。 この、経験から培われた「勘」が侮れないのです。一方、今は数値至上主義で、 パソコンの画面しか見ていない医者が増え、患者さんが不調を訴えても、 数値が正常なら「問題ありません」などと告げられてしまうことが多くなりました。 でも問題がなかったら病院へはいきません。 数値的に問題がなくても具合が悪いものは具合が悪いのだから、 そこに寄り添ってくれる医者を選ぶべきだと思います。 総合診療(当時は内科診断学と呼ばれました)のトレーニングを受けた世代の町医者と、 受けていない世代の開業医がいるということも念頭においておく必要があるでしょう。 総合診療のトレーニングというのは、自分の専門分野だけでなく、 患者さんの身体を総合的に診るための教育のことです。周知のとおり、大学病院には 「内科」という科はなく、「呼吸器内科」「消化器内科」「循環器内科」などにわかれています。 こうして細分化することによって、高度医療を提供しているのです。医学部の医者たちは、 それぞれが専門の臓器に特化して学び、研究を通して専門性を高めているのです。 1970年代に各大学で開始された「臓器別診療」 による専門性の高い医療のおかげで多くの難病患者さんたちが命を救われてきたのですが、 多くの病気を抱える高齢者には不適切な治療である可能性が高いと考えています。 高齢化が進んだ現在では、大学病院の多い都道府県ほど平均寿命が短い傾向があるのです。 さて、大学病院で専門医として働いていた医者も、通常は、地域で開業する場合、 どんな病状の人でもある程度、診ることのできるスキルが求められます。ところが、医学の専門分化が進み、 50代より若い医者はほとんど総合診療の教育を受けていないまま開業するのが現実です。 欧米には「ファミリープラクティス」といって、乳児からお年寄りまで家族全員の健康相談、 病気の発見、診断、治療など総合的なケアを学ぶための機関があります。 イギリスでは医師全体の約半数が総合診療医だとされています。 日本には総合診療医の教育をする機関がほとんどありません。 近年になって注目され始めたというのが現状ですが、教える人がいないうえ、 スタッフの数が多くないのでうまく機能していないのは事実です。 こうしたことから40代、50代の町医者の多くが、 開業する直前まで大学病院や大病院で呼吸器とか消化器といった特定の臓器の専門医として治療にあたっていたと思われます。 それなのに開業するにあたって「内科クリニック」という看板を掲げて、「老人歓迎」「訪問診療もやります」 などと掲げるわけです。頭のかたい医者。狭い知識だけでわかったようなことをいうヘボ医者は素早く見抜いて回避しなくては、命を縮めることになりかねません。 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1571067647/126
127: 情報発信元:七七四通信社 [sage] 2023/12/19(火) 08:19:48.17 ID:oh42Azhp 誰かにとっては名医でも、自分にとっては精神衛生上悪い医者だということがあるのです。 たとえば血圧の数値が高くなって、いくらなんでもこれはマズイということで紹介された病院で、 医師からいきなり説教をされてカチンときてしまいました。 「叱られにきたのではない」「なんだこの偉そうな態度は」などといら立ちを覚え、 その医者のいうことを素直に聞く気になれなかったのです。 医者に会うと血圧が上がるなんて馬鹿なことがあってはいけません。 相性以前に誰にでも感じの悪い医者というのもいます。 たいていの医者は小さいころから成績優秀で周囲の人たちから一目おかれているうえに、若いころから 「先生」と呼ばれることも相まって「自分は偉い存在なのだ」と勘違いしていることが少なくないのです。 待合室がドンヨリとして暗い医院は要注意。逆に待合室が賑わっていて明るいのは、 真摯に患者さんと向き合う「いい医者」がいる証拠です。 医者によって患者さんが元気になるから待合室も賑わうのです。逆に元気のない患者さんばかりだと、 薬の出しすぎなどの問題があるかもしれません。加齢によってさまざまな不調が出やすい高齢者は、 何かあったときに気軽に相談できるかかりつけ医(主治医)を決めておくとよいでしょう。 風邪だと思っていたら、検査の結果、深刻な病の可能性があると判明したといった場合も、 専門医を紹介してくれたり、大学病院への紹介状を書いてくれるなど、 速やかに治療を始めるための橋渡しをしてくれるはずです。働き盛りの40代、 50代の医者が望ましいと考えてしまいがちですが、そうとも限りません。 同年代だからわかってもらえる不調があると思います。それに、昔の医者は聴診器を胸に当てながら、 その人の顔をよく見て、傾聴を通して「こういう可能性がある」と目星をつけていました。 この、経験から培われた「勘」が侮れないのです。一方、今は数値至上主義で、 パソコンの画面しか見ていない医者が増え、患者さんが不調を訴えても、 数値が正常なら「問題ありません」などと告げられてしまうことが多くなりました。 でも問題がなかったら病院へはいきません。 数値的に問題がなくても具合が悪いものは具合が悪いのだから、 そこに寄り添ってくれる医者を選ぶべきだと思います。 総合診療(当時は内科診断学と呼ばれました)のトレーニングを受けた世代の町医者と、 受けていない世代の開業医がいるということも念頭においておく必要があるでしょう。 総合診療のトレーニングというのは、自分の専門分野だけでなく、 患者さんの身体を総合的に診るための教育のことです。周知のとおり、大学病院には 「内科」という科はなく、「呼吸器内科」「消化器内科」「循環器内科」などにわかれています。 こうして細分化することによって、高度医療を提供しているのです。医学部の医者たちは、 それぞれが専門の臓器に特化して学び、研究を通して専門性を高めているのです。 1970年代に各大学で開始された「臓器別診療」 による専門性の高い医療のおかげで多くの難病患者さんたちが命を救われてきたのですが、 多くの病気を抱える高齢者には不適切な治療である可能性が高いと考えています。 高齢化が進んだ現在では、大学病院の多い都道府県ほど平均寿命が短い傾向があるのです。 さて、大学病院で専門医として働いていた医者も、通常は、地域で開業する場合、 どんな病状の人でもある程度、診ることのできるスキルが求められます。ところが、医学の専門分化が進み、 50代より若い医者はほとんど総合診療の教育を受けていないまま開業するのが現実です。 欧米には「ファミリープラクティス」といって、乳児からお年寄りまで家族全員の健康相談、 病気の発見、診断、治療など総合的なケアを学ぶための機関があります。 イギリスでは医師全体の約半数が総合診療医だとされています。 日本には総合診療医の教育をする機関がほとんどありません。 近年になって注目され始めたというのが現状ですが、教える人がいないうえ、 スタッフの数が多くないのでうまく機能していないのは事実です。 こうしたことから40代、50代の町医者の多くが、 開業する直前まで大学病院や大病院で呼吸器とか消化器といった特定の臓器の専門医として治療にあたっていたと思われます。 それなのに開業するにあたって「内科クリニック」という看板を掲げて、「老人歓迎」「訪問診療もやります」 などと掲げるわけです。頭のかたい医者。狭い知識だけでわかったようなことをいうヘボ医者は素早く見抜いて回避しなくては、命を縮めることになりかねません。 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1571067647/127
128: 情報発信元:七七四通信社 [sage] 2023/12/20(水) 02:22:44.00 ID:1b4kt5PT 日本人が薬漬けになっているのは今に始まったことではありませんが、 多くの人は医者が薬を出すと儲かるからだと認識しているのではないかと思います。 でもこれは誤解です。かつて日本では老人医療費が無料になった時代がありました。 そのころはどこの病院も高齢者であふれかえり、待合室は高齢者のサロンと化していたと批判されました。 病院の待合室で旅行の計画を相談する高齢者のグループがいるとか、 いつも来ている人が姿を見せないと「今日は具合でも悪くなったのかな」 と心配する声がある、などといった皮肉な話をよく耳にしました。親が死んだあと、 部屋の整理をしていたら、押し入れから大量の薬が出てきて驚いたといった話もあり、 要するに医者が病気でもない高齢者を集めて、金儲けをしていると揶揄されていたわけです。 現実的に考えれば、高齢者は高血圧や骨粗しょう症など慢性的な病を抱えて医者に来ることが多く、 風邪をひいたといった急性の病気で来ることは珍しいといえるでしょう。 そう考えれば待合室で旅行の計画を立てるグループがいても不思議ではないのです。 待合室の患者さんが元気だということは、その医者が名医である可能性が高いのです。 ところがマスコミは、日本の医者は病気でもない高齢者を集めて薬を出して金儲けをしていると考え、 厚生省も医療費を減らしたいという思惑で、無知なマスコミを上手にあおって、 90年代後半から医薬分業を押し進めました。つまり薬の処方は医師、 調剤は薬剤師と専門家がそれぞれに分担するシステムに変えていった。 薬を出せば出すほど儲かるのは院外薬局の経営者と製薬会社です。 ところが医者に入るのは処方箋料のみとなったにもかかわらず処方の数は減りませんでした。 このことは医者が金儲けのために薬を出していたのではないことを意味します。 ではなぜ日本人は相変わらず「薬漬け」なのかといえば、医者の教育が悪いからです。 多くの医者が自分の専門以外の症状を訴える患者さんに対しては、 標準治療の記された医者向けのマニュアル本を参考にして薬を処方していると思います。 マニュアル本では、各々の病気にこんな薬を出せばいいと3種類くらいの薬をすすめます。 これでは5つくらいの検査の異常値がある人は15種類の薬を出されることになります。 さらにつけ加えると、日本でいちばん売れているマニュアル本の 『今日の治療指針』という本の編集代表は製薬会社ととても仲がよく、 かつて血圧の薬の効果にまつわる大規模調査で改ざんをおこなったと認定されている東大教授です。 また、欧米ではあまり見られない日本の医療界の悪しき習慣として、薬の予防投与があります。 たとえばけがをした際に、まだ感染症が起こっていないのに抗生物質が出されます。 なるかならないかわからない症状に対して、 飲まないほうがいいにこしたことはない薬をすすめるなんてめちゃくちゃな話だと思いませんか 健康診断に関する標準値は厚労省の要請で学会幹部の医者が決めています。 ですから学会の研修会に参加している医者(この人たちは専門医とか認定医の資格をもらっています)は 「標準値から外れた患者さんには薬を投与する」という洗脳を受けにいっているようなものです。 内科学会の認定医で、研修にいかないと資格をとりあげられてしまうというシステム上、 参加しますが、いつも「メタボは恐ろしい。太っている人は危険です」といった話を滔々と聞かされ、 しかも質問コーナーがないので「だったらどうして太っていても長生きできる人がいるのか」 と疑問を呈したくてもきくチャンスがありません。 そもそも頭のかたい医者に限って、大学病院が教えることに疑いをもたない傾向にあって、 患者さんの症状によってフレキシブルな対応をするということができないのです。 これこそが大学病院が医療を支配する時代の悪しき名残りだといえるかもしれません。 そもそも治療とは誰のためのものか当然のことながら、患者さんがよりよく生きるためのものです。 ところが大学病院の多くの医師にとっての最大の関心事は、臓器機能を示す数値。 患者さんの暮らしぶりや、人生哲学などには興味がなく、ひたすら数値にこだわり続けます。 数値を下げるためにどういう治療が効果的なのか、一つでも多くのデータが欲しい、一つでも多くの成功例が欲しい。 大学病院の偉い先生は大学での実績を上げることで大学病院に貢献し、ひいては自分の評価を高めたい。 大学の偉い先生の下で働く医者は、手柄を立てて大学内部での肩書を引きあげてもらいたい。 もちろんそうでない真摯な医者もいますが、そういう誠実な人はなかなか出世できません。 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1571067647/128
129: 情報発信元:七七四通信社 [sage] 2023/12/21(木) 06:36:17.99 ID:7bTgXwoZ 当時は、腕のいい医者が教授でしたが、 今は動物実験ばかりやってきた人が教授になるのでさらに性質が悪いといえます。 とにかく、大学病院では人の人生という唯一無二の大切なものをないがしろにしたまま、 自分が専門としている臓器を正常値に戻すことだけを目指すという本末転倒な治療がまかり通っている。 残念ながらこのことは否めないのです。 大学病院は最先端の研究などを踏まえた高度医療の提供に努めています。いっぽうで、 研究業績を残さないと出世できないのですが、その研究の費用を提供しているのが、製薬会社です。 医局は製薬会社の意向に沿って薬を増やしたり、売れる薬の研究(といっても開発ではなく、 患者さんに効くかどうかを試すだけですが)をしている。大学病院と製薬会社は密接な関係にあるのです。 よって大学病院ではたくさん薬を使うことはしても、薬を減らすための研究はしていません。 アメリカでは医療費を払う保険会社が薬を減らす研究の資金を出しているのですが、 日本ではそういう資金を出すところがないからです。しかも厚労省は大学病院と製薬会社の味方です。 大学病院の幹部が決めた標準値を目安に、標準値を超えた人に対してバンバン薬を投与する図式は、 こういうメカニズムでつくられているのでしょう。 検査の数値を標準値にもっていかないといけないというイデオロギーに染まっている医者がいる限り、 そして治療を受ける側の人々が考えもなく医者に依存している限り、 異常値には薬を使えという信仰が蔓延し続け、結果、 薬漬け人間が増え続けることになるのです。薬については本当に深く考えなければ、 この国が寝たきり大国から脱することはできないでしょう。薬の量を減らしたことで、 寝たきりだったお年寄りが歩行することができるようになったという医療現場からの報告もあります。 1990年代に、「老人病院」といわれる長期入院型病院(現在では療養型病床といわれますが、 原則廃止の方向になっています)では、どれほど入院患者に投薬したとしても、 病院には一定額しか支払われないという入院治療代の定額制が導入されました。 これまでは出来高払いといって薬や点滴をするほど病院の収入が増えたのですが、 それ以降は、老人病院側としては、 できるだけ薬や点滴を減らしたほうが利益が上がるシステムになったので多くの病院で、 大幅に薬が減らされました。その結果、薬の使用料を3分の1まで減らした有名な老人病院の院長は、 講演会で「寝たきりだったお年寄りが歩行するまで回復したという例が少なからずあった」と語っています。 薬のとりすぎがどれほどまでに高齢者の身体を蝕んでいたか、という証言だったわけですが、 それではなぜ通常量とされる薬の投与が高齢者にとって大きなダメージになってしまうのかといえば、 老化にともない、臓器の働きが衰えているからです。薬を口から飲んだ場合、 胃腸で吸収されてから少し遅れたころに血中濃度がピークに達します。 その後、肝臓で分解され、腎臓で排出されるのを経て、少しずつ血中濃度が下がっていくのですが、 濃度が半分くらいまで下がったところで次の薬を飲むという繰り返しで、 血中の濃度がほぼ一定に保たれるというのが原則です。 薬によって飲みかたに違いがあるのは、血中の濃度が半減する時間が薬によって異なるからです。 8時間かかる薬なら1日に3回の服用、12時間であれば1日に2回の服用となります。 ここで問題なのは腎臓や肝臓の働きが衰えている高齢者の場合には、 薬を肝臓で分解するにしても、腎臓で排出するにしても、若い人より時間がかかるという点です。 高齢者が若い人と同じ量の薬を飲めば負担がかかるのはあたりまえなのに、 現状では子どもと大人によって薬の量を変えても、大人と高齢者という区わけはありません。 本来なら体型や体力、症状などを見合わせて薬を減らし、 その人にとってのベストな薬の使いかたをすべきなのです。 どうすればわたしたちは無駄な薬を飲まないようにできるのかと問われたら、 ひとりひとりが薬の弊害について熟考し、自分なりの考えをもって、 薬を使いたがる医療体制と対峙していくしかないでしょうと答えます。 もっと具体的にいえば、こういう現象はなぜ起こるのだろうかと考えてみることです。 たとえば、なぜ男性の平均寿命は女性の平均寿命より短いのかと思いをめぐらせてみる。 すると薬の問題が潜んでいることがわかります。この国では、 男性は社会のなかで仕事をして、女性は家を守るという専業主婦が主流の時代が続きました。 現在、80代になる人たちのなかで健康診断を毎年受けていたのは主に男性。 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1571067647/129
130: 情報発信元:七七四通信社 [sage] 2023/12/22(金) 07:19:47.07 ID:kfvvLamM 専業主婦やパート従業員が主だった女性は会社の定期検診を受けていないのです。 本来なら身体の異常にいち早く気づき、 数値を正常値に戻してきた男性のほうが健康管理がなされており、 長生きをしてしかるべきなのにそうなっていません。日本人の平均寿命が50歳を超えた当時、 男女の平均寿命は3〜4歳しか差がありませんでした。現在では、6歳の差があります。 健康診断が寿命をのばすならむしろ逆転してしかるべきなのに、差が広がっているのです。 会社の健康診断を受けず、つまり健康数値とは無縁に暮らしていた多くの女性は、 痛いとか痒いとか熱があるとかいった身体の異変を自覚しないと医者にいきませんでした。 対して多くの男性は自覚症状がないのに検診に引っかかって、 自覚的な不具合もないのに薬を飲み始め、飲み続けた。 女性は医者から数値を下げるための薬をすすめられる機会がなかったからこそ長生きなのではないかとさえ考えることができるのです。 数値を薬で正常値に戻すことが、本当に「元気で長生き」につながるのかと、 立ち止まって一考する必要があると思います。つまり医療の常識を疑う必要があるということです。 現在、大学病院を中心とする医療業界にはさまざまな課題がありますが、中でもまず問題視したいのは、 専門分化による診療です。大学病院に行くと、「呼吸器内科」「循環器内科」「消化器内科」「心臓外科」 「消化器外科」など臓器別の科が無数にあるのを目にします。現在の日本の医療業界では、 こうした各臓器によって専門特化した診療がスタンダードになっています。 医学が進歩する中、臓器別に特化した研究や臨床を続けると、各臓器に関する知識が深まり、 プロフェッショナルが育成され、医療レベルが上がりやすくなります。難病を患った時は、 その臓器の専門医に見てもらったほうがより良い治療を受けられるし、誤診も少なくなるはずです。 専門分化型の診療の何が悪いのかと思われるかもしれません。ところが、 これらの診療スタイルが効果を発揮するのは、あくまで「一つの病気」を患った場合の話です。 専門の臓器ばかりを診察していると、その弊害もあります。専門外のことを知らないため、 総合的に患者の体を診察できる医者がいなくなってしまう。現在の日本は、 まさに「総合診療ができる人材」がいないという危機的状況に陥っています。 何が問題なのかと、いまいちピンとこない方も多いかと思うので、一つ例を挙げてご説明していきます。 たとえば、長年にわたって糖尿病を専門としてきた医者が、開業したとしましょう。 とはいえ、「専門は糖尿病です」と謳うだけでは、患者さんはあまり来てくれませんので、その病院は 「糖尿病内科、内科、小児科」などと複数の看板を掲げることになります。専門が糖尿病なのに、 それ以外の科を掲げてもいいのだろうかとみなさんは疑問に思われるかもしれませんが、 これは決して違法ではありません。日本では、医師免許を持っている人であれば、 麻酔科以外の科を看板に掲げることが認められています。事実、大学の医学部に入ったら、 学生は一応全部の科目を履修しますし、仮に一つでも科目を落としたら留年します。 その学生が将来目指しているのが外科医や耳鼻科医であっても、内科や産婦人科、皮膚科など、 すべての科目を履修しなければ医者にはなれません。国家試験もいくつもの科目を織り交ぜているので、 医師国家試験に受かって医師免許を持っている人であれば、医学全般の知識を持っているとみなされます。 だから、開業する際に自分の専門以外の科を標榜してもまったく問題はないのです。 ただ、大学時代に学ぶ各科の知識は、あくまで「基礎的な勉強はしている」という程度。 それぞれの科について十分に訓練を積んでいるわけではありません。 自分の専門外の病気を持つ患者さんが来た場合は、自信を持って対応できるとは言い難いのです。 では、自分の専門外の病気を診察することになった場合、 医者はどのような対応をするかというと、日常診療の基本ガイドが書いてある医学ハンドブック 『今日の治療指針』(医学書院)などを参照し、書かれている通りの治療をします。 たとえば、自分の専門ではない胃潰瘍の患者さんを診ることになったなら、 「胃潰瘍」の項目を見て、そこに書かれている通りの治療をする。薬にしても、そこに書かれている薬を、 ガイドラインに沿ってそのまま処方することになります。このように個人差を考えず、 規定のガイドラインに従っただけの診療を行うと、どうしても総合的な診察の視点が抜け落ちてしまいます。 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1571067647/130
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