【愛媛】[新居浜市]新居浜太鼓祭り[2019/10/15-18] (319レス)
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196: [sage] 2024/03/08(金) 01:40:25.08 ID:w9NobgIz 見た感じ元気そうですが、ドーパミンの少なさに驚きました。これは重症ですよ」と言われ、 服薬と通院が決まった。帰宅して父親に報告すると、「やっぱりなあそうだと思ったんだよ 見てれば分かるよ」と心配するどころか、ドヤ顔。イラッとしたが、 「だったらなんで早く病院に連れて行かなかったの」と怒ると、しどろもどろになったあとに、 逆切れして怒鳴りだす。このとき、「若い頃から変だったが、父も何かしら病気なのではないか」 と思い始めた。夏になると、母親の物忘れがひどくなってきた。 行きつけの歯医者には一人で行けていたが、予約をしたことを忘れてしまうのだ。 父親のセルフネグレクトも気になって、包括支援センターへ行ってみることにした。相談すると、 すぐに母親の介護保険の申請手続きを勧められる。認定調査の日は、母親の面談にもかかわらず、 父親がしゃしゃり出てきて、喋り出したら止まらなかった。支援センターの職員も困り果て、 こっそり「お父さまは何とかしましょう。対策を練ります」と言ってくれた。 秋になると、母親に時間や場所がわからなくなる見当識障害が見られ始めていた。心配になった 脳神経内科へ母親を連れていき、認知症検査をしてもらうが異常なし。しかしその数日後、 母親は、「娘が病院に一緒に行ってくれるって」と嬉しそうに言う。思わず「私が誰だかわかる娘は私だよ 私の顔忘れないでね」と言うと、母親はハッとして、「分かってるよ忘れてないよそうだよね〜、 何言ってるんだろうね〜」と笑った。また別の日は、「ねえ、昔の古い家に来たことあったっけ」と言い出す。 実家は10歳の時に建て替えて、25歳まで一緒に住んでいた。目をぱちくりさせ、「お母さん何言ってんの」 と言うと、母親は自分が口にしたことのおかしさに気付き、取り乱して泣き出してしまう。 「この頃の母は情緒不安定気味で、もう何十年も疎遠になっているきょうだいを突然思い出し 『今どこにいるか分からないの。元気にしてるかも分からないの』と言って泣いたりもしていました」 「行方探してみる?」と聞くと、「今頼られてもこんな身体じゃ何もできないからいい」と言う母親。 この頃、2歳下の自分の弟に連絡を取ろうにも電話に出ず、 メールで両親の状況を報告しても音沙汰なしだった。年末には84歳の母親に要介護1の判定が出た。 しかし、デイサービスやリハビリへ行くよう勧めても拒否され、家で寝てばかり。 年の瀬に廊下で転倒して以来、転倒が怖いと言って入浴も拒否するようになってしまい、 着ている物もいつも同じ。「洗濯するから着替えよう」と言っても、 「大丈夫」と言うため、だんだん臭ってくる。85歳の父親も似たような状況が続いていた。 昼間はゴロゴロして夜中にドタバタ動き回り、2週に1回、買い物に行く前日だけ入浴。 耳が遠くなったため、テレビのボリュームを最大にしたまま、一晩中付けっぱなしだった。 85歳になった母親が失禁、便失禁をするようになり、リハビリパンツの使用を開始。 今まで唯一できていた洗濯も、気力がなくなったのか、できなくなってしまう。 だが、ようやく介助付きでなら、週末に入浴してくれるようになった。流通系の会社を退職し、 有休消化した後すぐに再就職していたが、この頃は「お母さんを頼むよ」と父親に言って出勤すると、 帰ってきた時に母親の体調が悪化して寝込んでいることもしばしば。 だが父親は、少しも気にしていない。「父にはもう期待しない」と心に誓った。 ようやく母親がデイサービスに行ってくれるようになり、喜んだ。ところが、 86歳になった父親は2週に一度の買い物に出かけた先で自転車ごと転倒して起き上がれなくなり、 もがいていたところを通行人が発見し救急車を要請。 一度の買い物で積載重量最大の買い物をするのでバランスを崩して転倒したようだ。 救急隊員から電話があり、搬送先が決まったら連絡すると言われたが、その約10分後、 「本人が、『歩いて帰る。病院は行かなくていい』と言うので救急搬送はしないことになりました。 一人で帰すのは不安なので迎えに来てください」との連絡がある。大急ぎで現場まで迎えに行った。 父親、また買い物後に転倒。転倒した場所のすぐ前に住んでいた人が親切で、 車で父親と自転車と荷物を運んでくれたため父親は無事帰宅。 2度の転倒でさすがの父親も懲りたのか、この後、自転車で一人で外出することはなくなった。 ところが、今度は母親がデイサービスに行きたくないと言い出し、また入浴もしなくなってしまった。 とうとう父親は家の中でも転倒を繰り返すようになった。 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1571067647/196
見た感じ元気そうですがドーパミンの少なさに驚きましたこれは重症ですよと言われ 服薬と通院が決まった帰宅して父親に報告するとやっぱりなあそうだと思ったんだよ 見てれば分かるよと心配するどころかドヤ顔イラッとしたが だったらなんで早く病院に連れて行かなかったのと怒るとしどろもどろになったあとに 逆切れして怒鳴りだすこのとき若い頃から変だったが父も何かしら病気なのではないか と思い始めた夏になると母親の物忘れがひどくなってきた 行きつけの歯医者には一人で行けていたが予約をしたことを忘れてしまうのだ 父親のセルフネグレクトも気になって包括支援センターへ行ってみることにした相談すると すぐに母親の介護保険の申請手続きを勧められる認定調査の日は母親の面談にもかかわらず 父親がしゃしゃり出てきて喋り出したら止まらなかった支援センターの職員も困り果て こっそりお父さまは何とかしましょう対策を練りますと言ってくれた 秋になると母親に時間や場所がわからなくなる見当識障害が見られ始めていた心配になった 脳神経内科へ母親を連れていき認知症検査をしてもらうが異常なししかしその数日後 母親は娘が病院に一緒に行ってくれるってと嬉しそうに言う思わず私が誰だかわかる娘は私だよ 私の顔忘れないでねと言うと母親はハッとして分かってるよ忘れてないよそうだよね 何言ってるんだろうねと笑ったまた別の日はねえ昔の古い家に来たことあったっけと言い出す 実家は歳の時に建て替えて歳まで一緒に住んでいた目をぱちくりさせお母さん何言ってんの と言うと母親は自分が口にしたことのおかしさに気付き取り乱して泣き出してしまう この頃の母は情緒不安定気味でもう何十年も疎遠になっているきょうだいを突然思い出し 今どこにいるか分からないの元気にしてるかも分からないのと言って泣いたりもしていました 行方探してみる?と聞くと今頼られてもこんな身体じゃ何もできないからいいと言う母親 この頃歳下の自分の弟に連絡を取ろうにも電話に出ず メールで両親の状況を報告しても音沙汰なしだった年末には歳の母親に要介護の判定が出た しかしデイサービスやリハビリへ行くよう勧めても拒否され家で寝てばかり 年の瀬に廊下で転倒して以来転倒が怖いと言って入浴も拒否するようになってしまい 着ている物もいつも同じ洗濯するから着替えようと言っても 大丈夫と言うためだんだん臭ってくる歳の父親も似たような状況が続いていた 昼間はゴロゴロして夜中にドタバタ動き回り週に回買い物に行く前日だけ入浴 耳が遠くなったためテレビのボリュームを最大にしたまま一晩中付けっぱなしだった 歳になった母親が失禁便失禁をするようになりリハビリパンツの使用を開始 今まで唯一できていた洗濯も気力がなくなったのかできなくなってしまう だがようやく介助付きでなら週末に入浴してくれるようになった流通系の会社を退職し 有休消化した後すぐに再就職していたがこの頃はお母さんを頼むよと父親に言って出勤すると 帰ってきた時に母親の体調が悪化して寝込んでいることもしばしば だが父親は少しも気にしていない父にはもう期待しないと心に誓った ようやく母親がデイサービスに行ってくれるようになり喜んだところが 歳になった父親は週に一度の買い物に出かけた先で自転車ごと転倒して起き上がれなくなり もがいていたところを通行人が発見し救急車を要請 一度の買い物で積載重量最大の買い物をするのでバランスを崩して転倒したようだ 救急隊員から電話があり搬送先が決まったら連絡すると言われたがその約分後 本人が歩いて帰る病院は行かなくていいと言うので救急搬送はしないことになりました 一人で帰すのは不安なので迎えに来てくださいとの連絡がある大急ぎで現場まで迎えに行った 父親また買い物後に転倒転倒した場所のすぐ前に住んでいた人が親切で 車で父親と自転車と荷物を運んでくれたため父親は無事帰宅 度の転倒でさすがの父親も懲りたのかこの後自転車で一人で外出することはなくなった ところが今度は母親がデイサービスに行きたくないと言い出しまた入浴もしなくなってしまった とうとう父親は家の中でも転倒を繰り返すようになった
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