【愛媛】[新居浜市]新居浜太鼓祭り[2019/10/15-18] (319レス)
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217: [sage] 2024/04/03(水) 04:36:03.27 ID:KdvsBg64 周りから人が離れていくのではなく、自分から人との繋がりを断ったという。 すべては、ギャンブルのために。そんな借金をしながらギャンブルをするときの心境はどうだったのか。 「借金をしていてもギャンブルはやはり楽しかった。 でも借金が100万円を超えたタイミングで楽しさが消えた」と話す。 すごく勝ったとしても1日20万円が限界。ボーナス(賞与)を全部返済に充てても返しきれない。 取り返しのつかないところまで来てしまっているのではないか。恐怖心が芽生えた。 その時にギャンブルを辞めることができればよかったが、タイミングが悪かった。 職場ではハラスメントを受け、プライベートでは人間関係に悩み、 ストレスを解消するためにギャンブルを続けた。そして金が底を尽きて生活が立ち行かなくなり、 自殺をはかった。自殺を試みたが幸い大事には至らなかった。このことをきっかけに、 ギャンブルによって借金を抱えていることを家族に打ち明けた。話し合いの結果、 金の管理を家族に任せるようになり、ギャンブルから抜け出せるかと思った。しかし、うまくはいかなかった。 借入口座を変更するなどして、こっそりと借金を繰り返し、ギャンブルを続けたのだった。 このことが家族に発覚し、家族から距離を取られた時期もあったという。 その後も借金は膨らみ、何とか返済しなければいけないと考えた。そこで、 より多くの金額を得る可能性がある競馬やボートレースもやるようになった。 「内心はギャンブルを辞めたいと思っていた。ギャンブルを知らない自分と入れ替わりたかった」 当時、ギャンブルをする前と後では2つの人格があったという。ギャンブルをする前は、 色々と調べて勝率を上げようと努力を重ね「今日こそは勝てるぞ」と前向きな気持ち。 しかし、ギャンブルで負けた後は、失意のどん底で、「どうして辞められないのか」と自己嫌悪に陥り、 自殺が頭をよぎるほど絶望的な気持ちになるという。ただ、「次こそはギャンブルをやめよう」と思っても、 寝て翌朝になると、なぜかまたギャンブルをやりたい気持ちになっていた。 朝起きて、レースを確認して、ギャンブルをする。休みの日には、 パチンコ店に行きパチンコを打ちながらスマホで競馬のレースをチェックするような生活だった。 ついに金銭的にどうにも生活が続けられない状況になった。再び頭に自殺がよぎった。 ただ、その時に偶然にも家の近くにギャンブル依存症の治療を行っている病院があることを知った。 「どうせ死ぬなら、ギャンブルを辞めるための方法を全部試してから死のう」病院で治療を受ける決心をした。 「怒られるかもしれないってビビりながら診察室に入った」という。 しかし、そこで診察を受け自分がギャンブル依存症という“病気”であることを認識した。 「自分の気合や根性ではどうしようもなく、脳の構造が変わっているんだと分かると、 自分自身を俯瞰してみることができた」という。それから、自分のギャンブルに対する認識や、 どういうときにギャンブルをしたくなるかなどを整理する認知行動療法を受け、 同じようにギャンブル依存症を治療している人たちと意見交換をし、 思いを共有する自助グループにも参加した。自助グループでの治療の効果を強く実感した。 「自分が犯した過ちを『めっちゃ分かる』って聞いてくれて、受け入れてもらえたような気がしました」 そして、周囲にギャンブル依存症であることをカミングアウトした。批判されないかと不安だった。 しかし、誰も批判する人はいなかった。中には「大変だったね」と声を掛けてくれる人もいたという。 「自分はギャンブル依存症だって言っても大丈夫なんだって思うことができてホッとした」と話す。 順調に治療が進んでいくように思えたが、ギャンブルの誘惑は襲い続けた。 ギャンブルをしたいという誘惑にかられた時は、免許証と鍵と携帯電話だけを持って家を出て、 ひたすら高速道路を車で走った。「高速道路にはパチンコ店はないので。“逃げないと殺される” と本気で思って運転していました」と当時を振り返る。そしてパチンコ店が閉店する時間になると家に帰った。 このような葛藤を繰り返す苦しい日々が続いた。それでも、ギャンブルをすることのない生活を続けることができるようになり、2021年に借金をすべて返済することがきた。 ただ、岸さんはギャンブル依存症とは一生付き合っていかなければいけないと話す。 「ギャンブル依存症に終わりはないと思っている。“病気と闘う”ではなく“病気と向き合っていく” という気持ちで、一生かけてギャンブル依存症と向き合い続けていきます」 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1571067647/217
周りから人が離れていくのではなく自分から人との繋がりを断ったという すべてはギャンブルのためにそんな借金をしながらギャンブルをするときの心境はどうだったのか 借金をしていてもギャンブルはやはり楽しかった でも借金が万円を超えたタイミングで楽しさが消えたと話す すごく勝ったとしても1日万円が限界ボーナス賞与を全部返済に充てても返しきれない 取り返しのつかないところまで来てしまっているのではないか恐怖心が芽生えた その時にギャンブルを辞めることができればよかったがタイミングが悪かった 職場ではハラスメントを受けプライベートでは人間関係に悩み ストレスを解消するためにギャンブルを続けたそして金が底を尽きて生活が立ち行かなくなり 自殺をはかった自殺を試みたが幸い大事には至らなかったこのことをきっかけに ギャンブルによって借金を抱えていることを家族に打ち明けた話し合いの結果 金の管理を家族に任せるようになりギャンブルから抜け出せるかと思ったしかしうまくはいかなかった 借入口座を変更するなどしてこっそりと借金を繰り返しギャンブルを続けたのだった このことが家族に発覚し家族から距離を取られた時期もあったという その後も借金は膨らみ何とか返済しなければいけないと考えたそこで より多くの金額を得る可能性がある競馬やボートレースもやるようになった 内心はギャンブルを辞めたいと思っていたギャンブルを知らない自分と入れ替わりたかった 当時ギャンブルをする前と後では2つの人格があったというギャンブルをする前は 色と調べて勝率を上げようと努力を重ね今日こそは勝てるぞと前向きな気持ち しかしギャンブルで負けた後は失意のどん底でどうして辞められないのかと自己嫌悪に陥り 自殺が頭をよぎるほど絶望的な気持ちになるというただ次こそはギャンブルをやめようと思っても 寝て翌朝になるとなぜかまたギャンブルをやりたい気持ちになっていた 朝起きてレースを確認してギャンブルをする休みの日には パチンコ店に行きパチンコを打ちながらスマホで競馬のレースをチェックするような生活だった ついに金銭的にどうにも生活が続けられない状況になった再び頭に自殺がよぎった ただその時に偶然にも家の近くにギャンブル依存症の治療を行っている病院があることを知った どうせ死ぬならギャンブルを辞めるための方法を全部試してから死のう病院で治療を受ける決心をした 怒られるかもしれないってビビりながら診察室に入ったという しかしそこで診察を受け自分がギャンブル依存症という病気であることを認識した 自分の気合や根性ではどうしようもなく脳の構造が変わっているんだと分かると 自分自身をしてみることができたというそれから自分のギャンブルに対する認識や どういうときにギャンブルをしたくなるかなどを整理する認知行動療法を受け 同じようにギャンブル依存症を治療している人たちと意見交換をし 思いを共有する自助グループにも参加した自助グループでの治療の効果を強く実感した 自分が犯した過ちをめっちゃ分かるって聞いてくれて受け入れてもらえたような気がしました そして周囲にギャンブル依存症であることをカミングアウトした批判されないかと不安だった しかし誰も批判する人はいなかった中には大変だったねと声を掛けてくれる人もいたという 自分はギャンブル依存症だって言っても大丈夫なんだって思うことができてホッとしたと話す 順調に治療が進んでいくように思えたがギャンブルの誘惑は襲い続けた ギャンブルをしたいという誘惑にかられた時は免許証と鍵と携帯電話だけを持って家を出て ひたすら高速道路を車で走った高速道路にはパチンコ店はないので逃げないと殺される と本気で思って運転していましたと当時を振り返るそしてパチンコ店が閉店する時間になると家に帰った このような葛藤を繰り返す苦しい日が続いたそれでもギャンブルをすることのない生活を続けることができるようになり年に借金をすべて返済することがきた ただ岸さんはギャンブル依存症とは一生付き合っていかなければいけないと話す ギャンブル依存症に終わりはないと思っている病気と闘うではなく病気と向き合っていく という気持ちで一生かけてギャンブル依存症と向き合い続けていきます
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