【愛媛】[新居浜市]新居浜太鼓祭り[2019/10/15-18] (319レス)
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39: 2023/09/05(火)15:42 ID:BWdgRS4r(3/3) AAS
彼の話を聞きながら考えていた。強い義務感、緊張感、焦燥感、そして消耗感。
さらに、自己肯定感がない、もしくは極端に低い。また、抗うつ薬があまり効かず、治りにくい。
緊張の糸が、ぷつりと切れてしまったきりで動かなくなってしまったかのような彼の容態は、
「燃え尽き症候群(Burnout Syndrome)」に違いなかった。人生の初期、彼ら“虐待サバイバー”
は守ってくれるはずの親から守られず、むしろ積極的に虐げられてきた。ゆえに、親に頼る、
助けてもらうということを経験してこなかった。だから、目の前のことは自分でこなすしか選択肢を知らず、
人に助けを求めたり、頼ったりすることを極端に避けてしまう。これは、“虐待サバイバー”
に共通の心理でもある。親に頼れなかった経験は、大人になって強い義務感として現れ、緊張感を強いる。
褒められた体験もないか乏しいから、自分を認めて甘やかすことも知らない(自分に報酬を与えられない)。
こうして彼らは絶えず緊張していて、気持ちが緩むこともない。ゆえに、「情緒的消耗感」
が彼らは普通の何倍も激しいのだろうと思う。以上の理由から、“虐待サバイバー”
は燃え尽き症候群を発症しやすいのではないかと私は感じている。28歳のときに最初のうつ病を発症した。
厳密に言うと、それは燃え尽き症候群だっただろう。しかし、主治医の制止を振りきって職場に復帰した。
休んでいるほうが落ち着かなかった。休職したのは、1ヵ月ほどだった。
仕事を休んでしまったという後ろめたさがあった。それで、彼は勤めていた工場を辞めて、
別の会社に就職した。それから十数年が経ち、40歳のときに再び倒れてしまった。
うつ病が完治したと思っていた彼は、精神科への通院はやめていた。そこで、また別の精神科にかかり、
再び抗うつ薬を処方された。傷病手当をもらいながら治療に専念することになった。
今度は心理療法も追加された。だが、それもあまり効かなかった。
傷病手当を受けとれる期間が終わりそうになり、彼は職場に復帰した。
それから5年後の45歳のとき、三度、彼は倒れてしまった。今度は、まったく体に力が入らなかった。
そのころには疲れていても眠れず、睡眠薬を処方されても効かなかった。
ただ、体が重くなるだけだった。40歳で倒れたときから彼を診ている主治医は、入院を勧めた。
それで彼は、しばらく入院することになった。そのあいだに仕事は辞めた。退院後、
就職活動をしたが、休職が多いことを指摘されて採用にいたることはなかった。そして、預貯金が尽き、
生活保護の申請に赴いた。生活保護になったという負い目から、彼は就職活動に必死だった。
しかし、うまくいかなかった。せっかく仕事に就いても、疲れきっていて体が思うように動かなかった。
仕事の覚えも悪く、迷惑がかかると思った彼は、職を辞しては、
また新たな職場に勤めるということを繰り返していた。なかなか自立には向かわなかった。
自立しようとがんばるが余計に疲弊していく。そんな悪循環があった。
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