【愛媛】[新居浜市]新居浜太鼓祭り[2019/10/15-18] (319レス)
上
下
前
次
1-
新
40
: 2023/09/06(水)19:07
ID:Iv7nNrcG(1/2)
AA×
[240|
320
|
480
|
600
|
100%
|
JPG
|
べ
|
レス栞
|
レス消
]
40: [sage] 2023/09/06(水) 19:07:39.52 ID:Iv7nNrcG 虐待されてきた本当の理由を知るという、自身の生い立ちに関する理解は、“虐待サバイバー” の心の傷の回復には重要である。しかし、これはつらい過程でもある。残酷な事実も突きつけられる。 これまでのがんばりと我慢によって、必死に見ないようにしてきたものが眼前に次々と容赦なく現れ、 深い眩暈(めまい)が襲い、心がよじれることもあるだろう。彼らにとっての回復とは、 深く自分に向きあう過程である。と同時に、カウンセラーにとっても、 自分の限界と向きあうきっかけにもなる。以下で、自身の過去に向き合うことで心の傷から回復した、 ひとりの女性の事例を紹介したい。「ひきこもるために生活保護費をだしてもらっているわけではないのに」 と初回のカウンセリングで漏らした、43歳である。彼女は強い対人恐怖が原因で、 人と関わらず、ひきこもりの生活を長年にわたって送っていた。 ごく簡単に生活保護になるまでの経緯と成育歴を聞きとった。そうして得られた情報は、 彼女が虐待環境下で育ってきたことを示していた。人前に出られないほどの極度の緊張。 町を歩くだけでも嵩じる恐怖心。その背景には幼少期からの虐待が深く関係しており、 愛着障害による影響があることを、彼女に伝えた。 これまでに通った精神科クリニックや親子関係を専門に扱うカウンセラーからは、 親子の問題を指摘されることはあっても、愛着関係(親との情緒的なつながり)そのものが「ない」 かもしれないと指摘されたことは、なかったという。どのカウンセリングでも共通することだが、 その目的はクライエントが自分を深いところで知ること、理解することである。 「自分の気持ちを見ていくといいと思います」いつもカウンセリングの終わりに伝えるのは、この言葉である。 「自分の気持ちを見ていくといい、と言われて考えていました。母からされたことが本当につらくて、怖くて。 ずっと、そのことを母にわかってほしいと思っていたんです。母に正直な気持ちを伝えれば、 絶対にわかってくれると考えていました。多分、それは無理だとここで言われたので、 先生への反抗もあったんだと思います。母は共感性が乏しいから、理解しあうことは無理だと、 はっきり言われたのははじめてでした。それで、急にたしかめたくなったんです。 十数年ぶりに実家に行って、母と話しました」と彼女は、 前回と今回のカウンセリングのあいだの出来事を話しはじめた。彼女の実家は、 夜行バスで走り続けて7時間のところだった。十数年ぶりの母親との再会。 駅で待ちあわせると、不機嫌そうな顔をして立っている母親がいた。 「勇気をだして、小さいころに叩かれて押入れに閉じ込められたのがすごく長い時間だったので、 とても怖かったと、言ってみようと思ったんです。そのとき、家はいろいろと大変でした。 父は借金があってお酒ばかり飲んでいたし、弟は小学校に行きたくないと言っていたし。 だから、母も大変だったんだと思って。そんな最中だったから、いまとなれば、 あれはひどいことをしたと思ってくれているだろうと思ったんです。『悪かったね』 と言ってくれるのを期待していた私がいました。だけど母は、『そんなことあったっけ』 『あんたの記憶違いじゃないの』『そんなことするはずないでしょ大事に育ててきたんだから』 という返事でした。もし母が本当に私のことを大事に思ってくれているのなら、 ちょっとくらい連絡してきてくれてもいいのに、と思いました。それも言ったんです。 そしたら母は、『あんたから電話してこなかったんじゃないのこっちは忙しいのよ』って。 しかも、私が受けた母からの暴力や暴言の数々は、母の頭から綺麗さっぱり消えているんです。 そんな人に、私が一生懸命につらかったと訴えても、なんにも響かないというか。すごく残念というか、 なんというか、どうにもならないような、打ちのめされた気持ちになりました。無力感です」 母親は、家に着くなり荒々しく玄関の扉を開けた。そして、どかりと板の間に座り込んで言った。 「あんたの話に付きあっていたら疲れた」そういう母親の態度に、彼女はいつも怯え、機嫌をうかがっていた。 彼女は、母親に機嫌を直してもらおうとした。なにかしてほしいことはないかと聞くと、「掃除」とひとこと。 彼女は従った。しかし、カビだらけになった風呂場の掃除をしていると涙が出てきた。それから少しして、 彼女は言った。「急な用事を思いだしたから、今日はもう帰るね」それを母親は止めなかった。 そして、再びひとことだけ言った。「掃除は終わったんだよね掃除してもらうために、 わざわざ駅まで迎えに行ったのに」「言われたことは本当でした。 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1571067647/40
虐待されてきた本当の理由を知るという自身の生い立ちに関する理解は虐待サバイバー の心の傷の回復には重要であるしかしこれはつらい過程でもある残酷な事実も突きつけられる これまでのがんばりと我慢によって必死に見ないようにしてきたものが眼前に次と容赦なく現れ 深いめまいが襲い心がよじれることもあるだろう彼らにとっての回復とは 深く自分に向きあう過程であると同時にカウンセラーにとっても 自分の限界と向きあうきっかけにもなる以下で自身の過去に向き合うことで心の傷から回復した ひとりの女性の事例を紹介したいひきこもるために生活保護費をだしてもらっているわけではないのに と初回のカウンセリングで漏らした歳である彼女は強い対人恐怖が原因で 人と関わらずひきこもりの生活を長年にわたって送っていた ごく簡単に生活保護になるまでの経緯と成育歴を聞きとったそうして得られた情報は 彼女が虐待環境下で育ってきたことを示していた人前に出られないほどの極度の緊張 町を歩くだけでも嵩じる恐怖心その背景には幼少期からの虐待が深く関係しており 愛着障害による影響があることを彼女に伝えた これまでに通った精神科クリニックや親子関係を専門に扱うカウンセラーからは 親子の問題を指摘されることはあっても愛着関係親との情緒的なつながりそのものがない かもしれないと指摘されたことはなかったというどのカウンセリングでも共通することだが その目的はクライエントが自分を深いところで知ること理解することである 自分の気持ちを見ていくといいと思いますいつもカウンセリングの終わりに伝えるのはこの言葉である 自分の気持ちを見ていくといいと言われて考えていました母からされたことが本当につらくて怖くて ずっとそのことを母にわかってほしいと思っていたんです母に正直な気持ちを伝えれば 絶対にわかってくれると考えていました多分それは無理だとここで言われたので 先生への反抗もあったんだと思います母は共感性が乏しいから理解しあうことは無理だと はっきり言われたのははじめてでしたそれで急にたしかめたくなったんです 十数年ぶりに実家に行って母と話しましたと彼女は 前回と今回のカウンセリングのあいだの出来事を話しはじめた彼女の実家は 夜行バスで走り続けて時間のところだった十数年ぶりの母親との再会 駅で待ちあわせると不機嫌そうな顔をして立っている母親がいた 勇気をだして小さいころに叩かれて押入れに閉じ込められたのがすごく長い時間だったので とても怖かったと言ってみようと思ったんですそのとき家はいろいろと大変でした 父は借金があってお酒ばかり飲んでいたし弟は小学校に行きたくないと言っていたし だから母も大変だったんだと思ってそんな最中だったからいまとなれば あれはひどいことをしたと思ってくれているだろうと思ったんです悪かったね と言ってくれるのを期待していた私がいましただけど母はそんなことあったっけ あんたの記憶違いじゃないのそんなことするはずないでしょ大事に育ててきたんだから という返事でしたもし母が本当に私のことを大事に思ってくれているのなら ちょっとくらい連絡してきてくれてもいいのにと思いましたそれも言ったんです そしたら母はあんたから電話してこなかったんじゃないのこっちは忙しいのよって しかも私が受けた母からの暴力や暴言の数は母の頭から麗さっぱり消えているんです そんな人に私が一生懸命につらかったと訴えてもなんにも響かないというかすごく残念というか なんというかどうにもならないような打ちのめされた気持ちになりました無力感です 母親は家に着くなり荒しく玄関の扉を開けたそしてどかりと板の間に座り込んで言った あんたの話に付きあっていたら疲れたそういう母親の態度に彼女はいつも怯え機嫌をうかがっていた 彼女は母親に機嫌を直してもらおうとしたなにかしてほしいことはないかと聞くと掃除とひとこと 彼女は従ったしかしカビだらけになった風呂場の掃除をしていると涙が出てきたそれから少しして 彼女は言った急な用事を思いだしたから今日はもう帰るねそれを母親は止めなかった そして再びひとことだけ言った掃除は終わったんだよね掃除してもらうために わざわざ駅まで迎えに行ったのに言われたことは本当でした
上
下
前
次
1-
新
書
関
写
板
覧
索
設
栞
歴
あと 279 レスあります
スレ情報
赤レス抽出
画像レス抽出
歴の未読スレ
AAサムネイル
ぬこの手
ぬこTOP
0.108s