【愛媛】[新居浜市]新居浜太鼓祭り[2019/10/15-18] (319レス)
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93: [sage] 2023/11/10(金) 03:51:36.34 ID:G5bwiEpq 死亡前1カ月間でがん患者の40%が痛みを訴え、死亡前1週間だと約30%の方が 「ひどい痛み」を訴えると聞くと、つい気が重くなってしまう。治癒できなくても、 残された時間のQOL(生活の満足度)を高める抗がん剤はないのだろうか。 延命よりもそんなことを末期のがん患者さんが望んでいると聞いたとき、 P-THPという抗がん剤を思い出したのである。教授が開発したP-THPについて、 当時、抗がん剤はがんを治療することが前提であって、 ステージ4の患者さんのQOLを維持するという発想はもとよりなかった。それに、ある化合物が「薬」 と認められるというのは、治験(臨床試験)によって有効性(効き目)と安全性(副作用)を示すことであって、 QOLを維持する抗がん剤は、はなから対象外なのだ。そんなことから、 P-THPは治療よりQOLを維持するのにすぐれた抗がん剤であることをすっかり見逃していた。 P-THPの構造は簡単で、ピラルビシンという昔からある抗がん剤にポリマーをくっつけただけである。 臨床試験で有効性と安全性が認められていない、つまり未承認の抗がん剤だった。 このP-THPを何度も動物試験で安全性を確かめると、 余命3カ月を切ったステージ4のがん患者さんから、安全性試験の希望者を募った。 それを取材させていただいたのである。希望した多くの方たちは「治療の方法はありません」 と見放されたが、がんとの闘いを諦めたわけではなかった。そんな彼らを観察していて、 P-THPはこれまでの抗がん剤とまったく違うことに驚いた。例えば肺腺がんで余命3ヶ月。 ストレッチャーに乗せられてやってきたが、希望は「口内炎が治ったらラーメンが食べたい」だった。 点滴でP-THPの投与を受けたあと、こう言ったのだ。「副作用がない」 抗がん剤につきものの副作用はゼロだったそうだ。これまで一人でトイレにも行けなかったのに、 やがて自分で歩いて行けるようにもなった。3週間もすると、あれほど願っていたラーメンを、 タクシーに乗って食べに行けるようになった。それだけではない。餃子やレアチーズなど、 好きなものが食べられるようになったのだ。とはいえ治癒したわけではない。余命は3ヶ月だったが、 7ヶ月後に静かに看取られたという。前立腺がんの末期だった農家。いきなり余命2ヶ月と言われて、 家族も見ていられないほど落ち込んでいた。それがP-THPの投与から1ヶ月後に会うと、 「毎日畑に出て働いています」と笑いながら言ったのだ。「痛みはないし、食事も普通に食べています。 びっくりです」と目を輝かせた。2カ月が1年に延命して亡くなられたが、 最期まで孫たちと楽しそうに過ごしていたという。直腸がんが肺に転移したがん末期は、 抗がん剤の副作用でひどい目にあってから二度と治療はしないつもりでいた。 ところが、転移したがんがリンパ節を圧迫して歩けなくなった。 そんなときに副作用がないというP-THPのことを聞いて試してみたそうだ。残念ながら、 投与しても腫瘍マーカーは下がらなかったのだが、なぜか多発性肺転移によくある呼吸苦もなく、 すこぶる元気そうだった。日がな一日好きなピアノで作曲をしながら、最期まで満足そうだったという。 地方公務員が肺がんとわかったときは既にステージ4だった。余命は「2ヶ月から半年」。 やがて呼吸が苦しくなり、好きなラーメンも食べられなくなった。それがP-THPで痛みがなくなり、 そのうえ副作用がないから、「今のうちにやれることはやっておこう」と、パソコンで仕事をしはじめた。 転移したリンパ節転移も、肺の腫瘍もP-THPで縮小したが、腫瘍マーカーの数値が下がらず、 半年後に亡くなった。好きなラーメンを毎日のように食べ、最期は痛みもなく旅立ったという。 P-THPの投与を受けた全員が延命できたわけではない。この4人を含めて4割程度だった。 ただ共通するのは、痛みがほとんど消え、好きな物を食べられたことである。 なぜ痛みが消えて好きなものが食べられたのか、教授もわからないと言っていた。 がんを治そうと、世界中が抗がん剤の開発にしのぎを削っているが、 ステージ4のがんを治癒できないのは今も昔も同じである。 もちろん患者さんは治したい気持ちはあるが、治らないから苦しむよりも、QOLを維持しながら、 つまりがんと共生しながら、残された時間を思う存分生きたいという患者さんは少なくない。 P-THPは、おそらく、それを実現できる唯一の抗がん剤だったように思う。 それが治療薬にならなかったことが今も残念でならない。P-THPでなくても、 確実に「QOLを維持」できる抗がん剤があるなら、ぜひとも認めるべきではないだろうか。 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1571067647/93
死亡前カ月間でがん患者のが痛みを訴え死亡前週間だと約の方が ひどい痛みを訴えると聞くとつい気が重くなってしまう治癒できなくても 残された時間の生活の満足度を高める抗がん剤はないのだろうか 延命よりもそんなことを末期のがん患者さんが望んでいると聞いたとき という抗がん剤を思い出したのである教授が開発したについて 当時抗がん剤はがんを治療することが前提であって ステージの患者さんのを維持するという発想はもとよりなかったそれにある化合物が薬 と認められるというのは治験臨床試験によって有効性効き目と安全性副作用を示すことであって を維持する抗がん剤ははなから対象外なのだそんなことから は治療よりを維持するのにすぐれた抗がん剤であることをすっかり見逃していた の構造は簡単でピラルビシンという昔からある抗がん剤にポリマーをくっつけただけである 臨床試験で有効性と安全性が認められていないつまり未承認の抗がん剤だった このを何度も動物試験で安全性を確かめると 余命カ月を切ったステージのがん患者さんから安全性試験の希望者を募った それを取材させていただいたのである希望した多くの方たちは治療の方法はありません と見放されたががんとの闘いを諦めたわけではなかったそんな彼らを観察していて はこれまでの抗がん剤とまったく違うことに驚いた例えば肺腺がんで余命ヶ月 ストレッチャーに乗せられてやってきたが希望は口内炎が治ったらラーメンが食べたいだった 点滴での投与を受けたあとこう言ったのだ副作用がない 抗がん剤につきものの副作用はゼロだったそうだこれまで一人でトイレにも行けなかったのに やがて自分で歩いて行けるようにもなった週間もするとあれほど願っていたラーメンを タクシーに乗って食べに行けるようになったそれだけではない子やレアチーズなど 好きなものが食べられるようになったのだとはいえ治癒したわけではない余命はヶ月だったが ヶ月後に静かに看取られたという前立腺がんの末期だった農家いきなり余命ヶ月と言われて 家族も見ていられないほど落ち込んでいたそれがの投与からヶ月後に会うと 毎日畑に出て働いていますと笑いながら言ったのだ痛みはないし食事も普通に食べています びっくりですと目を輝かせたカ月が年に延命して亡くなられたが 最期まで孫たちと楽しそうに過ごしていたという直腸がんが肺に転移したがん末期は 抗がん剤の副作用でひどい目にあってから二度と治療はしないつもりでいた ところが転移したがんがリンパ節を圧迫して歩けなくなった そんなときに副作用がないというのことを聞いて試してみたそうだ残念ながら 投与しても腫マーカーは下がらなかったのだがなぜか多発性肺転移によくある呼吸苦もなく すこぶる元気そうだった日がな一日好きなピアノで作曲をしながら最期まで満足そうだったという 地方公務員が肺がんとわかったときは既にステージだった余命はヶ月から半年 やがて呼吸が苦しくなり好きなラーメンも食べられなくなったそれがで痛みがなくなり そのうえ副作用がないから今のうちにやれることはやっておこうとパソコンで仕事をしはじめた 転移したリンパ節転移も肺の腫もで縮小したが腫マーカーの数値が下がらず 半年後に亡くなった好きなラーメンを毎日のように食べ最期は痛みもなく旅立ったという の投与を受けた全員が延命できたわけではないこの人を含めて割程度だった ただ共通するのは痛みがほとんど消え好きな物を食べられたことである なぜ痛みが消えて好きなものが食べられたのか教授もわからないと言っていた がんを治そうと世界中が抗がん剤の開発にしのぎを削っているが ステージのがんを治癒できないのは今も昔も同じである もちろん患者さんは治したい気持ちはあるが治らないから苦しむよりもを維持しながら つまりがんと共生しながら残された時間を思う存分生きたいという患者さんは少なくない はおそらくそれを実現できる唯一の抗がん剤だったように思う それが治療薬にならなかったことが今も残念でならないでなくても 確実にを維持できる抗がん剤があるならぜひとも認めるべきではないだろうか
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