【愛媛】[新居浜市]新居浜太鼓祭り[2019/10/15-18] (319レス)
【愛媛】[新居浜市]新居浜太鼓祭り[2019/10/15-18] http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1571067647/
上
下
前次
1-
新
通常表示
512バイト分割
レス栞
抽出解除
必死チェッカー(本家)
(べ)
レス栞
あぼーん
21: 情報発信元:七七四通信社 [sage] 2023/08/26(土) 09:32:49.27 ID:+7WrPMye 香川大学医学部附属病院に勤務する32歳の医師の男が、大学内の女子更衣室に侵入し、 女性の白衣などを盗んだとして、逮捕された。建造物侵入と窃盗の疑いで逮捕されたのは、 香川大学医学部附属病院の医師で、高松市高松町に住む高橋宥貴容疑者(32)。 警察の調べによりと、高橋容疑者は、7月26日から8月9日までの間、 香川県三木町にある香川大学医学部の女子更衣室に侵入し、 21歳の女性の白衣や靴など8点を盗んだ疑い。警察が、 22日に別の事件の捜査で高橋容疑者の車を調べていたところ、女性の白衣などが見つかり、 犯行が特定された。警察の取り調べに対し高橋容疑者は、「盗んだことに間違いあん」 と容疑を認めているという。警察が余罪を視野に調べを進めていす。 香川大学医学部附属病院に勤務する医師が大学の女子更衣室に侵入し、 女子大学生の白衣などを盗んだとして、逮捕された。建造物侵入と窃盗の容疑で逮捕されたのは、 香川大学医学部附属病院の形成外科と美容外科で診療していた医師の男(32)。 警察によりと、男は7月26日〜8月9日にかけて、三木町の大学構内にある女子更衣室に侵入し、 女子大学生(21)の白衣や靴などを盗んだ疑い。警察が、別件で男の車を捜索していたところ、 車の中から女子大学生の白衣などが見つかったという。男と女子大学生の関係は分かっていせん。 警察の調べに対して、男は容疑を認めているという。香川大学では「今後、 捜査に全面的に協力していくとともに、厳正に対処してまいり」とコメントしていす。 香川県三木町の大学の女子更衣室に侵入し、女子大学生の私物を盗んだとして、香川県高松市に住む、 大学附属病院に勤務する医師の男が逮捕された。建造物侵入と窃盗の容疑で逮捕されたのは、 高松市の医師の男(32)。警察によりと、男は7月26日午後4時ごろから8月9日午前8時過ぎまでの間に、 三木町の大学構内にある女子更衣室に侵入し、女子大学生(21)の白衣や靴、 名札など8点(約7500円相当)を盗んだ疑いがもたれていす。警察が別件で男の車を捜索していたところ、 車の中から女子大学生の物品が見つかったという。男と女子大学生の関係性などはわかっていせん。 警察の調べに対し、男は「盗んだことに間違いあん」と容疑を認めていて、警察は余罪も含めて捜査を進めていす。 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1571067647/21
22: 情報発信元:七七四通信社 [sage] 2023/08/26(土) 11:04:29.37 ID:+7WrPMye 2022年年の5月に、医療センターに勤務していた26歳の男性専攻医が、命を絶ったことが報じられた。 両親宛てに残した遺書にはこう書かれていたという。「悪いのは全て僕です。誰も悪くないです。 最後にお母さんが来て、お父さんが電話をくれたこと嬉しかったです。幸せでした。 お母さんに辛い思いをさせるのが苦しいですもっといい選択肢はあると思うけど選べなかった」 職場の病棟スタッフにはこのように遺していた。「少し無理をするのに限界があったみたいです。 何も貢献出来ていないのにさらに仕事を増やし、ご迷惑をおかけしてすいません」医師になって3年目、 過酷な労働環境の中での自死。この件に対して、多くの医師がSNSで自分の経験を語っている。 小児科医・新生児科医も「もう10年以上前の話。地方のNICUで後期研修をした時、自分はうつ状態でした。 妻の話では天井に向かって何度も死にたいと言っていたそうですが、全く覚えてません」とポストした。 「今回の件は、多くの医師が他人事とは思えなかったはずです。心から頑張られたことと、 ご冥福をお祈りしたいです。医師の過重労働問題は、日本だけではありません。 アメリカでも年間約300〜400人の医師が自死で亡くなっているという報告があります。 つまり、一日にひとり、命を落としていることになります。医師の自殺率の高さに対して、 様々な国の医師会や医学部からも声明も出されています」と語るのは、 ハーバード大学准教授で小児精神科医・脳科学者でもある医師だ。自分自身も医大生時代、 研修医時代ともに過酷な環境で過ごした経験があるという。私たちの健康に関わる医師たちの環境が、 こんなにも不健康なものだったのか。私は、日本の大学の医学部とアメリカの研修を経験していますが、 医学部も研修医生活も予想を遥かに超える勉強量と仕事量を求められました。 医学生時代は、毎週ある試験の準備で、まったく休むことができませんでした。それまで、 人生の中でこんなにも勉強をした経験がない言えるほどその期間は長く続きました。 しかもひとつの試験に落ちると留年する仕組みで、 リカバリーが効かないプレッシャーは想像を越えるものでした。私は、 得意分野と不得意分野があったので、不得意分野は友人に家庭教師のように教えてもらったり、 勉強会を開いたりと、支えられながら試験を乗り越えました。勉強面で「お互いを支え合う」 という文化はありがたい面もありましたが、「みんなで運命を共にする」といった空気が高まり、とにかく 「レールから外れてはダメ」、敷かれたレールを予定通りに進まない限り「振るい落とされる」 という雰囲気が強く感じられました。しかも、医学部に入学するや否や、医学部体育会の部活に勧誘され、 そこで「先輩後輩の繋がりを築くことが、その後医師として生きていくために必要だ」と度々言われました。 もちろん、医学部体育会の部活が青春時代が宝物だという友人もいますし、 そこで培った人間関係が職業の中でも役立つだけでなく、 卒業後も続く心をかけがえのない友情を育んだ友人もいるので、 すべてが悪いことばかりではありません。しかし、私にとっては、ありがたい思い出もあるものの、 それらの経験はその後の医療現場にも繋がっていく問題点を垣間見るものでもありました。 右も左もわからなかった新入生の私は言われるがままに部活に入ってみたものの、 授業を休んでまでも自分は出場しない大会のボール拾いと応援のために駆り出され、 先輩からの飲み会への誘いは未成年であっても断ってはいけないという理不尽な圧を先輩からかけられました。 自分はなんのために医学部に入ったのかを忘れてしまうような強制力を持つ環境、 そんなレールの乗っていることに違和感を覚えました。 大学一年ころ、精神的につらい思いになったときがあり、当時住んでいた学生会館から数日、 実家に帰ろうと考えていました。そのことを同じ部活だった同級生に話すと、 「明日は、部の一年生全員で卒業生に寄付金を募るための手紙を封筒に詰める日だから、 そこにいないのはダメだよ」と言われたのです。10人以上いた一年生で30分くらいで終わる作業なのに、 「一人も欠けてはならない」と平然と言う同級生。この言葉は、「どんなに個人がつらい思いをしていても、 みんなで同じ苦労をしなければならないという習慣」を象徴していると感じ、 私は部活を辞めることにしました。今思えば、部活に入る入らないは個人が選択すればいい問題です。 それなのに、理不尽だと感じる先輩からの要求を断ることも、 最終的に部活を辞めることも当時の私にとっては、大きな勇気が必要なことだったのです。 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1571067647/22
23: 情報発信元:七七四通信社 [sage] 2023/08/26(土) 11:08:57.90 ID:+7WrPMye これはそれだけ、「乗ったレールからは外れてはいけない」 という雰囲気が学部内で大きかったことを示しています。 さらに、医学部は他学部との交流がほとんどなく、 自分がいる世界がおかしいことすら気づけない環境であるということも影響していました。 その後、私は研修医としてアメリカに渡りました。日本の医学部で経験した勉強量や苦労以上に、 研修医としての仕事量は膨大でした。今はずいぶん変わったと聞きますが、 私が研修医だった今から10数年前は、難しい症例や患者を最初から任され、 毎朝5時台に出勤し、4日に1回は当直、週末休めるのは月1回。常に、 自分の判断で誰かの命や苦しみが脅かされる可能性がある状況に疲弊しきっていたのを覚えています。 もちろん、この私の経験を、「良い方」とおっしゃる方もいると思いますが、良い方であっても、 私を含む多くの研修医は、こういったハードなプロセスをみな経験しています。そして、 その経験がつらかったことには変わりありません。「プロフェッショナルな心で治療現場に向き合う」、 これは医師にとって大事なことですが、日々苦しむ患者さんや、ときには亡くなってしまう患者さん、 そのご家族と接する中で、医師自身の感情も影響されてしまうことがあります。 いいえ、影響されないわけがないのです。仕事のハードさに加えて、何よりも 「自分自身に自分の運命を変えるパワーがない」と思わされる機会も多いのが研修医なのだと思います。 研修医として学ばなければならないことが多いことは事実です。 そして、常に上の立場の人から評価されるのです。治療では自分なりの判断を迫られるのに、 最終的には上の研修医や指導医の言葉の力が勝り、 その中でうまくいかないケースがあった場合は自分が最終的にジャッジしたことでなくても真っ先に責められる、 というケースもありました。私自身、アカデミックハラスメントにあった経験もありましたが、 そこから抜け出すためは自分の能力を証明していく以外ないのです。 能力を証明する場を与えられたことは感謝していますが、 私を守ってくれる外的なシステムはありませんでした。 私が研修医時代に学んだことの多さは言葉では表せませんし、 研修医として受けた教育の質は素晴らしかったです。 医師として責任を自覚することの大切さも学べたことに異論はなく、 こういった経験を支えてくれた指導医や研修医仲間にとても感謝しています。それでも、仕事量、 責任を担うことの多さのなかで、自分には「状況を変えるパワーがない」と感じ落ち込むこともありました。 ハラスメントの対象になったときの精神的ダメージは相当のものでした。 私は研修医のこういった経験をきっかけに、セラピー(カウンセリング)を受け始めました。 セラピーは研修医としての悩みを打ち明けるだけでなく、 自分自身の考えやそれを形成する経験と向き合う時間になりました。 医師がセラピー(カウンセリング)などのメンタルヘルスに関わる医療を受けることに対し、 同業者に自分のメンタルヘルスについて知られてしまう心配から、 「自分の評価や資格維持に影響が出てしまうのでは」と考える人も多くいます。 私の場合、周りでセラピーを受けている研修医が多かったことが助けになりました。 研修医を始める際に、病院側から「研修医全員がセラピーを受けてみることを薦める」と、 近隣のセラピストのリストを配ってくれたのです。 それでも「苦しみを話す相手のセラピストが、もし病院の研修プログラムに関わっていたらどうしよう。 研修プログラムのディレクターやアカデミックハラスメントの加害者の指導医などと知り合いだったらどうしよう」 と不安を抱いたことを覚えています。そのとき感じた不安をそのままセラピストに話すと 「ディレクターには一回会ったことはあるけど、繋がりはないよ」と答えてくれ、ホッとしました。 こんなにもストレスを感じ、苦しい状況であるのに、研修医は逃げること、 状況を変えること、戦うこともなかなかできないのはなぜなのでしょうか。 それは、「レールからはずれない」「苦労をみんなでする」といった、 医大生時代に学んでしまった考えに心が支配されてしまうことが大きな要因です。 さらに、「医師は患者さんのために良いことをするために」、文句は言ってはいけないし、 何かを求めてはいけないという風潮も同時に根付いているように感じます。 そして、医師になるために「ここまで頑張ったから、つらくてもレールから降りられない」 という状況と思考をより強めてしまうのだと思います。 http://egg.5ch.net/test/read.cgi/ticketplus/1571067647/23
上
下
前次
1-
新
書
関
写
板
覧
索
設
栞
歴
スレ情報
赤レス抽出
画像レス抽出
歴の未読スレ
AAサムネイル
Google検索
Wikipedia
ぬこの手
ぬこTOP
2.841s*