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【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part5©2ch.net (305レス)
【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part5©2ch.net http://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/uranai/1453976959/
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1: 名無しさん@占い修業中 転載ダメ©2ch.net [ageteoff] 2016/01/28(木) 19:29:19.08 ID:q0oX5IGV 近代タロットの理解にはカバラの知識が必須であることは、割とよく 知られていると思います。 しかしなから、タロットの理解に必要なカバラの知識って、日本に おいては、あまり紹介されていないのが現実なんですよね。 というわけで、タロットの理解に必要なカバラの基本的知識を得るために 以下の本を引用、翻訳、考察しながら、色々と勉強していきたいと思います。 書名:The QABALISTIC TAROT A TEXTBOOK OF MYSTICAL PHILOSOPHY カバラ主義のタロット 神秘主義的哲学の教科書 著者:Robert Wang ※話題への、ソコはちゃうやろ的ツッコミとか、雑談とかは歓迎ですが、 教えて的な質問に答えたりとかは面倒なので、スルーする可能性が高いです。 前スレ 【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part4.1 (Part1の再利用) http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/uranai/1341180469/97-356 【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part4 http://engawa.openにch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/ (に→2に変換) 【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part3 http://engawa.openにch.net/test/read.cgi/uranai/1377994155/ (に→2に変換) 【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part2 http://engawa.openにch.net/test/read.cgi/uranai/1346550441/ (に→2に変換) 【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】 http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/uranai/1341180469/1-96 http://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/uranai/1453976959/1
286: 名無しさん@占い修業中 [] 2016/11/06(日) 07:05:16.38 ID:d8iZP3y+ 「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 131) --- But in actuality, anyone who can follow a subway map of New York City will have no problem with the Cube of Space. しかし実際には、「ニューヨーク市」の地下鉄地図をたどることのできる人は誰でも、 「宇宙の立方体」に関する問題を全く持たないであろう。 It is a sort of internal map of the Universe, given in the Sepher Yetzirah, where a direction is assigned to each letter of the Hebrew alphabet. それは、『セフェル・イェツィラー』の中で述べられる、「ヘブライ語」のアルファベット の各々の文字に割り当てられる方向であるところの、「宇宙」の内部地図の一種である。 --- ここまで --- まあ、これを「map/地図」と呼んでもいいものであるかどうかは、議論しないといけない と思うのですが、とりあえず、これに書かれている「方向」は、確かに『セフェル・イェ ツィラー』の中に記述されています。 問題は、これらの「方向」を、一枚の紙の中に、すなわち同じレベルというか同次元の話 として理解していいのか、という点です。 さらに言うと、各々の「母字」は、『セフェル・イェツィラー』の中では、決められた 「方向」を持たないわけで、結果的には「捏造」、いやいや「推定」して図に描く必要が 出てくるわけです。 もう1つ言うと、この「宇宙の立方体」の図のアプリケーションとして、一体どんなものが 考えられるか、という点です。 大した根拠が無くても、実用性がある、すなわち何かの「テンプレート」として役に立つ のであれば、積極的に何かに利用してみようかと思わなくもないのですが、実際のところ、 何に使えるのか、いまいち理解できていないわけです。 正直言って、「黒歴史ノート」や、深夜アニメのネタとして使われるような、この世界を 破滅もしくは再生に導く究極奥義の秘密が込められた「全知全能なる神の霊を宿す魔法の キューブ」のネタくらいしか思い付かないのでした。←ネタに困った時の、定番ネタww http://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/uranai/1453976959/286
287: 名無しさん@占い修業中 [] 2016/11/07(月) 06:15:01.14 ID:9ysXORkY 「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 131) --- Many of the symbols discussed in this book are a great deal more accessible than they might at first appear. この本において論じられる象徴たちの多くは、それらが一目見て思うほどよりも、はるかに より多く理解しやすい。 The Cube of Space is a good example, and one which may serve to demonstrate the extent to which Qabalistic symbols are meant to be used in our internal learning process. 「宇宙の立方体」は、よい例であり、そして、「カバラ主義」の象徴たちが、私達の内なる 学習過程において用いられるよう意図されている範囲を説明することに役立つかもしれない ものである。 --- ここまで --- 「象徴たち」が、そう簡単に理解できるとは思っていないというか、一見して難しそうに 見えるものが、実は簡単であると思えるよりは、一見して簡単なように見えても、実は超絶 難しいものであるものの方が多いと思います。 「宇宙の立方体」は、三次元図形であり、「生命の木」は二次元図形であって、図形の 次元数という切り口からすれば、「生命の木」の方が「低次元」のものになります。 何が言いたいかというと、どちらが上でどちらが下かということではなく、これらは全く 異なる「次元」を表現したものであるということなんですよね。 確かに、どちらの図形も、「ヘブライ文字」という次元の要素を持っているのですが、 「宇宙の立方体」の図形では、それに加えて「方向」という要素があります。 その一方で、「生命の木」の図形には、この「方向」の要素は明確には含まれていません。 じゃあ、「生命の木」には、「方向」の要素は全く含まれていないのかというと、そんな ことはなくて、きちんと各々の「ヘブライ文字」の「小径」の中に含まれています。 こういった「私達の内なる学習過程において用いられるよう意図されている範囲」の違いを 把握しておかないと、理解が混乱してしまうことになりますので、ご注意ください。 http://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/uranai/1453976959/287
288: 名無しさん@占い修業中 [] 2016/11/08(火) 06:23:30.89 ID:Ipf+YZm3 「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 132) --- If we sit quietly, we may conceptualize our thoughts, feelings and spiritual being as controlled from a central point in our heads. もし我々が落ち着いて座れば、我々は、我々の頭たちの中にある中心の点から制御されて いるような、私達の思考たち、感情たち、および霊的な存在を概念化できるかもしれない。 Perhaps this could be called the “I” point. おそらく、これは、 「私」の点 と呼ばれることもできるだろう。 --- ここまで --- 「we sit quietly/落ち着いて座る」、すなわち、一人静かに妄想を巡らす、いやいや 瞑想を行うことで、我々の意識的な思考を司る、無意識の感情の中の、内なる世界に 潜む「中の人」、いやいや「霊的なもの」が「存在」しているであろうということを 意識することが出来るようになるかもしれないということです。 ここで問題となるのは、一部の「アレな人たち」には、これによく似た「中の人もどき」 が、意識上に出てくることがあり、さらに悪いことには、この「アレな中の人もどき」が ダダ漏れ状態になって、自分では制御できなくなることが、ままあるわけです。 要するに、アレな人は、魔術に手を染めてはならないということなんですけど、自分が 「アレな人」とは気づかない人も少なからずいるわけですので、自分自身で、ちょっと おかしいかな、と思った時点で、止めておくのが良いと思います。 まあ、とりあえず大丈夫な人であっても、一気に「中の人」をほじくり出すと、ロクな ことになりませんので、とりあえず最初のうちは、おとなしく静観しておきましょう。 ちなみに、この「中の人」のことを、「Higher Self/高次の自我」と呼ぶ人もいますが、 おそらくここはまだ「Lower Self/低次の自我」の領域の存在ですので、たとえ何らかの 話が出来たとしても、その内容には、「自分自身の(恥ずかしくて他人には言えないよう な黒歴史的な)妄想」が入り込んでいるので、あまり人には言わない方がいいと思います。 つまり、一人で黙って妄想○○○ーにふけるのが、一番なのですよ。←ちょっと現実逃避w http://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/uranai/1453976959/288
289: 名無しさん@占い修業中 [] 2016/11/09(水) 06:24:54.99 ID:K8dsB3XY 「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 132) --- Once we have focused on this internal point, we can begin to think about how it relates to principles of an inner universe. いったん、我々が、この内なる点に集中したことがあれば、我々は、どのようにそれが 内なる宇宙の原則に関連するかについて、考えはじめることができるであろう。 These principles are the corners and directions of the cube. これらの原則は、立方体の角たちと方向たちである。 So what we do is to make believe that our consciousness is inside a cube, giving our intelligence something concrete, though artificial, with which to begin inner exploration. つまり、我々がすることは、人為的ではあるけれども、内なる探検を開始するために、 我々の知性に具体的な何かを与えることにより、我々の意識が立方体の中にあると 見せかけることである。 --- ここまで --- 何か、いまいちアレな感じの説明文ではありますが、妄想、いやいや瞑想を一定の方向に 導くためには、こういう瞑想の導入のための「ネタ」作りや、「シチュエーション」の 設定という事前準備、すなわち予習をしておくというのは、とても大事なのです。 つまり、完全にフリーな妄想をしてしまうと、カオスな結果になってしまいますので、 ここでの瞑想のテーマが「宇宙(空間)の立方体」ですので、最初のうちは、それを 意識的にイメージしながら、強制的に妄想を導いていくということが必要なのです。 というか、そうしないと、「宇宙(空間)の立方体」そのものが人為的なもの、というか、 イメージが膨らまないというか、まあ、「生命の木」のような妄想しやすさというか、 そそるような「エロさ」というものが、圧倒的に足りていないわけです。 要するに、「宇宙の立方体」って、超上級者向けということであって、ワタシのような ヒヨッコがハァハァするには、まだまだ無理ってことなんですよね。 http://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/uranai/1453976959/289
290: 名無しさん@占い修業中 [] 2016/11/10(木) 00:52:56.44 ID:OmPZQb1i 鼻毛村潔 http://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/uranai/1453976959/290
291: 名無しさん@占い修業中 [] 2016/11/10(木) 06:40:20.78 ID:dfolQJxo 「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 133) --- The Cube of Space is simple enough, though it is a very different pattern of symbolism than is found on the Tree of Life. 「宇宙の立方体」は十分に簡単ではあるとはいえ、それは、「生命の木」の上で見つけ られるものとは違った、象徴主義の非常に異なる様式である。 And, while the Sepher Yetzirah describes this Cube of Space very precisely, it is not so easily related to the Tree! しかも、『セフェル・イェツィラー』が、この「宇宙の立方体」を非常に正確に説明して いるとはいえ、それは、そう簡単には「木」には関連しない! --- ここまで --- まあ、「生命の木」と「宇宙の立方体」は、同じ『セフェル・イェツィラー』の中にある 概念とはいえ、全く違うレベルの、全く違う部分の概念を図案化しているので、両者が 全く異なっているのは、当たり前と言えば、当たり前なのです。 「生命の木」は、『セフェル・イェツィラー』の第一章にある、宇宙創造の根本原理で ある「10のセフィロト」と「22のヘブライ文字(小径)」を、包括的に図案化しています。 その一方で、「宇宙の立方体」は、『セフェル・イェツィラー』の第四章と第五章の中に ある、「方向」についての説明だけを、図案化したものです。 要するに、「方向」という枝葉部分の一節を抜き出して、なんとなく大層でそれっぽい 「宇宙の立方体」というタイトルで図案化してみたということであり、どう考えても、 羊頭狗肉というか、「釣りタイトル」というか、何となく残念な感じがするわけです。 さらに、「22の小径」のうちで最も重要とされている「母字」の立ち位置が『セフェル・ イェツィラー』には記述されていないため、どうしても中途半端感がぬぐえないため、 ちょっと残念というか、つまり誰もが一度は思い付くようなネタだけど、日の目をみない 黒歴史ノートの一隅に描かれたままにしておけばよかったのになぁ、という感じの 強いものとなっているわけなんですよね。 http://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/uranai/1453976959/291
292: 名無しさん@占い修業中 [] 2016/11/11(金) 06:29:30.02 ID:/ID1ALbO 「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 133) --- The problem arises in that the document does not specifically ascribe to Paths between Sephiroth as is understood today. 問題は、この文書が、今日理解されているように「セフィロト」の間の「小径たち」に、 具体的に帰せられていないという点において生じる。 And, as we have seen, some versions of the Tree do not show a complete twenty-two Paths. そして、我々が見たことがあるように、「木」のいくつかの解釈たちは、完全な22の 「小径たち」を示していない。 --- ここまで --- ゴールデン・ドーン体系で使われる「生命の木」理論では、10の「セフィロト」と、それら の間を繋ぐ22の「小径たち=ヘブライ・アルファベット」が、前提となっています。 この理論は、現代においては主流派ではありますが、実はこれは『セフェル・イェツィラー』 の正しい解釈ということでもないわけです。 なぜなら、『セフェル・イェツィラー』の第一章に書かれているのは、「32の知恵の小径 たち、10のセフィロト、22の文字たち」であって、「10のセフィロトを22の小径たちが 繋ぐ」という解釈は、あくまでも、後世の「勝手な解釈」なんですよね。 つまり、我々の使っている「生命の木」は、全ての「小径たち(セフィロトと文字たち)」 を一体化して図案化したものの一例であって、そもそも「セフィロトの小径」を繋ぐ「道」 は、「文字たちの小径たち」でなくてもいいわけであり、つまり、それぞれが従属すること なく、独立した別次元の「道」を持ってもいいということになるわけです。 つまり、自由な発想で「10のセフィロト」を繋ぐ「22本でない道」を持つ「生命の木」が あるのなら、自由な発想で「22の文字たち」の関係性を記述した「宇宙の立方体」にも、 それなりの存在意義があってもいいんじゃないの、という、ゴールデン・ドーン体系を シカトした、開き直りに近い暴論ではあるわけですが、要はそういうことなんですよね。 まあ、どう解釈するかは、人それぞれということで。(放任主義) http://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/uranai/1453976959/292
293: 名無しさん@占い修業中 [] 2016/11/12(土) 06:42:59.75 ID:RWziaw0F 「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 133) --- One possible explanation, espoused by a large number of scholars, is that the book represents a purposeful attempt to fuse two different methods of approach to the inner worlds, using a type of logic similar to that of the Neo-Pythagoreans, popular in the second and third centuries A.D. (*93) 多数の学者たちにより支持された、1つの可能性のある説明は、この本が、西暦2世紀と 3世紀において人気のある、新ピタゴラス主義者たちのそれと同様な論理の類型を使って、 内なる世界たちへの接近の2つの異なる方法たちを融合させる意図的な試みを表している ということである。 (*93) --- ここまで --- ちなみに、(*93)はNOTES/注記の項で、 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) --- 93. Scholem, Kabbalah, 23-26. 93. ショーレム著、『カバラ』、23-26ページ --- ここまで --- とあります。 このショーレム氏の本の23-26ページは、『セフェル・イェツィラー』の概要を述べている 節となっていて、その中間ぐらいに、それっぽいことが書かれています。 個人的解釈を含めて、ざっくり言うと、「セフィロト」と「文字たち」による「宇宙の創造」 は、「実数」と「虚数」による「複素数空間」となっていて、それらのことについて記述 しているのが、この『セフェル・イェツィラー』の理論であり、その根底には、「新ピタ ゴラス主義」のよくわからない考え方が入っているのではないかということです。 つまり、とりあえず、よくわかんないものは、全部「新ピタゴラス主義」のせいでいいん じゃないかなという、丸投げのオチとなるわけなのですが、実際のところ、よくわかんない ことは確かですので、これ以上の詮索は止めておいた方が無難かな、と思います。 http://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/uranai/1453976959/293
294: 名無しさん@占い修業中 [] 2016/11/13(日) 06:12:49.86 ID:FlCqh07x 「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 134) --- The least that can be said is that (like the Bahir) there are aspects of the Sepher Yetzirah which are not easily accomodated into our modern symbolic structure. 最小限言えることは、(『バーヒル(光明)の書』のように)、我々の近代的な象徴的構造に 容易には適応しない、『セフェル・イェツィラー』の様相たちがある、ということである。 --- ここまで --- ちなみに、ここの「accomodated」は「accommodated」の誤植です。 まあ、ここの文章は、完全にサジを投げるというか、元々の『セフェル・イェツィラー』 の象徴理論体系が古臭くて問題だらけだから、近代的な「宇宙の立方体」の象徴理論と 適合しないように見えるのを問題視されるのは、そもそも筋違いである、というような 開き直りですかね。 でも、そうはいっても、「生命の木」と「宇宙の立方体」を比べると、「月とスッポン」 のような、大きな違いがあることは、確かなんですよね。 つまりは、両者を比べて語ることこそが、「間違っている」ということなのですよ。 「月」は天空という、手が届かないところにあって、見て語ることしか出来ないけれども、 「スッポン」は掴むことができるし、食べてもおいしいし、食べた感想を語ることも出来る わけで、そもそも全く違う価値を持つものです。 というわけで、使ってみたとか、食べてみた、というような感想があればいいのですが、 この「宇宙の立方体」って、なんかいまいち使いようがないというか、食欲が湧かないと いうのも、あるんですよね。 まあ、「年の功よりカメの甲」という、ことわざもありますし。(あ、逆かw) http://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/uranai/1453976959/294
295: 名無しさん@占い修業中 [] 2016/11/14(月) 06:15:48.22 ID:wmGB2a/u 「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 134) --- On the other hand, the Cube of Space demonstrates certain relationships not at all obvious on the Tree of Life. 一方では、「宇宙の立方体」は、「生命の木」の上ではで全く明らかではない、いくつかの 関係たちを説明する。 One primary example is the symbolic crossing of the three Maternals at the point of THE UNIVERSE (Tau). 1つの主要な例は、「宇宙(Tau)」の点においての、3つの「母字たち」の象徴的な交差 である。 --- ここまで --- ワタシ自身が、最も疑問に思っているのが、この「宇宙の立方体」における「母字たち」 の配置です。 「宇宙の立方体」は、三次元の立体構造を視覚的に表したものであり、わかりやすいと 言えばわかりやすいのですが、『セフェル・イェツィラー』においても「生命の木」に おいても明確にされていない、レベルの異なる「母字たち」の方向を、(神秘世界では 当たり前のごとく)何の根拠もなく、[tau]に関連付けさせているのか、なんですよね。 まあ、「母字」を[tau]に関連付けしてしまうと、「母字」「複字」「単字」が全て同じ レベル、すなわち三次元空間の記述だけで語られることになるため、凡人にとっては理解 しやすいのは確かなのですが、何かそれって違うんじゃないの、と思うわけです。 つまり、この三次元空間は、「母字」という3つの変数の方向だけで全てを記述できる ようになりますので、そうなると、他の「複字」や「単字」の方向は必要無いということ になりますし、逆に、「複字」や「単字」の方向の存在を前提とすれば、「母字」の方向の 必要性は無くなるわけで、象徴の無駄使いというか、蛇足感がハンパないわけです。 そもそも、こういう問題があるために、「母字」には「複字」や「単字」のような方向を 持っていなかったわけであり、それは決して「書き忘れていた」というわけではなくて、 意図的に「書かれていなかった」ということなんだと思うわけですよね。 http://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/uranai/1453976959/295
296: 名無しさん@占い修業中 [] 2016/11/15(火) 06:30:56.96 ID:R88nJIYI 「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 134) --- It is also more consistent with the directions of traditional ritual: East, West, North and South. それはまた、以下の伝統的な儀式の方向たちと、より一致している:「東」、「西」、 「北」そして「南」。 Gareth Knight describes this as the “Upper Room,” (*94) a method of relating our mundane spatial perspectives to an inner experience, as a matter of orientation. ガレス・ナイト氏は、これを、方位の問題として、我々の世俗的な空間の見方たちを、 内なる経験に関連させる方法である、「上の部屋」(*94)と評する。 --- ここまで --- ちなみに、(*94)はNOTES/注記の項で、 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) --- 94. Knight, Experience of the Inner Worlds, 146-161. 94. ナイト著、『内なる世界の経験』、146-161ページ --- ここまで --- とあります。 「東」「西」「北」「南」・・・、あれ、「上」と「下」は無視するの?、というヤボな ツッコミは置いといて、とりあえず、人間の基本的な空間認識としては、「前=顔と腹が 向いている方向」、「後ろ=後ろ頭と背が向いている方向」、「右=右手の方向」、「左 =左手の方向」、「上=頭上の方向」、「下=足元の方向」というものが、ごく普通に考え られるわけで、それゆえ宗教儀式においても、当たり前にネタとして活用されています。 まあ、だから何、という感じではありますが。 ちなみに、ガレス・ナイト氏の「上の部屋」というのは、『新約聖書:マルコ福音書』14:15 にある、イエスが最後の晩餐の時に使った二階の部屋を元ネタとして、それを「宇宙の 立方体」に、強引に関連付けしてしているような感じになっています。 まあ、こっちも、だから何、という感じではありますが。 http://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/uranai/1453976959/296
297: 名無しさん@占い修業中 [] 2016/11/16(水) 06:23:07.35 ID:ta+Ld41J 「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 134) --- It must, however, be stressed that none of the external systems truly indicate the quality of the inner experience of the Paths. しかしながら、外界の体系たちのどれもが、「小径たち」の内なる経験の品質を正確に 示さないことは、強調されなければならない。 The reason that they all appear so complex and disjointed is that they attempt to suggest experiences which our language is inadequate to describe. それら全てが、そのように複雑で支離滅裂である理由は、それらは、我々の言語が記述 することが不十分である、経験たちを暗示することを試みるということである。 --- ここまで --- もう、きちんと説明することを放棄して、完全に開き直っていますよね。(苦笑) 結局のところ、神秘を図や言葉や理論体系できちんと説明しようということ自体が、 間違っているのです。 要は、この本に書かれていること自体を、全否定しているわけであって、つまりは、 実はこの本は、「内なる経験」を知らない「神秘の未経験者」向けに書かれた入門用 の教科書ではないということなんですよね。 そして、「神秘の未経験者」にとっては、この本の内容は、「複雑で支離滅裂」であり、 おそらく、何の役にも立たないということでもあります。 それじゃあ、「神秘の経験者」にとっては、何か役に立つことがあるのかと言われれば、 それについては「人それぞれである」としか言えないんですよね。 もう少しはっきりと言うと、ほとんどの人にとっては、「人生の娯楽」以上のものでは ない、と言っても過言ではないと思います。 ちなみに、ワタシにとっても、「カバラ」や「タロット」の勉強は、「人生のヒマつぶし」 みたいなものではありますが、たまにそれっぽい恩恵というか、知恵のヒラメキみたいな ものがありますので、なかなかヤメられないというのもあったりするわけですけどね。 http://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/uranai/1453976959/297
298: 名無しさん@占い修業中 [] 2016/11/17(木) 06:36:34.26 ID:NBpCa6KV 「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 134) --- No matter how dogmatic one may be about the intellectual intermesh of symbols, the most intricate commentary on these matters is often like the medieval clerics who postulated the number of angels that would fit on the head of a pin. たとえどんなに、それが象徴たちの知的な噛み合いについて独断的であろうと、これらの 問題たちに関する最も入り組んだ注釈は、多くの場合、ピンの頭に納まるであろう天使たち の数を仮定した中世の聖職者たちのようなものである。 --- ここまで --- この「ピンの頭に納まるであろう天使たちの数を仮定した中世の聖職者たち」というのは、 中世のスコラ学者たちが、非科学的かつ全く実用的ではない議論を行っていたことを比喩 した意味になっています。 なんかもう、「宇宙の立方体」とか「生命の木」とか、そういった痴的妄想はどうでも いいから、もっと普通に役に立つことを真面目に勉強しなさいとか、グダグダとしょうも ないことで遊んでないで、真面目に働きなさい、とか言われているような感じでもあります。 実際のところ、こういうオカルト的なものを、細かく深く知的に追及していっても、何も 結論は出てきませんし、もし強引に結論を出すとすれば、ここで言う「dogmatic/独断的」 なものにしか、なり得ないのです。 なぜなら、オカルトの全ては、「脳内妄想(バーチャル)」の一言で済ませてしまうことが 出来るものであるからなんですよね。 だって、「脳内妄想(バーチャル)」でない、つまり「現実(リアル)」のものは、オカルト とは呼ばれないわけですので。(苦笑) ※そろそろ、スレ容量が一杯になってきていますので、突然のDAT落ちに、ご注意ください。 次スレは、『【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part6』の予定です。 http://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/uranai/1453976959/298
299: 名無しさん@占い修業中 [] 2016/11/19(土) 06:23:44.36 ID:oWyL+Re+ 「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 135) --- Yet some statements which appear to be symbolic turn out to be very precise descriptions of a universal experience. それでもなお、象徴的であるように見える、いくつかの供述たちは、宇宙的な経験の 非常に的確な解説たちであることが、判明する。 It is up to the discrimination of the student to decide which is which. どれがどれであるかを決めることは、学徒の識別力次第である。 --- ここまで --- ここの文章は、一流の詐欺師が使う、とても高度なテクニックに、ちょっと似ています。 つまり、具体的なことは一切言わずに、どれが正しいのかを、全てカモに、いやいや、 お客様に判断させて、自らの責任を全面的に回避するというパターンですよね。 こういう場合は、カモである客は、どの商品を選んだとしても、ほぼ100%が詐欺商品と なっているわけであって、さらに言うと、華々しい宣伝パンフレットに載っているような 「私はこれで成功しました!」という読者の感想は、三流商業ライターがデッチ上げた、 架空の提灯記事であることが、ほとんどなわけです。 お金が絡む場合は、ほぼ100%が詐欺ですし、お金が絡まない場合であっても、お金以外の 色々なタイプの自己実現の欲求が絡むような場合は、そのほとんどが、やっかいなシロモノ となることが、ほとんどです。 というわけで、特段の識別力を持たないワタシは、何が正しいのかを決めることもなく、 単なる好き嫌いで、もしくは好奇心の赴くまま、直感的にヤバいものを判断しながら、 かなり浅めに勉強しているワケです。 あまり深入りしても、リアルな人生にとって、ロクなことになりませんので、あまりハマる ことなく、お気楽に趣味の範囲でオカルトを勉強していければいいな、と思うのでした。 http://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/uranai/1453976959/299
300: 名無しさん@占い修業中 [] 2016/11/20(日) 06:24:37.41 ID:y5btutCP 「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 135) --- Only the inner experience of these Paths make clear what the various systems of symbols are trying to explain. 唯一、これらの「小径たち」の内なる経験だけが、象徴たちの様々な体系たちが、何を 説明しようとしているかを説き明かす。 And until such time as we encounter directly the energies of the Tarot cards, we strive to form concepts about these energies through such artificial devices as the Tree of Life, and through such methods as the Qabalistic manipulation of numbers. そして、我々が「タロット」カードたちの精力たちに直接出会うような時になるまでは、 我々は、「生命の木」のような人工的な考案物たちを通じて、そして、数たちの「カバラ 主義的」な操作のような方法たちを通じて、これらの精力たちについての概念たちを形成 するために努力する。 --- ここまで --- 結局のところ、「生命の木」にしても、「宇宙の立方体」にしても、そしてこの後に出て くる「カバラ主義的数秘術」にしても、その全ては「人工的」すなわち「不自然」な体系 であって、直接的に経験して得られるものとは全く違うものであるということです。 科学理論の体系って、割と「自然」をうまく記述していて、詳細なシミュレーションを 行うことで、割と自然の動きに似せることが出来るようになっているのですが、オカルト の理論体系は、全くそのようなレベルに達していないというか、そもそも「科学的」では ないわけですので、内なる経験を正確に記述しようという意図さえ無いのではないかとも 思えるわけです。 そういう意味では、オカルト体系というのは、そういうリアルな実用性には欠けるのです が、別の意味での実用性、すなわちバーチャルな意味では、役に立つという面もあります。 要するに、現実の世界に捉われることなく、自分の好き勝手に、やりたい放題の「内なる 世界」を構築して、その中に引き籠もることも可能であるということですよね。 http://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/uranai/1453976959/300
301: 名無しさん@占い修業中 [] 2016/11/21(月) 07:01:42.98 ID:k6JBXP4q 「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 135) --- NUMEROLOGY 数秘術 --- ここまで --- ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。 サブタイトルは「数秘術」です。 数字や数値を使った神秘ネタは、単純で理解が容易で、誰にでも簡単に使えるという、 大きなメリットがありますので、古来より人気のある分野となっています。 ちなみに、ヘブライ語、ギリシア語、英語などのアルファベットを使う言語圏では、 数値を表す独立した文字は無いため、アルファベットを数字の代用として使います。 タロットカードの大アルカナの数字は、アルファベットを組み合わせたローマ数字が 使われているのも、その例です。 なお、ヘブライ語アルファベットを使う数値表現は、ローマ数字の数値表現よりも、 ちょっと複雑になっているというか、全てのヘブライ文字を使って数値を表現します ので、それらの対応を覚えるのが、ちょっと面倒臭いです。 さらに言うと、数値表現にヘブライ語アルファベットを使うとしても、それを数値として 読む時は、アルファベットとはまた別の読み方をしますので、そういうのも、またちょっと 面倒なんですよね。 そういう意味では、日本で使われている、数値を表す「漢数字」による数値表現の方が、 よりわかりやすいですし、より実用的かと思います。 ということで、このヘブライ語アルファベットによる数値表現は使い勝手が悪いので、 現在では、世界共通のアラビア数字を使った数値表現が主流となっているのでした。 http://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/uranai/1453976959/301
302: 名無しさん@占い修業中 [] 2016/11/22(火) 05:49:11.18 ID:2I/t0sJc 「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 135) --- Qabalistic numerology is called Gematria. 「カバラ主義」の数秘術は、「ゲマトリア」と呼ばれる。 This involves nothing more than taking the numerical value of each Hebrew letter in a word, and adding those values together. これは、言葉の中の各々のヘブライ文字の数の値を取ることと、それらの値たちを一緒に 合計することにすぎないものを含む。 --- ここまで --- 「数秘術」の基本的原理は、どれも比較的簡単です。 単純に、「文字」を一定の法則で「数値」に変換し、そしてそれを加算することで得られる 値に対して、色々なわけわからない解釈をするというのが、一般的です。 日本における「画数による姓名判断」というのも、これと同じ原理であり、「漢字」の 一字一字の画数を「数値」にし、それを足し合わせたりして、色々と解釈するわけです。 まあ、これが実用的であるかどうかということについては、ちょっと何とも言えないの ですが、それなりに日本社会に染みついた習慣というか、まあ迷信みたいなものと言えない こともないのですが、それを言い出すと、全ての占いのみならず、全ての宗教や迷信的習慣 を全て否定することにもなりますので、まあ、そういう遊び心というものは必要なのかな、 ということで、お茶を濁しておくことにします。 いずれにしても、原理的には、そんなに難しいものはありませんので、誰でも出来ること ではありますが、誰でも出来るせいで、いわゆるアレな人も多く寄ってくることも多い わけであって、それゆえ、「名前の画数が悪いから改名しなさい」とか、わけわからない 言いがかりを付けて、多額の改名料金を巻き上げる悪徳詐欺師も出てくるということに なってしまうわけなんですよね。 http://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/uranai/1453976959/302
303: 名無しさん@占い修業中 [] 2016/11/23(水) 05:39:14.91 ID:luoHnoUD 「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 135) --- Theoretically, words of the same total value bear some conceptual relationship, although the principle can be taken to absurd extremes. 理論的には、同じ合計値である言葉たちは、ある概念の関係を持つ、とはいえ、原則は 不合理な極端な手段と受け取られる可能性がある。 Gematria can be a petty trap. 「ゲマトリア」は、取るに足らない計略である可能性がある。 --- ここまで --- 結論から言うと、「数秘術」そのものは、真面目に受け取らずに、あくまでも話を膨らます ための「ネタ」というか、言葉を使う遊びの一つとして使うべきであるということです。 つまり、画数とか親の趣味を表に出すのではなくて、その子が成長した時に、胸を張って 「自分の名前」の意味を語ることが出来るようなものであるか、ということですよね。 いずれにしても、「ネタ」は「ネタ」であって、「ネタ」を元にした名前にするにしても、 その「ネタ」をミエミエに前面に出してしまうのは、やっぱり残念なことになるわけで、 つまり、隠し味として「ネタ」を入れておくという態度が、オトナの対応になるわけです。 ちなみに、タロット占いの世界では、「ゲマトリア」を考慮することは、まずありません。 「ゲマトリア」は、「数値」という、どちらかというと論理的なものを扱う分野であり、 タロットの、「象徴イメージ」という、どちらかというと非論理的なものとの相性が悪い というか、そもそも「ヘブライ文字による数値の計算」ということが、タロットの世界観 とは、微妙にマッチしないわけです。 とはいえ、「数秘術」そのものは、ごく一般的で簡便な占い手法であり、ほとんどの占い の要素の中に、ネタ的に入っていることも確かですし、そういう意味では、タロット占い にも、ネタとして、それを含めることは充分に可能です。 要するに、遊びの範囲で、それぞれ工夫して使って貰えればいい、という感じですよね。 http://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/uranai/1453976959/303
304: 名無しさん@占い修業中 [] 2016/11/24(木) 06:24:19.78 ID:MebIym2s 「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 135) --- The interrelationship of numbers and letters often, however, points to some profound ideas. しかしながら、数たちと文字たちの相互関係は、しばしば、いくつかの深遠な考え方を 指し示す。 For example, we have considered the reinteraction of Chokmah and Binah, whose union gives rise to Tiphareth: the Yod and Heh produce the Vau. 例えば、我々は、「ティファレト」を生じさせる結合である、「コクマー」と「ビナー」 の再相互作用を考察したことがある:「ヨッド」と「ヘー」は、「ヴァウ」を産み出す。 As a number, Yod is 10 and Heh is 5. 数として、「ヨッド」は10であり、「ヘー」は5である。 Added together they are 15, which reduces to 6, the numerical value of Vau. それらは合計されて15であり、それは、「ヴァウ」の数値である、6に縮小する。 --- ここまで --- 「ヨッド」の「10」と「ヘー」の「5」を足して「15」とし、その10の位の「1」と1の位の 「5」を足すと、「ヴァウ」の「6」になる。 すなわちこれは、宇宙の原理を指し示す、とても深遠なる考え方である。 と言いたいようですが、なんか、幼稚な発想というか、単なる子供だましのレトリックに 過ぎないような、チープな感じも強く受けるわけです。 要は、ピンポイントにそれっぽい箇所を指摘されても、単なる偶然で終わってしまうわけ であって、それが全体を司る体系的なものになっていないと、きちんとした応用は出来ま せんし、結局のところ、実用性の無い、単なる屁理屈になってしまうわけなんですよね。 まあ、ネタであることを理解し、その範囲内で、あれこれと数字遊びや文字遊びをする のであれば、どうこう言うつもりはありませんけど、ワタシとしては、いまいち好きに なれない分野なのです。 http://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/uranai/1453976959/304
305: 名無しさん@占い修業中 [] 2016/11/25(金) 06:30:14.84 ID:dZgXPqZg 「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 135) --- Even the most sceptical may agree that for the relationship of the numerical values to be precisely that relationship assigned to the letters as philosophical values is interesting. 最も懐疑的な人でさえ、数的な値たちの関係に対して、哲学的な値たちとして文字たちに 割り当てられた関係が正確であることは興味深い、ということには同意するかもしれない。 These patterns occur with such frequency and consistency that they seem clearly intended to teach. これらの様式たちは、それらが教えることを明らかに意図していると思われるほどの頻度 と一貫性で発生する。 --- ここまで --- おそらく、『聖書』の文章を創作、もしくは改竄、いやいや編纂した人は、こういった 「ゲマトリア」的な遊びの成分を意図的に紛れ込ませていたとは思うのですが、そういう ネタ成分を、マジで解釈しようとするのは、なんかちょっと方向性が違うと思うのです。 確かに、「ゲマトリア」の持つ「ネタ成分」は、「縦読み」のように、それなりに興味 深いものがあり、ちょい足し的な面白さという点では、決して否定はしないのですが、 ワタシとしてはそれ以上のことは、あまり興味のある分野ではないということです。 まあ、オカルト業界では、こういう素人受けするような、わかりやすいネタを、商売上、 大げさに宣伝する人は多いのですが、まあ、ネタとして知っていて、知らない人に教えると ウケる程度の、小ネタ扱いでいいのではないかと思うんですよね。 さて、このスレも限界点を突破し、終わりに近くなってきましたので、そろそろ 次スレ移行の準備をしておくことにしましょうかね。 http://hayabusa6.5ch.net/test/read.cgi/uranai/1453976959/305
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