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境界例について心理学よりで考察するスレ (512レス)
境界例について心理学よりで考察するスレ http://peace.5ch.net/test/read.cgi/utu/1350110059/
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497: 487 [sage] 2014/08/19(火) 20:00:32.03 ID:F2ApjmVh とりあえず関係ありそうな文章を貼っておきます。 直観像素質者とはジャック・ラカン(フランスの精神分析家)の言いかたに従えば、「想像界」の人である。「父の名」によ る世の掟に屈服しないまま、象徴界(言活動の世界)の入口にたたずむ「イメージとナルシシズムの世界の人」である。 (略) 永遠の胎児として子宮の中に浮遊している限り、私たちは「ママ!」という原初の言葉を持つ必要がない。子どもの口が ミルクのチューブ(乳房)でつながれているときにも言葉はいらない。そのチューブがはずれて、ぽっかり空いた口の穴 が取り残されるとき、その口から言葉が漏れ出る。まず「不在(欠如)」の認識があって、次に「在」を感覚できるようにな り、不在を在に変える欲望が獲得され、言語活動はこの欲望に導かれて発達する。掟とは、私たちにその「不在」をつき つけるもののことである。 「いやだな」と思いながら職場に遅刻しないで出勤するときなどの日常生活上の「問題」に立ち向かう時、私たちは自ら の「不在」を埋めようとしているのである。こうした体験の連続の中で私たちに言語活動という象徴が滲み込むのである。 視覚像(イメージ)では「無い」が言えない。絵では「リンゴが無い」ことを表現できない。それを表現しようとすれば、リン ゴの置かれた机と、置かれていない机の二つの絵を並べなければならなくなり、このような「ある」と「無い」の対比は既 に言語である。 私たちに「無いこと」の認識と「無くすこと」の恐怖を与えるもの、それがラカンの言う「父の名」である。 http://www.iff.co.jp/ssworld/mssg/mssg_17_4.html http://peace.5ch.net/test/read.cgi/utu/1350110059/497
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