[過去ログ] ★お薬に関する疑問質問に答える「モナー薬局」151 (889レス)
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43: mim 2014/01/30(木)21:01 ID:WCFfLoEg(14/26) AAS
アメリカとしてはカンボジア領の補給基地を爆撃したいが
国際世論もあるのでカンボジアの了解が要る。
ただ要請するだけではシアヌークは承知しない。
よってアメリカは経済援助の凍結を武器に何とか爆撃を認めさせた。
そしてカンボジアの民衆ごと補給基地に爆撃を浴びせた。
ベトナム軍だけでなく、カンボジアからも難民が大量に発生した。
この事実を証拠にシアヌークが国際世論に訴えれば、
アメリカはベトナムから手を引かざるを得ない。戦争に負ける。
そこでカンボジアの要人・ロンノル将軍を使ってシアヌークを追放し、
カンボジアを意のままに操ろうとしたのだ。
「世界の警察」は随分身勝手なことをする。
むしろいない方がいいのでは?
ロンノル政権に移ってからは、弾劾される可能性はないので
アメリカはさらに爆撃を徹底して行うことができた。
カンボジア人の死亡者は30万人。200万人の難民が新たに発生した。
それと同時にロンノル政権は重税をかけて国民を苦しめた。
亡命したシアヌークはすぐに軍隊を編成し、協力者を募った。
賛同したのはロンノル政権を排除したい北ベトナム軍。
そしてクメールルージュ。筆頭はかの有名な暴君、ポルポトだった。
民衆に人気の高いシアヌークの名を全面に押し出すことで
クメールルージュは多数の志願兵を得た。
ここで解放軍の実質上のトップにポルポトが踊り出た。
ただしこの時点ではポルポトは温厚で、農民と共に汗を流し、
田畑を耕したりもした。兵士達も皆、友好的だったという。
そしてベトナムがアメリカと合意して戦線を離脱したにも関わらず、
ポルポト率いるクメールルージュは1975年にロンノル政権を倒し
カンボジアをロンノル将軍から解放したのである。
ここまではポルポトよりもむしろアメリカの方が悪者である。
ここまでは。
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