[過去ログ] 【毒親】発達障害・犯罪者になる例2【養育問題】 [無断転載禁止]©2ch.net (725レス)
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428(1): 2018/07/01(日)14:48 ID:AEHU+Wzv(1/5) AAS
発達関係あるかわからない事件だったけど、養育関係に問題があったみたい
なんか腑に落ちた…親も精神疾患があったあたり「あ…」って感じ…
21歳弟を姉が殺す悲劇生んだ異様な家族事情 「育児放棄の傷」は大人になっても消えない
2016年9月12日、千葉県酒々井町(しすいまち)の一軒家に住む(当時21歳)が遺体で発見された。
連絡が取れなくなっていたことを不審に思った友人たちが家を訪れ、110番通報。警察官が室内から、バラバラに切断された彼の遺体を見つけた。
翌日、死体損壊と死体遺棄の疑いで逮捕されたのは、この家2人で住んでいた、姉だった。
公判は2年後の2018年2月に千葉地裁で開かれた。愛美被告は死体損壊と死体遺棄に加え、諒さんを刃物で殺害したという殺人罪と、
亡くなった後に彼のクレジットカードを使いフリマアプリで洋服を購入したという電子計算機使用詐欺罪でも逮捕起訴されていた。
逮捕当時、前更新していたSNSが注目され、「2人暮らしだけど冷蔵庫も掃除機もオーブンもベットも2つあります」「これだから姉は嫌なんだ」といった書き込みから、
姉弟の仲は必ずしも円満とはいえないことが推察されていた。
省2
429(1): 2018/07/01(日)14:51 ID:AEHU+Wzv(2/5) AAS
>>428
被告は1991年4月に、両親の間に長女として生まれた。下には次女、そして被害者、三女がいる。
後に6人で、酒々井町の家に住み始めたが、2008年ごろに父親が精神疾患により休職し、自宅で療養生活を送るようになった。
自殺未遂を図り救急車で搬送されたこともあったという。
2011年には両親が離婚し、母親が出て行く。その2年後、三女も家を出て母親のもとへ。4人で暮らしていたが、2014年に父親が死亡し、次女も出て行った。
以降事件まで、この家に暮らす。
両親の離婚当時、父親に経済力はなかった。だが、きょうだい4人とも母親について家を出ることを拒み、父親と酒々井町の自宅に残った。
それはかねてからの母親の虐待行為が大きく関係していた。証拠によれば母親は子どもたちが小さい時から体罰を加えており、特に被害者に対しては顕著だったという。
生前に母親の虐待について聞いていた元交際相手は法廷でこう述べた。
「母親のことは『あの人』と呼んでいました。ご飯を作ってくれないとか、掃除機でたたかれたとか、小さい時は頻繁に暴力を受けていたと言っていました」
省5
430(1): 2018/07/01(日)14:54 ID:AEHU+Wzv(3/5) AAS
>>429
「小さい頃から口答えが多いと思っていた。体操服は下の妹や弟に順番にお下がりとして着せていた。男女兼用で着せており破れた体操服を縫って着てもらっていた。
裕福ではなく夫も会社を休みがちだった。子どもが多い家はこういうことをどこでもやっている。
高校時代、私との関係は冷え切っていた。妹をいじめたり言うことを聞かないので、ビンタなどたたくしつけは、ほかの姉弟よりも多かった。
わが家のルールとして自分で食器を洗うというものがあったが、しばらくしてやらなくなったので、私はその皿を洗わず、前の食事の汚れがついたままの皿に食事を盛り付けていた。言うことを聞かないので、食事を抜いて2日程度食べさせないこともあった」
母親の虐待が子どもたちに与えた影響
精神鑑定を担当した鑑定人は、愛美被告を「機能不全家族で育ったサバイバー」だと評した。「機能不全家族」とは、家庭内に育児放棄や虐待などが存在し、無意識的に子どもが抑圧されてしまう家族のことを指す。
こうした環境で育った子どもは、成長の過程で愛情を得る機会が乏しく、自尊心や自己愛、他者への共感などが欠けることがあるといわれている。事件の被害者である諒さんも同じサバイバーであり、また母親から特に暴力を受けていた。
一方の父親は病気になるまでも、母親の調書によれば、「あまり話をせず、育児にまったく無関心で、子どもの名前を呼ばない、抱かない、話をしない。自分の部屋にこもっていた」という。愛美被告をはじめとする4人の姉弟たちは、そんな両親に育てられた。
長女だった愛美被告は両親の離婚後、大学を中退。経済力を失っていた父親の代わりに仕事についた。未成年で学生だった妹たちや諒さんにスマホや服などを買い与えていたという。事件当時までスーパーのレジ打ちの仕事を続けていた。
431(1): 2018/07/01(日)14:58 ID:AEHU+Wzv(4/5) AAS
>>430
成人してから被告は、それまで親代わりにと節制してきた反動か、買い物におカネをつぎ込み、バレエやドラムなど、興味を持った習い事をいくつも始めた。
一方、かつて母親から食事を抜かれていた弟は料理を独学で学び、わざわざ千葉から京都まで出向いて包丁を購入。
それを使って友人らに手料理を振る舞うことを楽しみにしていた。
それぞれに、親との暮らしでは得られなかったものを充足させようと生活していたように見える。
だが、愛美被告はなぜ包丁で刺したのだろうか。初公判の罪状認否(被告人が起訴状に書かれた罪状を認めるかどうかについて行う答弁)で彼女は
殺害について、「身を守るために包丁を手に取り、体を被害者のほうへ向けたら太ももに刺さったので部屋を出て庭に出た。その後しばらくして部屋に戻ると死んでいた」と、正当防衛であり殺意はないと主張した。殺すつもりがなかったというのだ。
しかも、被告人質問では一貫して“記憶がない”という趣旨の供述を繰り返した。
「あっ、はっきり覚えてないです」
「はっきり覚えてないです、すみません」
省4
432: 2018/07/01(日)15:02 ID:AEHU+Wzv(5/5) AAS
>>431
姉はなぜたった1人の弟を殺したのか?
多くの公判ではこうした証言であっても客観的な証拠から殺意が認定されるが、なんと判決では、被告の主張が一部認められた。
裁判長は「被告が急所を狙うなどした合理的な証拠がない」として、殺人罪を認めず傷害致死罪を適用。懲役10年の判決を言い渡したのだ(求刑懲役18年)。
検察側は控訴を見送ったが、さらに驚くことに、被告側がこの判決を不服として控訴した。
被告はこの一審では「殺人については無罪」を主張していたからか。もしくは「弟の命を奪った加害者」としての自分よりも「母親からの不適切な養育の被害者」としての自分が勝り、控訴を止められなかったのか。
控訴の理由はいずれ開かれる控訴審で明らかになる。
被告が事件の経緯を明確に話すことはなかったが、1つ、事件の火種になる要素があるとすれば、それは父親の遺産を被告が1人で相続していたことだろう。
年金型で年に1度、150万円が振り込まれていたというが、それを伝えていなかった。
「知らなかった。本来なら折半だし、1人で受け取るなら家を出て1人で暮らしてほしい」と事件の数カ月前、友人に打ち明けていた。
省3
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