[過去ログ] 【NEC】古賀紗理那 Part 4【全日本】 [転載禁止]©2ch.net (1002レス)
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591: 2017/03/19(日)06:36 ID:kWj6xa+t(1) AAS
参拝者に免罪符のように配布し、全国各地を回った。
簡素化された融通念佛血脈譜は評判を生み、等順は生涯で約180万部配布、善光寺信仰の普及に大きな役割を果たし、落語の「お血脈」の題材になった。
江戸中期以降の善光寺の発展は、当時の権力者の庇護と、等順を頂点にした念仏勧進聖の活躍、 そして融通念佛の民族宗教性とによるところが大きいとされる。
本山に伝えられた絵巻に『融通念仏縁起』がある。
融通念仏の最大の特徴は、観想念仏から称名念仏の重要視に変えた事であり、融通念仏宗では、毎朝西方に向かって良忍の説いた十界一念・自他融通の浄土往生を期する念仏(融通念仏)を十唱することなどを日課とする。
時宗(じしゅう)は、鎌倉時代末期に興った浄土教の一宗派。開祖は一遍。総本山は神奈川県藤沢市の清浄光寺(通称遊行寺)。
他宗派同様に「宗」の字を用いるようになったのは、江戸時代以後のことである。開祖とされる一遍には新たな宗派を立宗しようという意図はなく、
その教団・成員も「時衆」と呼ばれた。末尾に附した文献を見ても明らかなように、研究者も室町時代までに関しては時衆の名称を用いている。
時衆とは善導の「観経疏」の一節「道俗時衆等、各發無上心」から来ており、一日を6分割して不断念仏する集団(ないし成員)を指し、古代以来、顕密寺院にいた。
「時宗」と書かれるようになったのは、1633年(寛永10年)の『時宗藤沢遊行末寺帳』が事実上の初見である。
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