魯粛の天下二分の計はただの失策 (980レス)
魯粛の天下二分の計はただの失策 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/warhis/1633888142/
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919: 無名武将@お腹せっぷく [] 2023/09/16(土) 14:04:18.92 魯粛失敗が結果論かどうかなら確かに結果論。 だけどさ、諸葛亮みたいに赤壁より前に荊州と揚州が手を取り合って曹操に対抗するという 先進的な発想をしている人はいたんだよ。 魯粛はそうではなかった、けどね。 なんかあれやね。iphoneの躍進を予測できなかったガラケーの失敗を認めないから何が何でも擁護するようなもんだね。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/warhis/1633888142/919
921: 無名武将@お腹せっぷく [] 2023/09/16(土) 23:04:34.89 >>919 劉表と劉備を一緒くたにして荊州と言い張る詭弁は、既に破れてるんだが。 何度繰り返しても無駄。 孫権と劉備では取るべき戦略が違うのは当然なのに、それもごっちゃにしてて論外。 魯粛の天下二分の計と言われてる進言は、201年春ごろ。曹操は官渡の前哨戦で袁紹の侵攻を撃退してる頃。 孫権に初めて謁見した時なので、官渡の戦いの決着がついた10月よりは前なのは間違いない。 袁紹優勢のその時点で、曹操を倒すのは無理と断定できるのは、情勢を見る力があるからであり、 いずれ伸びてくる曹操を守りやすい長江の線で防御する事を狙い、より弱い劉表を狙うのは、妥当な戦略だろう。 史実の曹操の肥大化の速さを見越せた奴は誰も居なかったのに、見越せて当たり前みたいな言い草は、三国志ファンとして納得行かない。 諸葛亮の天下三分の計と言われてる進言は、曹操が荊州に侵攻する直前の207年冬〜208年春ごろ。 そもそも劉備が劉表の勢力を奪って、荊州のほぼ全部を領有し、益州に侵攻して三国鼎立する目論見だったので お前の理屈から行くとこれも、曹操の肥大化を予見できず初手から頓挫したことになる。 こんな失敗くらいで諸葛亮の評価は下がらないと思うが、まさか、お前はこの諸葛亮の失敗も問題視するのか? http://mao.5ch.net/test/read.cgi/warhis/1633888142/921
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