[過去ログ] 20世紀最大の捏造 ホロコースト 21 (1001レス)
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616: 561 04/09/19 19:25 AAS
自分としてはこの文書の面白味は、
(1)ライヒ・ユダヤ人の戦時中の移送の再開という41年10月から11月にかけての
政策転換、なかんずくテレジンのゲットー化と保護領のユダヤ人の移送という10月
中旬のハイドリヒの決定が、遅くても11月下旬にはプラハの一外交官の知るところ
となったということ、
(2)ハイドリヒの決定によれば移送計画はオストラントのミンスク、リガに5万人、
ライヒ東部国境のウッチに5千人であり[1]、すでに10月中旬から11月上旬にかけて
プラハから約5千人のユダヤ人がウッチに送られ、11月下旬には東部のブルノから
千人のユダヤ人がミンスクに向けて出発したのだが[2]、この在プラハ領事のつか
んだ情報では移送先はポーランドになっているということ、
(3)イェーガー報告にも見られるように、オストラントでは41年8月中旬以降ソ連・
ユダヤ人の婦女子を含む無差別射殺が常態化しており、11月下旬にはライヒから
移送されてきた327人の子どもを含む4934人のユダヤ人が殺害されるという
深刻さがあった[3]。またウッチでもユダヤ人の受け入れは限界に達しており、11月
にはヘウムノにガス自動車のための施設が建設されていた[4]。そしてポーランド、
つまり総督府では新たに編入された東部のガリツィアで10月から婦女子も含めた
ユダヤ人の大量殺戮が毎週のように行われており、10月12日の「スタニスラウの
血の日曜日」には1万人から1万2千人が殺害されていた[5]。
にもかかわらずオストラントへの移送を決めたハイドリヒすら当初は空いている
収容所による受け入れを考えていた[1]というプラハの対照的な呑気さからすると、
このチリの外交官が新たなユダヤ人移送政策の非人道性を相応の深刻さをもって
理解していたかどうかは疑問だということ、
そんなところかな。現在の視点から後知恵的に見ればユダヤ人の絶滅政策がはじ
まったことに中立国の一外交官が気づいたという位置づけになるのかもしれないが、
それでいいのかどうか疑問だと思う。ましてこれがハルに「ガス室捏造」のインスピ
レーションを与えるとは・・・。まあ、いずれにしても図書館調査隊の結果報告が待た
れるのだがなあ。
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