[過去ログ] ケネディ家 (1001レス)
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562: 2011/03/31(木)20:24 0 AAS
JFK Club JAPAN のジャクリーン評が詳しいので、一部抜粋↓
15歳になったジャクリーヌはコネチカット州の私立学校に入ったが、その学校の卒業アルバムにジャクリーヌの言葉が残されている。
彼女の野心が覗けて面白い。そこには「普通の家庭の主婦には絶対にならぬこと」と書かれていた。
18歳で社交界にデビューしたジャクリーヌは、その年のデビュタント1位に列せられた。
少女の世界では、男が大統領になるくらい大変なことである。
社交界評論家チョリ・ポッカの紹介文
「アメリカは伝統の国で四年毎に大統領が選ばれ、毎年デビュタントの女王に王冠が贈られる。1949年の王冠は、ブルーネットのジャクリーヌ・ブーヴィエ嬢の頭に輝いた。
彼女は典型的な容姿とドレスデン陶器の優雅さを兼ね備えている。」
(略)
アメリカに帰って彼女が選んだ学校はジョージ・ワシントン大学であった。
そこで彼女はジャーナリズムを専攻して、四年生の時に「ヴォーグ誌」の年次コンテストに応募して、プリ・ド・パリ賞を獲得した。
この賞の対象となった短編とエッセイは、オスカー・ワイルド、シャルル・ボードレール、セルゲイ・ディアギレフ(ロシアのバレエ監督)のことを書いている。
才能がなければ獲得できない大賞を手にしたわけである。
ジャクリーヌは家族の友人であったニューヨーク・タイムズのアーサー・クロック(ケネディの卒論の出版に一役駆った人物と同一人物)を介して、
ワシントン・タイムズ・ヘラルド社(後にワシントン・ポストと合併)に入社。
同紙編集部のインタビュアーとなった。スピード・カメラをぶらさげて。インタビューを専門とする女性記者の誕生であった。
彼女のコラムは評判となり、同紙は彼女のために専用のコラム欄を作ってやった。
彼女はニクソンの娘にもインタビューしている。
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