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★○★世界史板・統一雑談スレ45★●★ (982レス)
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79: [sage] 2012/09/27(木) 01:35:53.56 0 登仙奇談 唐の天宝(てんぽう)年中、河南※(「糸+侯」、第4水準2-84-44)子(かなんこうし)県の仙鶴観(せんかくかん)には 常に七十余人の道士が住んでいた。 いずれも専ら修道を怠らない人びとで、未熟の者はここに入ることが出来なかった。 ここに修業の道士は、毎年九月三日の夜をもって、一人は登仙(とうせん)することを得るという旧例があった。 夜が明ければ、その姓名をしるして届け出るのである。勿論、誰が登仙し得るか判らないので、毎年その夜になると、 すべての道士らはみな戸を閉じず、思い思いに独り歩きをして、天の迎いを待つのであった。 張竭忠(ちょうけっちゅう)がここの県令となった時、その事あるを信じなかった。そこで、九月三日の夜二人の勇者に命じて、 武器をたずさえて窺わせると、宵のあいだは何事もなかったが、夜も三更(さんこう)に至る頃、 一匹の黒い虎が寺内へ入(い)り来たって、一人の道士をくわえて出た。 それと見て二人は矢を射かけたが中(あた)らなかった。しかも虎は道士を捨てて走り去った。 夜が明けて調べると、昨夜は誰も仙人になった者はなかった。二人はそれを張に報告すると、張は更に府に申し立てて、 弓矢の人数をあつめ、仙鶴観に近い太子陵の東にある石穴のなかを猟(あさ)ると、ここに幾匹の虎を獲た。 穴の奥には道士の衣冠や金簡のたぐい、人の毛髪や骨のたぐいがたくさんに残っていた。 これがすなわち毎年仙人になったという道士の身の果てであった。 その以来、仙鶴観に住む道士も次第に絶えて、今は陵を守る役人らの住居となっている。 岡本綺堂 中国怪奇小説集 (青空文庫より) http://yomogi.5ch.net/test/read.cgi/whis/1347711398/79
登仙奇談 唐の天宝てんぽう年中河南糸侯第水準子かなんこうし県の仙鶴観せんかくかんには 常に七十余人の道士が住んでいた いずれも専ら修道を怠らない人びとで未熟の者はここに入ることが出来なかった ここに修業の道士は毎年九月三日の夜をもって一人は登仙とうせんすることを得るという旧例があった 夜が明ければその姓名をしるして届け出るのである勿論誰が登仙し得るか判らないので毎年その夜になると すべての道士らはみな戸を閉じず思い思いに独り歩きをして天の迎いを待つのであった 張忠ちょうけっちゅうがここの県令となった時その事あるを信じなかったそこで九月三日の夜二人の勇者に命じて 武器をたずさえて窺わせると宵のあいだは何事もなかったが夜も三更さんこうに至る頃 一匹の黒い虎が寺内へ入いり来たって一人の道士をくわえて出た それと見て二人は矢を射かけたが中あたらなかったしかも虎は道士を捨てて走り去った 夜が明けて調べると昨夜は誰も仙人になった者はなかった二人はそれを張に報告すると張は更に府に申し立てて 弓矢の人数をあつめ仙鶴観に近い太子陵の東にある石穴のなかを猟あさるとここに幾匹の虎を獲た 穴の奥には道士の衣冠や金簡のたぐい人の毛髪や骨のたぐいがたくさんに残っていた これがすなわち毎年仙人になったという道士の身の果てであった その以来仙鶴観に住む道士も次第に絶えて今は陵を守る役人らの住居となっている 岡本堂 中国怪奇小説集 青空文庫より
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