[過去ログ] 中国によるチベット・ウイグル人大虐殺2 (506レス)
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56: 2021/04/08(木)18:49:15.80 ID:0(56/506) AAS
ユニクロを展開するファーストリテイリングの柳井正会長兼社長は8日の決算記者会見で、
中国新疆ウイグル自治区での強制労働問題について「政治的なことなのでノーコメントだ」と述べた
強制労働に関してはオーストラリアの戦略政策研究所が昨年3月、日本企業14社を含む世界の有力企業83社が
ウイグル族を強制労働させている中国の工場などと取引していた可能性があるとする報告書を発表している。
ウイグル協会などは日本企業の対応をアンケートで尋ねたところ、パナソニックを除く13社が回答。いずれも取引関係を否定、
もしくは強制労働の実態は確認されなかったとした。京セラは指摘された企業の親会社との取引が判明。
127: 2021/05/05(水)12:22:28.80 ID:0(127/506) AAS
――ウイグル自治区独立論もいろいろな人が主張していますよね。
「独立」が唯一の解決策なのかは議論があるところです。私は以前ウイグルに関する新聞のインタビューで、ウイグルが自分たちで自分たちのことを決められる環境になってほしいと述べたことがあります。
これに対し、ウイグルは中国から独立しなければならない、独立以外の選択肢はあり得ない、独立以外の意見は中共(中国共産党)寄りだと、ネット上で当事者でもないのに口角泡を飛ばすように反論する日本人がいました。彼らの発言を聞いていると、
結局のところ、意見の押し付けという意味では極めて全体主義的というか、中国共産党的だなと感じました。
多くのウイグル人が独立を求めているのは事実ですが、その一方で独立ではなく、以前の新疆ウイグル自治区にもどってくれればいいというウイグルの友人もいます。
外からウイグルの独立を煽る人は往々にして、ウイグルを「反中」の道具に使っているだけなのだと私は感じます。
――外からの思惑によってますます混沌としてきたウイグルですが、今後どうなると見ていますか。
習近平政権が続くかぎり、この状況は改善しないのではないでしょうか。かりに制度として、状況が悪くなる前と同程度の自由を回復できたとしても、一度植えつけられた恐怖はそう簡単には拭えないと思います。
まわりの目を気にして、心から笑える日々を送ることは難しいだろうなと想像してしまいます。欧米列強国による中国批判もどこまで効果があるのか疑問です。
と、そんなふうに、すごく絶望的になってしまうんですが、その一方で、ウイグル人が加害者と敵視している漢人に、この状況を打開してくれるのではないかと期待しているところがあります。私のまわりには、中国政府に限らず国家権力に忖度をしない漢人の友人が少なからずいます。
省1
154: 2021/05/19(水)12:53:49.80 ID:0(154/506) AAS
中国西端、新疆ウイグル自治区カシュガル市内の料理店をのぞいて驚いた。調理場の包丁が鎖でつながれ、外に持ち出せなくなっていたからだ。
肉屋も羊肉を切るおのの柄が鎖でつながれていた。いずれも刃には所有者を特定できるQRコードが刻印されている。
かつて新疆で刃物を使った暴動が頻発し、当局が管理を強化したのだという。
スマートフォンを持たない子どもや高齢者の首から、QRコード付きのカードがぶらさがっているのも目にした。
ウイグル族の集落では各戸の玄関にQRコードが張られていた。当局がスキャンすれば、個人や家族の情報が瞬時に分かるという。
カシュガル市内では交差点ごとに「便民警務所」という交番があった。同じ交差点に二つある地域もあった。ウイグル族の男性が「5年前から一斉に整備された。
住民は見慣れない人がいるとすぐ報告するよう求められている」と教えてくれた。2016年は、
自治区トップの共産党委員会書記に陳全国氏が就任し、ウイグル族の統制政策が強まったとされる年だ
街角のあちこちに警察官が立っている。ただ、街全体の雰囲気に物々しさはなく、穏やかだった。
同僚記者が3年前に訪れた際には至る所にあったという手荷物検査用のエックス線装置は、市場やホテルで見かける程度だった。
167: 2021/05/23(日)12:19:59.80 ID:0(167/506) AAS
中国共産党中央文献室が書いた『毛沢東伝』の翻訳者。中国政府寄りの発言で知られる。
『毛沢東伝』は中国の公式プロパガンダの一環としての毛沢東像で書かれており、
都合の悪い事件や事象は一切書かれていないが、解説等でその矛盾を指摘することなく、
ひたすら毛沢東を礼賛したことが『ワイルド・スワン』を書いたユン・チアンらから非難を浴びている。
天安門広場での虐殺は無かったとする報告を自由論題でおこない、国際人権団体から抗議を受けたという。
残虐な殺戮」とか「虐殺」と称すべき事態は発生しなかった。」とし、マスコミ報道を含めた思い入れ先行の「研究」の危険性を指摘した。ただし、村田も、軍が北京市内に侵攻する過程で発砲による死亡事件が起きたことは否定していない。
89年の中国の学生運動を一面的に美化することは問題である。そもそも自分たちの要求を実現させるために「ハンスト」という、生命を武器にして相手に譲歩を迫る方法は、とても民主的手続きを踏んだものではない。
生命を武器に相手に自分たちの条件を飲ませる方法であって、一種の脅迫である。」とした。当時の民主化運動を「文革期にも行われた極左行動に他ならない。それを「平和的」「理性的」な行動であった、と持ち上げるのは、あまりに「お人好し」な評価といえる。」と暴動事件だとしている
尖閣諸島は日清戦争以前は中国に属しており、日本や琉球の付属島嶼ではなかったと主張している
171: 2021/05/25(火)13:20:40.80 ID:0(171/506) AAS
中国が太陽電池パネルの製造にウイグル人を強制労働させている新たな報告書が発表される
詳細な調査資料がイギリスSheffield Hallam大学から発表され、ソーラーパネル奴隷労働が世界で大問題に
新疆ではsolar panel主要部品ポリシリコンの世界供給量約45%が大規模強制労働で生産される
強制労働者の移動を促進している準軍事的組織、新疆生産建設団(XPCC)から補助金を受けた企業のウイグル人強制労働
中国政府は新疆ウイグル自治区などでの強制労働の存在を断固否定してますが
政府や民間の労働機関が、新疆ウイグル自治区のウイグル人やカザフ人を「余剰労働」や「労働移転」「貧困緩和」
プログラムを名目に参加させる事を執拗に行っている
レポートでは、このようなプログラムは新疆ウイグル自治区に古くから存在していたが
現在では「大量の抑留や超法規的投獄を背景に運営されており、参加を拒否する事はできない」とされ、
新疆ウイグル自治区にある1300〜1400の拘置所や収容所のシステムを引き合いに出し
省2
296: 2021/10/02(土)11:43:41.80 ID:0(296/506) AAS
ウイグル自治区で民族などの集団に破壊する意図をもって危害を加える「ジェノサイド」が続いているとして、アメリカ政府や国際社会に対して
中国への圧力を強化するよう求める集会が、首都ワシントンで開かれました。
この集会は、ワシントンを拠点とするウイグルの人権団体などが1日に開いたもので、連邦議会の与野党の議員や中国の新疆ウイグル自治区の出身の人たちなど、およそ200人が参加しました。
411: 2022/02/04(金)21:28:32.80 ID:0(411/506) AAS
バイユズ・マウランさんは去年、10年間住み続けたトルコから妻と3人の子供とともに神戸に移り住んできました。
実はマウランさん一家が日本に住むのはこれが2度目。
20年前に徳島の大学に留学していましたが、子どもの教育のことなどを考えて10年前、日本からトルコに移住していたのです
。トルコには5万人を超えるウイグル族のコミュニティがあります。
言語や文化、宗教などがウイグル族に近いためです。
ウイグル族にとっては第2の故郷とも言えるトルコから、なぜマウランさんは日本に戻ってきたのでしょうか。
バイユズ・マウランさん
「トルコが中国に接近すればするほど、ウイグル族にプレッシャーがかかるようになりました」
近年、トルコは難民問題などをめぐって欧米との溝が深まり、経済が低迷しています。
そこで関係を強化しているのが中国です。
省7
458: 2022/04/10(日)17:58:32.80 ID:0(458/506) AAS
日本ウイグル協会のレテプ・アフメット副会長は「日本は世界で最も多くのウイグル人留学生を受け入れ、ウイグル社会を引っ張った知識人を育て上げた。その知識人が一斉に(中国の収容政策により)姿を消すという悪夢が起きている。非人道的な中国の行いに、国として声をあげてほしい」と語った。
463: 2022/04/20(水)17:52:26.80 ID:0(463/506) AAS
静岡大教授・楊海英が読む『スターリンと新疆 1931−1949年』寺山恭輔著
「ここはロシア人農民の集落だった」「そこに白系ロシア軍が駐屯していた」「あそこの立派な建物はソ連領事館だった」…。私が中国・新疆(しんきょう)ウイグル自治区で民族学の調査をしていた1990年代
、現地の人びとからしばしばこうした説明を受けた。ロシア・ソ連の色に濃厚に染まっていた証しである。
新疆という名が史上に登場するのは1760年。それまでは北部草原にモンゴル人が遊牧し、南部のオアシスにトルコ系の農民が田を耕していた。清朝の「新しい疆域(きょういき)」として省の制度が導入されたのは近代に入った1884年からだ。
日本の4倍もの広さを誇る新疆は、「アジアの遠い奥地」や「シルクロードの一部」とのイメージが強いが、実は1931年の満州事変をきっかけに、モンゴル人民共和国と同じくらい、ソ連の内政と外交に影響を与えつづけた地政学上の要衝だった史実を著者は整理している
。ソ連と隣接し、中国よりも中央アジアの一部としての性格が強い多民族地域の新疆を当時牛耳っていたのは奉天(瀋陽)生まれの漢人、盛世才(せいせいさい)だった。明治大学で学び、後に陸軍大学校を卒業した彼は、東京でマルクスとレーニンの著作を貪(むさぼ)っていた。東北が満州国になった怨恨(えんこん)から反日を貫き、スターリンに接近してソ連共産党に入る。
40万人の漢民族を母体に400万人の諸民族を苛烈な暴力で統治していた盛は、共産主義を信奉する軍閥だった。当時の中国共産党が「ウイグル人が希望するなら、彼らが独立するまで支持する」とのスローガンを掲げていたことに盛は危機感を抱き、共産主義と民族自治の間で苦悶(くもん)していた姿が活写されている。ドイツの侵攻でソ連が劣勢に転じると盛はロシア人を裏切り、膝元の共産党員らを粛清する。
かつて、米国の「歩く歴史家」オーウェン・ラティモアは、新疆は早晩、「アジアの焦点」になると予測し、今日の識者は「新疆のパレスチナ化」を懸念している。今日の中共が盛世才を「反動軍閥」だと非難しながら、実はその専制的手法を踏襲しているのは歴史の皮肉といえよう。
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