[過去ログ] ア イ ヌ ス レ (1002レス)
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23: 2021/07/02(金)08:48 ID:0(23/999) AAS
それとも、北海道には日本語話者とアイヌ語話者がもとも「混在」していたのでしょうか。
渡党の人々は和人とコミュニケーションが取れたとされます。
すると今度は、「言語は日本語のままで、それ以外の文化はアイヌ化した」という奇妙な人々がいてもおかしくなかったのではないでしょうか。
厳密には、北海道の地に次のような4種類の人々と、これらの中間の人々が存在したことになります。
しかし、実際にはアイヌ語話者とアイヌ文化の担い手は極めて排他的に一致していました。
アイヌ語話者であればアイヌ文化の担い手であり、逆にアイヌ語話者でないならばアイヌ文化の担い手でもなかったのです。
では、13世紀まで北海道にアイヌ語は存在していなかったと仮定したらどうなるでしょう。
北海道の一部の地域で文化がアイヌへと変質するのに伴って、言語も同時にアイヌへの変質が起こったのでしょうか。
これは、間違いなく不可能です。
アイヌ文化の出現は、極めて短期間に擦文文化からの「移行期」を経ずに急激に訪れたように見えます。
同一の地域に居住する同一の集団が、元の言語の痕跡を跡形もなく残さずに、これほど短い期間で全く異なる言語へと変質するというのは理論上ありえないことです。
モリス・スワデシュによって提唱された、「言語年代学」においては、言語が分岐して1000年が経過しても、80%の基本的語彙は保存されるとされます。
また、そもそも論として、言語以外の文化に関しても、擦文文化とアイヌ文化は、短期間に変質できるような類似性が全く無いのです。
前回の動画でも、擦文文化は竪穴式住居であり、アイヌ文化は掘立柱建物であったことは解説しました。
これは、長い間同じ場所に定住する人々と、短い期間で居住場所を移動していく人々の生活様式の違いを反映しているものと解釈できます。
実際、アイヌには人が死ぬと家屋を燃やす習慣があったようです。
明治政府はその習慣をやめ、一か所に定住するようにアイヌに奨励していたのです。
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