[過去ログ]
ア イ ヌ ス レ (1002レス)
ア イ ヌ ス レ http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1625157225/
上
下
前
次
1-
新
通常表示
512バイト分割
レス栞
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索
歴削→次スレ
栞削→次スレ
過去ログメニュー
3: 世界@名無史さん [] 2021/07/02(金) 03:19:18 ID:0 山梨大学の現在の研究課題 蝦夷の真相解明まであと2年 震えて眠れ エミシとは誰だったのか:全ゲノム解析で明らかにする東北古代人の遺伝的変遷 研究期間 (年度) 2020-04-01 - 2023-03-31 https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-20H03332/ >宮城県の五松山洞窟(6世紀)から出土した人骨群では、その多くが西日本の弥生人に似た扁平性な顔を持つ中、 >少数だが縄文人的な顔貌の個体が混じり、成人男性2体の頭蓋に北海道アイヌとの類似が認められた。 >山口敏(国立科学博物館・人類学部長)は、大和朝廷の最前線に位置する五松山の当時の状況から、 >東北北部には、仙台平野以南とは異なった形質の人々が住んでいた可能性を指摘している。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1625157225/3
4: 世界@名無史さん [] 2021/07/02(金) 03:20:32 ID:0 アイヌと縄文人のADMIXTUREパターンはほぼ同じ 分子人類学では「アイヌは縄文人の直系の子孫である」という見方がすでに定説になっている Figure 7. (a) Admixture result. (b) Cross-validation error of admixture from k = 2 to k = 7. https://www.jstage.jst.go.jp/article/ase/129/1/129_201217/_figures/129_201217_7.jpg 図7aは、ADMIXTURE分析の結果である。 k = 2 の場合、2つの祖先成分が青とオレンジで色分けされる。 Ainu個体群のいくつかは、F23 Jomon個体群と同様、100%青色成分であった。最も低くても青色成分が50%以上あった。 Okinawa個体群は、青色成分が約30%ほどであるのに対し、Yamato個体群は平均で約15%ほどである。 Koreanは5%ほどあり、CHBとCHSはあったとしても青色成分の割合は非常に少ない。 この結果は、従来の「二重構造モデル」とよく一致し、青色は土着 (Jomon) 成分、オレンジ色は渡来弥生人の成分である。 k = 3 の場合、緑とオレンジ色の成分に分離し、青色成分の割合も僅かに変化した。 斎藤成也が新たに提案した「3ウェーブ移動モデル」に当てはめると 青・緑・オレンジ色は、それぞれ第一波(縄文人)・第二波(sea people)・第三波(稲作弥生人)に対応すると見られる。 k = 4 の場合、赤色成分は、大陸集団にのみ現れ、CHS個体群でとくに優勢である (70-100%)。 CHBでも優勢で、個体によっては赤色成分が50-100%となっている。 k値を変えてCVエラーを比較すると (図7b) k = 4-7 は適合度が悪く、k = 2 か k = 3 がより現実的であると思われる。 Modern human DNA analyses with special reference to the inner dual-structure model of Yaponesian doi: https://doi.org/10.1537/ase.201217 Timothy A. Jinam, Yosuke Kawai, Naruya Saitou http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1625157225/4
5: 世界@名無史さん [] 2021/07/02(金) 03:21:39 ID:0 日本史を正しく認識するための正しい用語集 縄文人 = プレアイヌ・プロトアイヌ 縄文語 = アイヌイック・夷語(exonym)・アコロイタク(endonym) 弥生人 = ムムン (無文土器時代 朝鮮人)、渡海人 日本語 = 半島日本語(Peninsular Japonic)・百済語・先高句麗語(扶余語族) http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1625157225/5
6: 世界@名無史さん [] 2021/07/02(金) 03:22:17 ID:0 Y-DNAはオワコン。Y-DNAで人種の比定はできない。専門家に笑われてしまう 大まかな人類の移動の流れが追えると謳い文句にしていたが、大まかな流れも追えていない Y-DNAによるクラスタリングでは、「D系!O系!」みたいな幼稚な議論にしかならない そのせいで「日本人とチベット人は同じDだから近縁!」と勘違いする者が後をたたない 西洋の分子人類学はすでにAutosomal DNAによるクラスタリング、ADMIXTURE分析、PCAプロットに移行 ■ ADMIXTURE分析 https://media.springernature.com/full/springer-static/esm/art%3A10.1038%2Fs41586-021-03336-2/MediaObjects/41586_2021_3336_Fig7_ESM.jpg ■ 最新のPCA 日本と韓国は同じ紫色クラスター https://image.prntscr.com/image/EYWB175LTyKBnlITTtj52A.png 斎藤成也(分子人類学) >「Y染色体には重要な遺伝子は少なく、Y染色体を先祖から伝え持っていても大したことではない。 >家系を5世代遡ると2の5乗、32人の先祖がいて、その中の一人の遺伝子は >確かに伝わっているが、32分の1だけが伝わっているに過ぎず、他人のようなものだ。 >また、ミトコンドリアも母系にしか伝わらないが、同様に大勢の祖先の中の一人のものが伝わっているに過ぎない。」 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1625157225/6
7: 世界@名無史さん [] 2021/07/02(金) 03:23:25 ID:0 CHB → KOR → JPT https://i0.wp.com/phity.net/wp-content/uploads/2019/10/jap6.png 主成分分析で使われているデータはJPT(Japan Tokyo)という東京都民1000人分の標本 関西のデータは使われてない。奈良県民1000人をプロットしたら、さらに韓国に近づく グラフ上で「東北弥生人」とキャプションされているのは、続縄文期(Epi-Jomon)の東北アイヌ(蝦夷)のことであり 日本の学者はすべてを説明をすることはせず、このように姑息に人を騙すようなことをしている 「縄文人と弥生人は仲良く混血した」というお決まりの説を前提にすると、現代日本クラスターは、 西九州の位置にこなければならないが、それよりずっと韓国に近い位置にプロットされた 篠田謙一が説明するように、「こっち(韓国)に引っ張る何か・・・」が起きたのである。その何かとは、百済人であろう http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1625157225/7
8: 世界@名無史さん [] 2021/07/02(金) 03:23:43 ID:0 アイヌは日本列島の先住民 和人は朝鮮半島の先住民 ■ 朝鮮 無文土器時代 https://ja.wikipedia.org/?curid=270746 ■ Peninsular Japonic(半島日本語) https://ja.wikipedia.org/?curid=4281098 >朝鮮における無文土器文化の担い手は日本語族に属する言語を話していたという説が複数の学者から提唱されている。 >これらの説によれば現代の朝鮮語族に属する言語は満州南部から朝鮮北部にわたる地域で確立され、 >朝鮮語族の集団は南方へ拡大し、中部から南部に存在していた日本語族の集団に置き換わっていったとしている。 >またこの過程で南方へ追いやられる形となった日本語族の集団が弥生人の祖であるとされる。 >無文土器時代の開始は朝鮮における水稲作の開始時期とほぼ一致する。 >朝鮮に無文土器文化をもたらした人々はO1b2系統に属していたことが考えられる[1]。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1625157225/8
9: 世界@名無史さん [] 2021/07/02(金) 03:24:42 ID:0 篠田謙一(分子人類学者) 「日本人は弥生時代以降に入ってきた人たちの子孫です、と言うとみんなガッカリする」 https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/press/p01_241101.html 本土人は集団としては韓国人と同じクラスターに属することも分かった http://www.gondo.com/gyarari/photo/kokunaiiseki/pic/doigahama/c5.jpg 核ゲノム解析の結果、現代大和民族のほとんどはこの土井ヶ浜・北部九州弥生人の遺伝子に近いクラスタに属していると判明した 弥生人のDNAで迫る日本人成立の謎(2018年放送) 「実はですね、現代日本人は、もう既に、この辺りだということが分かったんです。弥生人って混血していけば、混血する相手は縄文人になりますから、当然、現代日本人の位置は、こちらにずれてくるはずなんです。ところが、そうならなくてこっちに来てしまったということで、ちょっと考え方を変えなきゃならないと思ったわけです。つまり、こっち(韓国人)に引っ張る、何かがなければいけないということになるんですね・・・。」 https://i.imgur.com/./hr83JQD.jpg http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1625157225/9
10: 世界@名無史さん [] 2021/07/02(金) 03:25:03 ID:0 「先史日本列島人に関する二三の骨学的考察」 山口敏(国立科学博物館) doi: https://doi.org/10.1537/ase.104.343 日本列島の縄文時代人については、コロボックル説、アイヌ説、原日本人説などの諸説があいついで唱えられたが、筆者が人類学を学んだ1950年代には、現代日本人の直系の祖先であり、アイヌとは似て非なるものであるとする長谷部言人の主張が圧倒的な影響力を誇っていた。 そのため、筆者が1959年に参加した稚内市宗谷オンコロマナイ貝塚で、続縄文時代の人骨に遭遇したとき、はなはだしく困惑した。アイヌ的な特徴 (眉間の隆起、狭い口蓋、動揺下顎、広く低い顔と眼窩、立体的な鼻根部、鉗子状咬合、扁平な四肢骨骨幹) と並んで、本州の縄文人の方に近い特徴 (中〜短型の脳頭蓋、著しい低顔型、ピラステルの発達した大腿骨) も見られたからである。 アイヌと縄文人を別系統とみる考え方に抱いた疑問は、その後、縄文時代晩期人骨の発掘を経験するにつれて、ますます大きく膨らんだ。オンコロマナイ人の形態が決して道北部だけのものではなく、道央や道東部にも見られることが分かってきたからである。これらの人骨の観察から、道南の縄文時代人は恵山系続縄文時代人と擦文時代人をへて連続的に近世アイヌに移行していったという考えを抱くようになった。 これと前後して、ハーヴァード大学のW・W・ハウエルズがアイヌの系譜に関して重要な論文を発表した。かれは1961年に来日してアイヌの頭骨を調査し、多数の項目に基づく判別分析を行なった。その結論は、現代の日本人は西日本の弥生時代人と連続的につながるのに対して、縄文人は明らかに異なっており、縄文人の系譜につながるのはアイヌである、というものであった。かれの論拠となった判別分析の図の中で上述のオンコロマナイ人頭骨が重要な位置を占めていたのが印象的であった。 佐賀県三津遺跡、福岡県金隈遺跡、山口県土井ヶ浜遺跡などの出土人骨で代表されるいわゆる北部九州・山口型の弥生人については、対岸の韓国南岸の禮安里遺跡で出土した人骨との顕著な類似が明らかにされており、渡来の原郷が朝鮮半島南部にあったことはほぼ確実と見られている。 左: 稚内市オンコロマナイ貝塚の続縄文時代人頭蓋 右: 稚内市大岬のオホーツク文化人頭蓋 https://www.sapmed.ac.jp/medm/img/7_kaisetu/30/tougai2.jpg http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1625157225/10
11: 世界@名無史さん [] 2021/07/02(金) 03:30:08 ID:0 本州アイヌ語 VS 半島日本語 幻の「本州アイヌ語」を復元する [Honshu Ainu Language] https://www.youtube.com/watch?v=4xinneD9hjY A Brief Introduction to Hypothetical Peninsular (Para-)Japonic Languages https://www.youtube.com/watch?v=OWpfp1yq9-0 失われたエミシの言語の世界をのぞいてみましょう http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1625157225/11
12: 世界@名無史さん [] 2021/07/02(金) 03:58:23 ID:0 天皇は征夷大将軍を組織して原住民狩りしてた 日本の原住民は殺し合わないから刀なんか作ってない 日本刀というのは、天皇が半島から引き連れてきた武士が 原住民狩りに使った道具 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1625157225/12
13: 世界@名無史さん [] 2021/07/02(金) 06:44:09 ID:0 縄文人の土器は独創的ですげぇ!(←こっちアイヌの先祖) 同時期のチョンの無文土器はショボいwww (←こっちが大多数の日本人の先祖です) http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1625157225/13
14: 世界@名無史さん [] 2021/07/02(金) 07:00:40 ID:0 差別大好き民族ジャップ こいつらに目をつけられたら最後 「アイヌはじつは樺太から侵入した侵略者で・・・」「アイヌはじつは好戦的な凶悪民族で・・・」みたいなことを延々と言われる こんなきもちわるいやつらを隣人にもってしまったアイヌの悲運よ http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1625157225/14
15: 世界@名無史さん [sage] 2021/07/02(金) 07:02:18 ID:0 20年前はナコルル可愛いって言ってたのにな 今はアイヌへのヘイトスピーチが日常的に行われてる ジャップってホント気色悪いわ http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1625157225/15
16: 世界@名無史さん [sage] 2021/07/02(金) 08:45:31 ID:0 ムムンガイジに荒らされとるやんけ 金輪際アイヌ単独スレは世界史板に立てるな! 破る奴はムムンガイジの自演と見做す http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1625157225/16
17: 世界@名無史さん [sage] 2021/07/02(金) 08:46:31 ID:0 実はアイヌ側が侵略者だって知ってた? 侵略者「アイヌ」と先住民「縄文倭人」の歴史 ?「アイヌ侵略以前の北海道」 北海道はもともと言葉の通じる縄文倭人が住んでた(本土との交易記録あり) 彼らは縄文文化、続縄文文化、オホーツク文化、擦文文化とひきつがれ、それぞれに類似性が見られる一塊の文化群を成していた 大陸との交流が活発化した4000年前から紀元後600年ごろまでの2000年の時間をかけ弥生遺伝子は日本全土に広まり古墳の分布に一致して倭人文化を形成する 江別古墳群に代表されるように北海道でも9世紀ごろには北海道全域で弥生縄文の混血倭人による土器文化、擦文文化(トビニタイ文化も含む)が浸透していた ?「アイヌ人による北海道侵略」 1200年ごろ大陸現ロシア沿岸部、サハリンを拠点としていた鉄器文化を持つ骨嵬(クイ=アイヌの祖先)が樺太経由で北海道を侵略 好戦的な民族であった骨嵬は大陸南方への侵略も試みたため、1264年に蒙古帝国より3000人の軍が向かい制圧 行き場を失った骨嵬は北海道に侵略を進め、擦文文化とは言葉も風習も全く異なるアイヌ文化が北西部から北海道全土に広がる(突然文化が入れ替わるのは苛烈な侵略の証拠である) 骨嵬は北海道の先住民である擦文人に比べ、鉄器や毒矢の使用で勝り、文化的侵略、同化を行った 1300年ごろまでのわずか100年余の間に先住倭人の土器文化が骨嵬の鉄器文化に変化し、縄文古来の竪穴式住居が消滅、言葉が通じなくなったことが明らかになっており骨嵬(侵略アイヌ民)はわずか100年で北海道全土の侵略を終えたとされる http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1625157225/17
18: 世界@名無史さん [sage] 2021/07/02(金) 08:46:44 ID:0 ?「強い侵略思考を持った危険民族アイヌ」 アイヌ民の骨に戦闘の傷が少ないのは争いを好まない為という旧説があるが、毒矢を用いた好戦的な民族で骨に傷を残さず敵を倒していたためである 骨嵬(クイ=アイヌの祖先)は蛮族として王朝から危険視されていたこと、南方への侵略を契機に大陸を追われている また、わずか100年で北海道全土の侵略を行なっていることから、侵略思考の極めて好戦的な民族であったと考えられる 北海道侵略以降はアイヌ内の部族間対立で多くの血が流れた事が明らかとなっている ?「アイヌ民による先住倭人の同化」 アイヌは先住民の倭人を同化したため、女系のミトコンドリアには縄文倭人の特徴を残すが、男系の遺伝子は沖縄をはじめとする倭人とかなり乖離がある(男性は殺し、女性のみ同化した) 女系遺伝子に先住民の特徴が残るのは蒙古帝国の侵略同化と同じ特徴である これらの事実をまとめると、好戦的に鉄器を用いる大陸からの侵略アイヌ民が、穏やかな土器文化を持つ縄文倭人を一方的に襲い、女性を性奴隷化していたと考えられる 先住民であった穏やかな倭人達は、いったいどんな気持ちでアイヌ民に殺戮され、レイプされていったのだろう 考えるだけで胸が痛む http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1625157225/18
19: 世界@名無史さん [sage] 2021/07/02(金) 08:47:02 ID:0 https://www.youtube.com/watch?v=Ri38F1DC3mE この動画シリーズで解説してきたアイヌに関する情報をまとめてみましょう。 ・元史によれば、モンゴル軍は樺太に住むアイヌと推定される部族を1264年から二回にわたって攻撃している。 ・文献資料において初めて北海道アイヌの存在が確認されるのは13世紀からである。 ・アイヌ文化の考古遺跡もまた、13世紀以降の物しか確認されていない。 ・それ以前の北海道は擦文文化の時代であり、その前は続縄文時代であり、そのまた前は縄文時代である。これらは土器の違いで分類されている。 いずれも竪穴式住居に住んでおり、漆の文化を持っていた。これらの文化は北海道から東北部までまたがって分布しており、人の移動、交流もあったと推測されている。 ・アイヌ文化は北海道限定で生まれた。アイヌは掘立柱建物に住んでおり、漆の文化は持っていなかった。 ・アイヌの風習である「熊送り」は樺太〜アムール川周辺の諸部族と共通するものである。 ・アイヌ文様は樺太〜アムール川周辺の諸部族のものと類似している。 ・初期のアイヌ遺跡は北海道東部に集中している。 ・14世紀、北海道南部には「渡党」と呼ばれる倭人とコミュニケーションが取れる人々が存在していた。 これらはかつて擦文文化の担い手だった人々の末裔だと推測されている。 同時に、「日ノ本」と「唐子」というコミュニケーションが取れない人々も存在していた。これらは、アイヌだと推測されている。 ・江戸時代までにはアイヌの居住範囲は北海道全域に広がっていた。 ・一般日本人とアイヌ系日本人の遺伝子は非情に隔たりが大きい ・アイヌのDNAはオホーツク〜アムール周辺の部族と共通する部分があるとされる。 ・アイヌ系日本人のATLウイルスのキャリアの割合は、北海道の和人系日本人のそれと比べて桁外れに大きい。 ・アイヌ語と日本語は全く違う系統の言語であり、基本語彙の発音の類似も殆ど見られない。 ・アイヌの数の認識方法は20進法が基本となっている。例えば百という数の概念は存在せず、5つの20と認識する。 ・日本語とアイヌ語が同じ言語から分岐したものだとすれば、その年代は8000年前だともされる。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1625157225/19
20: 世界@名無史さん [sage] 2021/07/02(金) 08:47:24 ID:0 これら全てと矛盾なく整合する、北海道アイヌの起源についての仮説モデルはどのようなものでしょうか。 現在、大きく分けて二つの仮説モデルが存在しています。 一つ目は、アイヌは樺太以北のどこかで民族を形成したというものです。それが、1264年から始まったモンゴルによる攻撃を逃れるために北海道にそっくり居住地を移したというもの。 これが私の動画で呼ぶところの「長浜仮説」です。 もう一つは、「北海道が起源だとするあいまいな仮説」です。 北海道アイヌ文化が樺太以北のオホーツク文化の影響を強く受けていること自体は確定的であり、異論が存在しません。 しかし、北海道アイヌ文化の形成については、「オホーツク文化と擦文文化が融合して生まれた」とのみ説明されるのが定番です。 しかし、この説明においては、アイヌ文化の担い手がどのような人々だったのかは曖昧にされているように思えます。 これは、三つの可能性を想定できます。 1・オホーツク文化の担い手である「樺太アイヌ」と呼ぶべき北方の民族が北海道に大量に移住してきた。 彼らは擦文文化と交流することによって文化が部分的に融合、変質し、北海道アイヌ文化を形成した。 これは、事実上長浜仮説と同一です。 2・北海道に住んでいた擦文文化の担い手たちが、「樺太アイヌ」を含むオホーツク文化の担い手たちと、交流、交易をするうちに文化面での影響を受けることで、北海道から居住地を移動することなく、擦文文化から北海道アイヌ文化へと「文化のみを変質」させた。 3・これに加え、上記の1と2の中間的な仮説が考えられます。 つまり、一部の人々は樺太以北から移住してきて、元々住人だった人々と交流混血し、両者の文化が融合しあって生まれたのがアイヌ文化であるというものです。 恐らく、殆どのアイヌの起源についての説明は、このような形を想定しているのだろうと思います。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1625157225/20
21: 世界@名無史さん [sage] 2021/07/02(金) 08:47:38 ID:0 そこで問題になるのが「言語」です。仮に上記の2,3のいずれかが正しかったのだとすれば、擦文文化がアイヌ文化へと変質する以前からアイヌ語は存在していたのでしょうか、いなかったのでしょうか。 実は、この点が全くもって曖昧にされてきたのです。 アイヌの起源が北海道だとする前提に立った上で、アイヌ語がいつの時代から、どこのエリアで、どのような人々によって使われてきたものなのか、明確に説明した人が誰もいないのです。 アイヌ語は縄文時代から既に東北から北海道にかけての地域で使われていたのでしょうか。 前回の動画でも述べましたが、私がこの仮説に全く同意できないのは、アイヌ語と日本語の間に決定的な隔絶があるからです。 例えば、地続きで隣り合っているヨーロッパの諸言語はかなり似ています。 ポルトガル語とスペイン語ならば70%ほどの意思疎通ができるとされています。 仮にアイヌ語が東北部のきつい方言くらいの差異しかない言語であれば、私は「アイヌ語北海道起源仮説」に納得がいくのです。 また。仮にアイヌ語圏と日本語圏が地続きで隣り合っていたとすれば、その間に「中間的な言語」が使われていたエリアがありそうなものですが、それも無いのです。 大化の改新以降、朝廷は東北部に支配域を拡げていくため、城柵と呼ばれる移民を送りました。仮にこの時点で東北部ではアイヌ語が使用されていたとすれば、関東の住人と東北の住人が交わる過程で、アイヌ語という全く異なる言語の存在が確認され、何らかの記録に残り、二つの言語が融合するような事態が起こりそうなものですが、見事ににそのような痕跡は存在しないのです。 そして、13世紀以降、北海道には和人とコミュニケーションが取れない「唐子」「日の本」という集団が存在しました。彼らの言語こそアイヌ語だったとすると、その時代までに東北の和人は全く理解できなくなってしまったことになります。 東北部のアイヌ語文化が、どのような過程を経て、いつ頃までに消滅したのか、誰も説明をしてこなかったのです。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1625157225/21
22: 世界@名無史さん [sage] 2021/07/02(金) 08:47:58 ID:0 では、アイヌ語圏はかなり早い段階で、つまり和人が本州での居住地を広げる以前から、北海道限定のものだったのでしょうか。 しかし、縄文の時代から16000年に渡って、東北部と北海道では人の行き来が継続していたことが分かっています。 それなのに、なぜアイヌ語圏が北海道限定で存在していたのか、という謎が残ります。 北海道がアイヌ語圏だったとすれば、最低でも東北の北部まではアイヌ語圏が広がっていなければ不自然でしょう。 しかし、考察を続けるため、アイヌ文化が北海道に「生じる」以前の段階で、北海道全域がアイヌ語圏で、東北以南は日本語圏という状態だったと仮定しましょう しかし、13世紀、最初期のアイヌ文化はオホーツク海岸など一部の地域に偏在していたとされます。 北海道の一部の地域で「文化の変質」が起こり、北海道アイヌ文化が生まれたとしましょう。 この人たちこそ、「言語もアイヌ、その他全ての文化もアイヌ」という、名実ともにアイヌ民族なのでしょう。 しかし、これ以外の北海道の地域には「言語のみアイヌ語だが、それ以外の文化はアイヌ化していない」人々が住んでいたことになります。 そのような人々がどこに存在していたのでしょうか。 仮にいたとすれば、いつどこに消えてしまったのでしょう http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1625157225/22
上
下
前
次
1-
新
書
関
写
板
覧
索
設
栞
歴
あと 980 レスあります
スレ情報
赤レス抽出
画像レス抽出
歴の未読スレ
AAサムネイル
Google検索
Wikipedia
ぬこの手
ぬこTOP
0.110s*