[過去ログ] ア イ ヌ ス レ (1002レス)
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1(9): 2021/07/02(金)01:33 ID:0(1/999) AAS
検索されにくくしてみた
2: 2021/07/02(金)01:36 ID:0(2/999) AAS
世界史と関係ない日本史ローカルのなんも発展性のない荒らしの餌にしかならん糞スレ立てんな
北方諸民族[ウラル/シベリア/アイヌ/エスキモー]
2chスレ:whis
3: 2021/07/02(金)03:19 ID:0(3/999) AAS
山梨大学の現在の研究課題 蝦夷の真相解明まであと2年 震えて眠れ
エミシとは誰だったのか:全ゲノム解析で明らかにする東北古代人の遺伝的変遷
研究期間 (年度) 2020-04-01 - 2023-03-31
外部リンク:kaken.nii.ac.jp
>宮城県の五松山洞窟(6世紀)から出土した人骨群では、その多くが西日本の弥生人に似た扁平性な顔を持つ中、
>少数だが縄文人的な顔貌の個体が混じり、成人男性2体の頭蓋に北海道アイヌとの類似が認められた。
>山口敏(国立科学博物館・人類学部長)は、大和朝廷の最前線に位置する五松山の当時の状況から、
>東北北部には、仙台平野以南とは異なった形質の人々が住んでいた可能性を指摘している。
4: 2021/07/02(金)03:20 ID:0(4/999) AAS
アイヌと縄文人のADMIXTUREパターンはほぼ同じ
分子人類学では「アイヌは縄文人の直系の子孫である」という見方がすでに定説になっている
Figure 7. (a) Admixture result. (b) Cross-validation error of admixture from k = 2 to k = 7.
画像リンク[jpg]:www.jstage.jst.go.jp
図7aは、ADMIXTURE分析の結果である。
k = 2 の場合、2つの祖先成分が青とオレンジで色分けされる。
Ainu個体群のいくつかは、F23 Jomon個体群と同様、100%青色成分であった。最も低くても青色成分が50%以上あった。
Okinawa個体群は、青色成分が約30%ほどであるのに対し、Yamato個体群は平均で約15%ほどである。
Koreanは5%ほどあり、CHBとCHSはあったとしても青色成分の割合は非常に少ない。
この結果は、従来の「二重構造モデル」とよく一致し、青色は土着 (Jomon) 成分、オレンジ色は渡来弥生人の成分である。
省9
5: 2021/07/02(金)03:21 ID:0(5/999) AAS
日本史を正しく認識するための正しい用語集
縄文人 = プレアイヌ・プロトアイヌ
縄文語 = アイヌイック・夷語(exonym)・アコロイタク(endonym)
弥生人 = ムムン (無文土器時代 朝鮮人)、渡海人
日本語 = 半島日本語(Peninsular Japonic)・百済語・先高句麗語(扶余語族)
6: 2021/07/02(金)03:22 ID:0(6/999) AAS
Y-DNAはオワコン。Y-DNAで人種の比定はできない。専門家に笑われてしまう
大まかな人類の移動の流れが追えると謳い文句にしていたが、大まかな流れも追えていない
Y-DNAによるクラスタリングでは、「D系!O系!」みたいな幼稚な議論にしかならない
そのせいで「日本人とチベット人は同じDだから近縁!」と勘違いする者が後をたたない
西洋の分子人類学はすでにAutosomal DNAによるクラスタリング、ADMIXTURE分析、PCAプロットに移行
■ ADMIXTURE分析
画像リンク[jpg]:media.springernature.com
■ 最新のPCA 日本と韓国は同じ紫色クラスター
画像リンク[png]:image.prntscr.com
省5
7: 2021/07/02(金)03:23 ID:0(7/999) AAS
CHB → KOR → JPT
画像リンク[png]:i0.wp.com
主成分分析で使われているデータはJPT(Japan Tokyo)という東京都民1000人分の標本
関西のデータは使われてない。奈良県民1000人をプロットしたら、さらに韓国に近づく
グラフ上で「東北弥生人」とキャプションされているのは、続縄文期(Epi-Jomon)の東北アイヌ(蝦夷)のことであり
日本の学者はすべてを説明をすることはせず、このように姑息に人を騙すようなことをしている
「縄文人と弥生人は仲良く混血した」というお決まりの説を前提にすると、現代日本クラスターは、
西九州の位置にこなければならないが、それよりずっと韓国に近い位置にプロットされた
篠田謙一が説明するように、「こっち(韓国)に引っ張る何か・・・」が起きたのである。その何かとは、百済人であろう
8: 2021/07/02(金)03:23 ID:0(8/999) AAS
アイヌは日本列島の先住民 和人は朝鮮半島の先住民
■ 朝鮮 無文土器時代
外部リンク:ja.wikipedia.org
■ Peninsular Japonic(半島日本語)
外部リンク:ja.wikipedia.org
>朝鮮における無文土器文化の担い手は日本語族に属する言語を話していたという説が複数の学者から提唱されている。
>これらの説によれば現代の朝鮮語族に属する言語は満州南部から朝鮮北部にわたる地域で確立され、
>朝鮮語族の集団は南方へ拡大し、中部から南部に存在していた日本語族の集団に置き換わっていったとしている。
>またこの過程で南方へ追いやられる形となった日本語族の集団が弥生人の祖であるとされる。
>無文土器時代の開始は朝鮮における水稲作の開始時期とほぼ一致する。
省1
9: 2021/07/02(金)03:24 ID:0(9/999) AAS
篠田謙一(分子人類学者)
「日本人は弥生時代以降に入ってきた人たちの子孫です、と言うとみんなガッカリする」
外部リンク[html]:www.u-tokyo.ac.jp
本土人は集団としては韓国人と同じクラスターに属することも分かった
画像リンク[jpg]:www.gondo.com
核ゲノム解析の結果、現代大和民族のほとんどはこの土井ヶ浜・北部九州弥生人の遺伝子に近いクラスタに属していると判明した
弥生人のDNAで迫る日本人成立の謎(2018年放送)
「実はですね、現代日本人は、もう既に、この辺りだということが分かったんです。弥生人って混血していけば、混血する相手は縄文人になりますから、当然、現代日本人の位置は、こちらにずれてくるはずなんです。ところが、そうならなくてこっちに来てしまったということで、ちょっと考え方を変えなきゃならないと思ったわけです。つまり、こっち(韓国人)に引っ張る、何かがなければいけないということになるんですね・・・。」
画像リンク[jpg]:i.imgur.com
10: 2021/07/02(金)03:25 ID:0(10/999) AAS
「先史日本列島人に関する二三の骨学的考察」 山口敏(国立科学博物館)
doi: 外部リンク[343]:doi.org
日本列島の縄文時代人については、コロボックル説、アイヌ説、原日本人説などの諸説があいついで唱えられたが、筆者が人類学を学んだ1950年代には、現代日本人の直系の祖先であり、アイヌとは似て非なるものであるとする長谷部言人の主張が圧倒的な影響力を誇っていた。
そのため、筆者が1959年に参加した稚内市宗谷オンコロマナイ貝塚で、続縄文時代の人骨に遭遇したとき、はなはだしく困惑した。アイヌ的な特徴 (眉間の隆起、狭い口蓋、動揺下顎、広く低い顔と眼窩、立体的な鼻根部、鉗子状咬合、扁平な四肢骨骨幹) と並んで、本州の縄文人の方に近い特徴 (中〜短型の脳頭蓋、著しい低顔型、ピラステルの発達した大腿骨) も見られたからである。
アイヌと縄文人を別系統とみる考え方に抱いた疑問は、その後、縄文時代晩期人骨の発掘を経験するにつれて、ますます大きく膨らんだ。オンコロマナイ人の形態が決して道北部だけのものではなく、道央や道東部にも見られることが分かってきたからである。これらの人骨の観察から、道南の縄文時代人は恵山系続縄文時代人と擦文時代人をへて連続的に近世アイヌに移行していったという考えを抱くようになった。
これと前後して、ハーヴァード大学のW・W・ハウエルズがアイヌの系譜に関して重要な論文を発表した。かれは1961年に来日してアイヌの頭骨を調査し、多数の項目に基づく判別分析を行なった。その結論は、現代の日本人は西日本の弥生時代人と連続的につながるのに対して、縄文人は明らかに異なっており、縄文人の系譜につながるのはアイヌである、というものであった。かれの論拠となった判別分析の図の中で上述のオンコロマナイ人頭骨が重要な位置を占めていたのが印象的であった。
省3
11: 2021/07/02(金)03:30 ID:0(11/999) AAS
本州アイヌ語 VS 半島日本語
幻の「本州アイヌ語」を復元する [Honshu Ainu Language]
動画リンク[YouTube]
A Brief Introduction to Hypothetical Peninsular (Para-)Japonic Languages
動画リンク[YouTube]
失われたエミシの言語の世界をのぞいてみましょう
12: 2021/07/02(金)03:58 ID:0(12/999) AAS
天皇は征夷大将軍を組織して原住民狩りしてた
日本の原住民は殺し合わないから刀なんか作ってない
日本刀というのは、天皇が半島から引き連れてきた武士が
原住民狩りに使った道具
13: 2021/07/02(金)06:44 ID:0(13/999) AAS
縄文人の土器は独創的ですげぇ!(←こっちアイヌの先祖)
同時期のチョンの無文土器はショボいwww (←こっちが大多数の日本人の先祖です)
14(1): 2021/07/02(金)07:00 ID:0(14/999) AAS
差別大好き民族ジャップ
こいつらに目をつけられたら最後
「アイヌはじつは樺太から侵入した侵略者で・・・」「アイヌはじつは好戦的な凶悪民族で・・・」みたいなことを延々と言われる
こんなきもちわるいやつらを隣人にもってしまったアイヌの悲運よ
15(1): 2021/07/02(金)07:02 ID:0(15/999) AAS
20年前はナコルル可愛いって言ってたのにな
今はアイヌへのヘイトスピーチが日常的に行われてる
ジャップってホント気色悪いわ
16: 2021/07/02(金)08:45 ID:0(16/999) AAS
ムムンガイジに荒らされとるやんけ
金輪際アイヌ単独スレは世界史板に立てるな!
破る奴はムムンガイジの自演と見做す
17: 2021/07/02(金)08:46 ID:0(17/999) AAS
実はアイヌ側が侵略者だって知ってた?
侵略者「アイヌ」と先住民「縄文倭人」の歴史
?「アイヌ侵略以前の北海道」
北海道はもともと言葉の通じる縄文倭人が住んでた(本土との交易記録あり)
彼らは縄文文化、続縄文文化、オホーツク文化、擦文文化とひきつがれ、それぞれに類似性が見られる一塊の文化群を成していた
大陸との交流が活発化した4000年前から紀元後600年ごろまでの2000年の時間をかけ弥生遺伝子は日本全土に広まり古墳の分布に一致して倭人文化を形成する
江別古墳群に代表されるように北海道でも9世紀ごろには北海道全域で弥生縄文の混血倭人による土器文化、擦文文化(トビニタイ文化も含む)が浸透していた
?「アイヌ人による北海道侵略」
1200年ごろ大陸現ロシア沿岸部、サハリンを拠点としていた鉄器文化を持つ骨嵬(クイ=アイヌの祖先)が樺太経由で北海道を侵略
好戦的な民族であった骨嵬は大陸南方への侵略も試みたため、1264年に蒙古帝国より3000人の軍が向かい制圧
省3
18: 2021/07/02(金)08:46 ID:0(18/999) AAS
?「強い侵略思考を持った危険民族アイヌ」
アイヌ民の骨に戦闘の傷が少ないのは争いを好まない為という旧説があるが、毒矢を用いた好戦的な民族で骨に傷を残さず敵を倒していたためである
骨嵬(クイ=アイヌの祖先)は蛮族として王朝から危険視されていたこと、南方への侵略を契機に大陸を追われている
また、わずか100年で北海道全土の侵略を行なっていることから、侵略思考の極めて好戦的な民族であったと考えられる
北海道侵略以降はアイヌ内の部族間対立で多くの血が流れた事が明らかとなっている
?「アイヌ民による先住倭人の同化」
アイヌは先住民の倭人を同化したため、女系のミトコンドリアには縄文倭人の特徴を残すが、男系の遺伝子は沖縄をはじめとする倭人とかなり乖離がある(男性は殺し、女性のみ同化した)
女系遺伝子に先住民の特徴が残るのは蒙古帝国の侵略同化と同じ特徴である
これらの事実をまとめると、好戦的に鉄器を用いる大陸からの侵略アイヌ民が、穏やかな土器文化を持つ縄文倭人を一方的に襲い、女性を性奴隷化していたと考えられる
先住民であった穏やかな倭人達は、いったいどんな気持ちでアイヌ民に殺戮され、レイプされていったのだろう
省1
19: 2021/07/02(金)08:47 ID:0(19/999) AAS
動画リンク[YouTube]
この動画シリーズで解説してきたアイヌに関する情報をまとめてみましょう。
・元史によれば、モンゴル軍は樺太に住むアイヌと推定される部族を1264年から二回にわたって攻撃している。
・文献資料において初めて北海道アイヌの存在が確認されるのは13世紀からである。
・アイヌ文化の考古遺跡もまた、13世紀以降の物しか確認されていない。
・それ以前の北海道は擦文文化の時代であり、その前は続縄文時代であり、そのまた前は縄文時代である。これらは土器の違いで分類されている。
いずれも竪穴式住居に住んでおり、漆の文化を持っていた。これらの文化は北海道から東北部までまたがって分布しており、人の移動、交流もあったと推測されている。
・アイヌ文化は北海道限定で生まれた。アイヌは掘立柱建物に住んでおり、漆の文化は持っていなかった。
・アイヌの風習である「熊送り」は樺太〜アムール川周辺の諸部族と共通するものである。
・アイヌ文様は樺太〜アムール川周辺の諸部族のものと類似している。
省11
20: 2021/07/02(金)08:47 ID:0(20/999) AAS
これら全てと矛盾なく整合する、北海道アイヌの起源についての仮説モデルはどのようなものでしょうか。
現在、大きく分けて二つの仮説モデルが存在しています。
一つ目は、アイヌは樺太以北のどこかで民族を形成したというものです。それが、1264年から始まったモンゴルによる攻撃を逃れるために北海道にそっくり居住地を移したというもの。
これが私の動画で呼ぶところの「長浜仮説」です。
もう一つは、「北海道が起源だとするあいまいな仮説」です。
北海道アイヌ文化が樺太以北のオホーツク文化の影響を強く受けていること自体は確定的であり、異論が存在しません。
しかし、北海道アイヌ文化の形成については、「オホーツク文化と擦文文化が融合して生まれた」とのみ説明されるのが定番です。
しかし、この説明においては、アイヌ文化の担い手がどのような人々だったのかは曖昧にされているように思えます。
これは、三つの可能性を想定できます。
1・オホーツク文化の担い手である「樺太アイヌ」と呼ぶべき北方の民族が北海道に大量に移住してきた。
省6
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