【GHQに焚書された書籍】 (215レス)
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(1): 2023/12/15(金)17:02 ID:0(43/214) AAS
>>42あるフルベッキとは、陰謀論でおなじみ「フルベッキ群像写真」の宣教師。
外部リンク:ja.m.wikipedia.org
大室寅之祐の明治天皇すり替えコピペはよく見てたけど、大室といわれる人がこんなに明治天皇に似ていたとはビックリ。
維新前から英語教師として維新の志士たちのブレーン的存在だったフルベッキは、維新後、政府に呼ばれ、太政官顧問となり、各国の法律の翻訳や説明にあたった。
1873年、政府法律顧問に就任。フルベッキの貢献の一つに日本の法律体制の確立がある。フルベッキの数多い法律体制の実績を一つだけ例として挙げるとすれば、維新政府の大事業であった地租改正がある。同改正の立法的基礎を打ち立てたのは一般に渋沢栄一と前島密の2人とされているが、その裏でフルベッキの助言があった。 
この頃、フルベッキは、大隈重信にBrief Sketchを手交している。同書は、信教の自由やその他の理解のため政府高官が直接欧米を視察するように建白しており、これが岩倉使節団の米欧派遣の素案となった。岩倉はフルベッキの提案であることを隠匿し、フルベッキも自身の業績について殆ど口外したことのない陰の人物となった。
1871(明治4).12.23日、明治政府が廃藩置県を断行した直後、岩倉具視を団長にする遣外使節団が派遣された。
使団のメンバーは岩倉以外に副使として大久保利通・木戸孝允・伊藤博文・山口尚芳ら48名の使節団に加えて団琢磨・中江兆民・津田梅子ら留学生59名の計107名(平均年齢30歳) が横浜から出発した。

ここに名前が挙がる渋沢栄一もフルベッキと懇意みたいだし、津田梅子も合わせて新紙幣の顔だ。
岩倉使節団の一番の目的は、実は信教の自由の理解のための留学だったんじゃないの?
省2
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