【GHQに焚書された書籍】 (215レス)
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(1): 2023/12/15(金)16:40 ID:0(42/214) AAS
この『今次大戦と裏のニュース、世界猶太(ユダヤ)情報(国際秘密力研究叢書、第10冊)』を著した国際政経学会は、『猶太研究』昭和十七年十二月号、三十三頁〜四十一頁に載せた論文の中で、明治維新後からすでに日本の大学はフリーメーソンのロッジのようになっていると言っているそうだ。いつか原本を読んでみたい。

「明治初年大学南校(東大)以来フリーメーソンの支部のような格好になっている」
「明治5年から皇国の教が負けて西洋崇拝の教育となっている。つまり明治初年数百名の御雇外人は英米独仏等の国籍には分かれていたが大部分ユダヤ人でありフリーメーソンであって内心は一体となり日本をインドやマレーのようにユダヤ人の奴隷国とする考えであったのだ」
「英国公使パークス初め外国使臣の多くはユダヤ人であった。大学南校(東大)教頭フルベッキはパークスの叔父ギュツツラフといふオランダユダヤ人に東洋の話を聞いて日本へやって来たユダヤ人であった」
「それが英米独仏等の国籍を以て偽装した十六の同類をもって大学南校(東大)を我物。法律、経済、哲学の三原論をユダヤ人の都合のよいものだけで固め日本の大学をまだ物心つかない赤ん坊の時代からユダヤの奴隷学問の府としてしまったのだ」
「こうして国際ユダヤ人は政府大学に巣食って帝国大学は遂にユダヤの秘密結社フリーメーソンのロッジのような形になった」
「北大の前身札幌農学校の教頭クラークが(米国)マサチューセツのフリーメーソンのグランド・マスターであったこと」

そして、昭和十七年、大東亜戦争下におてさえ、ユダヤフリーメーソンに対する心理思想戦を遂行し続けた国際政経学会は、「孤立無援の状」(『猶太研究』昭和十七年十二月号三十七頁)にあった。

戦時中はユダヤ人のシナゴーグやフリーメーソンのロッジは取り壊されて、ユダヤ人の影響力がないはずなのに、なぜ孤立無援になるのか?日本人にユダヤフリーメーソンの信奉者がたくさんいたからではないのか?その信奉者は政治家や留学生や大学卒業者に多かったんだろう。
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(1): 2023/12/15(金)17:02 ID:0(43/214) AAS
>>42あるフルベッキとは、陰謀論でおなじみ「フルベッキ群像写真」の宣教師。
外部リンク:ja.m.wikipedia.org
大室寅之祐の明治天皇すり替えコピペはよく見てたけど、大室といわれる人がこんなに明治天皇に似ていたとはビックリ。
維新前から英語教師として維新の志士たちのブレーン的存在だったフルベッキは、維新後、政府に呼ばれ、太政官顧問となり、各国の法律の翻訳や説明にあたった。
1873年、政府法律顧問に就任。フルベッキの貢献の一つに日本の法律体制の確立がある。フルベッキの数多い法律体制の実績を一つだけ例として挙げるとすれば、維新政府の大事業であった地租改正がある。同改正の立法的基礎を打ち立てたのは一般に渋沢栄一と前島密の2人とされているが、その裏でフルベッキの助言があった。 
この頃、フルベッキは、大隈重信にBrief Sketchを手交している。同書は、信教の自由やその他の理解のため政府高官が直接欧米を視察するように建白しており、これが岩倉使節団の米欧派遣の素案となった。岩倉はフルベッキの提案であることを隠匿し、フルベッキも自身の業績について殆ど口外したことのない陰の人物となった。
1871(明治4).12.23日、明治政府が廃藩置県を断行した直後、岩倉具視を団長にする遣外使節団が派遣された。
使団のメンバーは岩倉以外に副使として大久保利通・木戸孝允・伊藤博文・山口尚芳ら48名の使節団に加えて団琢磨・中江兆民・津田梅子ら留学生59名の計107名(平均年齢30歳) が横浜から出発した。

ここに名前が挙がる渋沢栄一もフルベッキと懇意みたいだし、津田梅子も合わせて新紙幣の顔だ。
岩倉使節団の一番の目的は、実は信教の自由の理解のための留学だったんじゃないの?
省2
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