【統一】ドイツの歴史【EU】 (566レス)
1-

472: 06/27(木)01:11 ID:0(472/566) AAS
伝統的な写実的な風景画家を目指した

だから印象派やその後の抽象画は伝統を蔑ろにした、退廃芸術として嫌った
473
(1): 06/27(木)07:57 ID:0(473/566) AAS
ナチ時代の芸術は大したことはないな

しかし制服、兵器にはある種の美がある
474: 06/27(木)14:15 ID:0(474/566) AAS
>>473
優秀なドイツ軍は皆から憧れる存在でなればならないというヒトラーの考えの下、
デザイナーに頼んでカッコいい制服を作らせた。

確かにナチスドイツの制服のカッコよさは際立つ。
475: 06/27(木)15:12 ID:0(475/566) AAS
第二次世界大戦では、ソ連側も「奪われたら奪い返せ!」とばかり、
大量の美術品を略奪していったな
476: 06/27(木)18:17 ID:0(476/566) AAS
ドイツの「父なる川」ライン川沿いに堂々たる姿で佇むシュパイヤー大聖堂は、神聖ローマ帝国皇帝コンラート2世が1030年、繁栄の極みにあったこの地に自身の墓所として建設を命じました。そして、孫のハインリヒ4世治世下の1061年に献堂式が行われました。

全長133メートルを誇る大聖堂は、世界最大級のロマネスク建築の教会として、神聖ローマ皇帝の権威を象徴するかのように、4本の塔が天空にそびえ立っています。

赤い砂岩で造られた大聖堂は、平面図を見るとキリスト教の十字架の形をしています。その地下には、ドイツ最大級といわれるクリプタ(地下聖堂)があり、コンラート2世をはじめ、歴代の皇帝や皇后たちが眠っています。

「カイザードーム(皇帝大聖堂)」と呼ばれ、創建後幾世紀にもわたって神聖ローマ帝国の象徴として君臨し続けたシュパイヤー大聖堂でしたが、17世紀にフランスの侵攻を受け、ルイ14世の兵士たちによって焼かれ、無残な姿に変貌してしまいました。その後、18世紀に修復されたものの、再びフランス軍によって破壊され、19世紀に再度修復が行われました。そして1961年、本格的な修復によって創建当時の姿を取り戻したシュパイヤー大聖堂は、ライン川のほとりの丘に再び甦りました。

度重なる破壊を受けながらも、その都度修復や再建が繰り返されてきたシュパイヤー大聖堂は、創建当時の様式をよく残したロマネスク建築として、1981年に世界遺産に登録されました。荘厳な建築美はもちろんのこと、その再生の歴史に思いを馳せると、感慨もひとしおでしょう。
477: 06/27(木)19:50 ID:0(477/566) AAS
ヒトラーもよく絵画の遠近法出来ないのに美大受けようとしたな
478: 06/28(金)11:48 ID:0(478/566) AAS
フランスの接収された松方コレクションは日本に返還されたのだろうか
479: 06/28(金)14:48 ID:0(479/566) AAS
ナチスがユダヤ人から巻き上げた財産は、ドイツ敗戦のどさくさに紛れて、スイス銀行がかっさらった
480: 06/28(金)14:49 ID:0(480/566) AAS
スイスはイメージ良い印象を持つが、その実はかなり悪どいことやってる
481
(1): 06/29(土)15:05 ID:0(481/566) AAS
黒いスイスって本があったな

民族浄化、ナチス協力、地下核実験計画、マネーロンダリング……。「美しい理想の国」のウソを暴く!
外部リンク:www.shinchosha.co.jp

「黒いスイス」 福原直樹 著, 新潮新書
482
(1): 06/29(土)17:59 ID:0(482/566) AAS
>>481
こんな場末までAI荒らしかよ。
483: 06/29(土)20:23 ID:0(483/566) AAS
>>482が新手のAIだろう
484: 06/29(土)20:40 ID:0(484/566) AAS
AIがAI をAIという
火の鳥未来編の時代がやってきた
485: 07/01(月)11:56 ID:0(485/566) AAS
AIが書いた文章だうんたらかんたらって言ってるヤツは、きっとAIに仕事を奪われた無職じじいなんだろうな
やっぱ銀行系かな?
486: 07/01(月)19:45 ID:0(486/566) AAS
かつて、西ドイツには「上シュレージエン同郷人会」のような
東欧からの引き揚げ者の組織があったが、今でも存続しているのかな?
487: 07/01(月)20:33 ID:0(487/566) AAS
ベルリンの壁をグライダーで飛び越える
見つかれば銃撃され射殺される
488
(1): 07/02(火)18:40 ID:0(488/566) AAS
カリーニングラードに住んでいるロシア人が、ドイツ人観光客の老人たちがやってきては佇んでいる光景を度々目にした

何をしているか尋ねると、昔私はここに住んでいたのです、とだけ答える 恨み言とかいうわけでもなく 

それでそのロシア人がカリーニングラードの歴史を調べはじめてみた、というような本を以前読んだのだがタイトルも著者もわからない

山崎豊子の大地の子で満州に慰霊に行った旧開拓団のエピソードなども思い出される
それまでは国境が変更しても。住民は変わらないことが多かったのが、第二次世界大戦後は国境変更で、特に敗戦国では住民が追放されたからこういうエピソードも多いのだろう ポーランドは戦勝国ではあるが東部国境が大きく西に移動したが住民はどうなったのだろうか
489
(1): 07/02(火)22:19 ID:0(489/566) AAS
第二次世界大戦で、ユダヤ人とドイツ人が民族浄化されたから、
東欧の民族問題は解決した
490: 07/03(水)01:01 ID:0(490/566) AAS
>>489
ユーゴスラビアの内戦は?
伊達にヨーロッパの火薬庫と呼ばれてない
491: 07/03(水)13:41 ID:0(491/566) AAS
>>488
トルコとギリシアの住民交換みたいなエピソードもあるね
ナショナリズムが勃興した以後の出来事だけど
1-
あと 75 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.013s