【英雄】ナポレオン・ボナパルト【皇帝】 (498レス)
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115: 06/15(土)17:57 ID:0(115/498) AAS
これは民間人にあらかじめ参謀総長の性格や軍のしきたりについて説明しなかったネイにも落ち度があるな
ただ、ジョミニはベルティエ以外の参謀将校やネイの幕僚と不和だったところをみると
ジョミニ自身も性格に問題がありそう
116: 06/16(日)06:46 ID:0(116/498) AAS
不和ちゃん
117: 06/16(日)06:52 ID:0(117/498) AAS
ジョミニはネイの奥方アグラエにも嫌われていた
もっともネイの助命に奔走した件だけは感謝していたそうだけど
118: 06/16(日)10:19 ID:0(118/498) AAS
素晴らしい著作が残ってると、それだけで人格まで過大評価されるの歴史あるあるかもね
ローマ帝国のキケロも著作が素晴らしいから、素晴らしい人格者だとずっと考えられていたけど
キケロ書簡集って本を読むとキケロに幻滅するという
119: 06/16(日)14:59 ID:0(119/498) AAS
ナポレオン本人もラスカーズ残した回想録のおかげで英雄って評価確立したからな
100日天下のときなんてポナパルティストが600人中25人程度しか当選しなかった程度には白けてたのに
ラスカーズ残した回想録のおかげで33年後に甥は得票率7割553万票の圧勝だからな
120
(1): 06/16(日)15:58 ID:0(120/498) AAS
ラスカーズと仲が悪かったモントロン伯爵も「陛下の伝説の立役者はラスカーズだ」と認めているんだよな
もっとも、グールゴーによるとモントロン伯爵はラスカーズ親子が追放された際は夫人と共に喜びに打ち震えて祝杯を挙げたクソっぷりだったそうだけど
121
(1): 06/16(日)17:20 ID:0(121/498) AAS
ここまでジョミニと仲が悪いヤツが多いとなると、逆に仲がいいやつを挙げた方が早い気がしてきた
122: 06/16(日)20:18 ID:0(122/498) AAS
>>120
熱烈なナポレオン崇拝者だったグールゴーが途中でセントヘレナを出て行ったのも
ある意味モントロンに追い出されたようなものだよな

その件について英語版ウィキペディアのグールゴーの記事に
「先任であるモントロンとの軋轢が」云々とあるんだけどマジっすか
モントロンとグールゴーって最終階級は同じだし、昇進の時期もほぼ差がないけど
それなのにモントロンは先任風を吹かしていたわけ?
123: 06/16(日)20:55 ID:0(123/498) AAS
>>121
アレクサンドルには気に入られてた
例にもれずロシアの将校からも高飛車でうざがられてた
124: 06/16(日)23:17 ID:0(124/498) AAS
グールゴーがモントロンに宛てた手紙に「私は君の過去に目を瞑って仲良くしたかったのだが、君はそうではなかったようだ。君は何らかの目的で私を追い出したかったのだろう」と書いてある
そして、グールゴーは日記にモントロンが毒殺魔ブランヴィリエ侯爵夫人の手記を愛読していたことを書き記している(グールゴーは手記を毒殺など女々しいと嫌っていた)
モントロンにとって一番邪魔だったのが、誰よりも皇帝の遺産を受け取る資格があり、数学や化学に関して学者顔負けの知識があって毒物の分析に精通しているグールゴーだったのでは、という説がある
実際にグールゴーはナポレオンに「ワインが少しでもおかしい味がしたら必ず飲まずに吐いてください」と忠告している
125: 06/16(日)23:29 ID:0(125/498) AAS
そういえばグールゴーはエコール・ポリテクニクの出身だったな
ベルトランが若い頃エコール・ポリテクニクで教鞭を執ってたんだが
もしかしてグールゴーは彼の授業を受けたことがあるのでは

と思ったんだが、二人の在籍期間はグールゴー(学生として)が1799~1801年
ベルトラン(講師として)が1795~96年で、重なってなかったわ
126: 06/17(月)06:22 ID:0(126/498) AAS
皇帝陛下が数学の問題集を部屋に運び入れてグールゴーと共に閉じこもって三日三晩解き続けたというエピソードが狂気じみて怖い
127
(1): 06/17(月)07:21 ID:0(127/498) AAS
ベルトランはその手の逸話がないな
数学に関してはガスパール・モンジュの代役が務まるレベルだったそうだが

グールゴーの1815年9月17日付の日記によれば
ノーサンバーランド艦上でナポレオンと二人して数学の問題に取り組んだそうだが
「平方根や立方根を求めたり、二次方程式や三次方程式を解いたり」とある
つまり二人がやっていたのは代数。なおベルトランの専攻は幾何
128
(1): 06/17(月)10:19 ID:0(128/498) AAS
なんか若干ヒトラーの最期と重なるものを感じてきた
129
(1): 06/17(月)10:26 ID:0(129/498) AAS
ナポってそんなに遺産あったの?主要な資産は接収されて田舎の郷紳レベルの遺産かとなんとなく想像してた。死んだときの肩書は「ボナパルト将軍」だし
130
(1): 06/17(月)10:51 ID:0(130/498) AAS
>>129
ナポレオンの遺言状によると、彼の遺産はモントロンへ200万フラン
ベルトランへ50万、マルシャンに40万、ラスカーズに10万
ドルーオやカンブロンヌといった忠臣たちにもお金を配っていて
総額はざっくり500万フラン以上、現在の日本円にして100億はあったみたいよ
131: 06/17(月)10:57 ID:0(131/498) AAS
>>128
そういえばナポレオンもヒトラーみたいに自殺しようとしたっけ。未遂に終わったけど
皇帝はワーテルローで戦死すべきだったとグールゴーが発言し
生きてさえいれば望みはあるんだとベルトランにたしなめられてるんだけど
グールゴーは自分の理想の皇帝像を追い求める若干やばい癖があるような
132: 06/17(月)10:58 ID:0(132/498) AAS
>>130
ただ、遺言通りの金額を貰えたかというと、必ずしもそうではなかったようで
ナポレオンの思い違いもあって、実際に貰えたのはもっと少なかった模様
なお、一番多く貰ったモントロンは僅か数年で使い果たして借金まみれになった
133
(1): 06/17(月)11:03 ID:0(133/498) AAS
額面にしてモントロンがベルトランの4倍とはずいぶん差をつけたもんだが
ベルトランは奥さんの実家が金持ちで生活には困らないだろってのを考慮してるのかな
134
(1): 06/17(月)11:17 ID:0(134/498) AAS
>>133
ナポレオンの遺言書は2種類あって、最初の遺言書はベルトランが一番多かった
しかし、ナポレオンはその遺言書を廃棄して、モントロンと共に新しい遺言書を書いた
これが今残っている遺言書となる
社交的で人当たりのいいモントロンの方が寵愛され、陰気で口下手なベルトランは次第に疎んじられていったといわれている
早くからモントロンの本性に気付いていたグールゴーはベルトランを始めとする周囲に訴えていたのだが、嫉妬しているで片付けられてしまった
ベルトランが気付いた時にはもう既に遅く、グールゴーの忠告に耳を傾けていればよかったと後悔したという
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