【英雄】ナポレオン・ボナパルト【皇帝】 (498レス)
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122: 06/16(日)20:18 ID:0(122/498) AAS
>>120
熱烈なナポレオン崇拝者だったグールゴーが途中でセントヘレナを出て行ったのも
ある意味モントロンに追い出されたようなものだよな

その件について英語版ウィキペディアのグールゴーの記事に
「先任であるモントロンとの軋轢が」云々とあるんだけどマジっすか
モントロンとグールゴーって最終階級は同じだし、昇進の時期もほぼ差がないけど
それなのにモントロンは先任風を吹かしていたわけ?
123: 06/16(日)20:55 ID:0(123/498) AAS
>>121
アレクサンドルには気に入られてた
例にもれずロシアの将校からも高飛車でうざがられてた
124: 06/16(日)23:17 ID:0(124/498) AAS
グールゴーがモントロンに宛てた手紙に「私は君の過去に目を瞑って仲良くしたかったのだが、君はそうではなかったようだ。君は何らかの目的で私を追い出したかったのだろう」と書いてある
そして、グールゴーは日記にモントロンが毒殺魔ブランヴィリエ侯爵夫人の手記を愛読していたことを書き記している(グールゴーは手記を毒殺など女々しいと嫌っていた)
モントロンにとって一番邪魔だったのが、誰よりも皇帝の遺産を受け取る資格があり、数学や化学に関して学者顔負けの知識があって毒物の分析に精通しているグールゴーだったのでは、という説がある
実際にグールゴーはナポレオンに「ワインが少しでもおかしい味がしたら必ず飲まずに吐いてください」と忠告している
125: 06/16(日)23:29 ID:0(125/498) AAS
そういえばグールゴーはエコール・ポリテクニクの出身だったな
ベルトランが若い頃エコール・ポリテクニクで教鞭を執ってたんだが
もしかしてグールゴーは彼の授業を受けたことがあるのでは

と思ったんだが、二人の在籍期間はグールゴー(学生として)が1799~1801年
ベルトラン(講師として)が1795~96年で、重なってなかったわ
126: 06/17(月)06:22 ID:0(126/498) AAS
皇帝陛下が数学の問題集を部屋に運び入れてグールゴーと共に閉じこもって三日三晩解き続けたというエピソードが狂気じみて怖い
127
(1): 06/17(月)07:21 ID:0(127/498) AAS
ベルトランはその手の逸話がないな
数学に関してはガスパール・モンジュの代役が務まるレベルだったそうだが

グールゴーの1815年9月17日付の日記によれば
ノーサンバーランド艦上でナポレオンと二人して数学の問題に取り組んだそうだが
「平方根や立方根を求めたり、二次方程式や三次方程式を解いたり」とある
つまり二人がやっていたのは代数。なおベルトランの専攻は幾何
128
(1): 06/17(月)10:19 ID:0(128/498) AAS
なんか若干ヒトラーの最期と重なるものを感じてきた
129
(1): 06/17(月)10:26 ID:0(129/498) AAS
ナポってそんなに遺産あったの?主要な資産は接収されて田舎の郷紳レベルの遺産かとなんとなく想像してた。死んだときの肩書は「ボナパルト将軍」だし
130
(1): 06/17(月)10:51 ID:0(130/498) AAS
>>129
ナポレオンの遺言状によると、彼の遺産はモントロンへ200万フラン
ベルトランへ50万、マルシャンに40万、ラスカーズに10万
ドルーオやカンブロンヌといった忠臣たちにもお金を配っていて
総額はざっくり500万フラン以上、現在の日本円にして100億はあったみたいよ
131: 06/17(月)10:57 ID:0(131/498) AAS
>>128
そういえばナポレオンもヒトラーみたいに自殺しようとしたっけ。未遂に終わったけど
皇帝はワーテルローで戦死すべきだったとグールゴーが発言し
生きてさえいれば望みはあるんだとベルトランにたしなめられてるんだけど
グールゴーは自分の理想の皇帝像を追い求める若干やばい癖があるような
132: 06/17(月)10:58 ID:0(132/498) AAS
>>130
ただ、遺言通りの金額を貰えたかというと、必ずしもそうではなかったようで
ナポレオンの思い違いもあって、実際に貰えたのはもっと少なかった模様
なお、一番多く貰ったモントロンは僅か数年で使い果たして借金まみれになった
133
(1): 06/17(月)11:03 ID:0(133/498) AAS
額面にしてモントロンがベルトランの4倍とはずいぶん差をつけたもんだが
ベルトランは奥さんの実家が金持ちで生活には困らないだろってのを考慮してるのかな
134
(1): 06/17(月)11:17 ID:0(134/498) AAS
>>133
ナポレオンの遺言書は2種類あって、最初の遺言書はベルトランが一番多かった
しかし、ナポレオンはその遺言書を廃棄して、モントロンと共に新しい遺言書を書いた
これが今残っている遺言書となる
社交的で人当たりのいいモントロンの方が寵愛され、陰気で口下手なベルトランは次第に疎んじられていったといわれている
早くからモントロンの本性に気付いていたグールゴーはベルトランを始めとする周囲に訴えていたのだが、嫉妬しているで片付けられてしまった
ベルトランが気付いた時にはもう既に遅く、グールゴーの忠告に耳を傾けていればよかったと後悔したという
135
(2): 06/17(月)11:27 ID:0(135/498) AAS
グールゴーが軽率なことをいったせいで、ナポレオンの体調不良は詐病だとハドソン・ロウが判断し
ナポレオンはロングウッドから引っ越せず、オメーラ医師もセントヘレナを去ることになったと
英語版ウィキペディアに書いてあるんですけど、これってソースは何なんだろうか
136: 06/17(月)18:42 ID:0(136/498) AAS
ジョゼフも占領地でこっそりかっぱらった宝石でアメリカで悠々自適な贅沢な生活できてたらしいな
137: 06/17(月)22:12 ID:0(137/498) AAS
ルフェーブル=デヌエットに至ってはアメリカに亡命したら事業が大成功して資産を築いたんだよな
138: 06/17(月)22:56 ID:0(138/498) AAS
>>134
ただ実際グールゴーは嫉妬深いところがあり
ラスカーズに関して余計なことを言ってナポレオンを苛立たせたりしている

またグールゴーがセントヘレナで役に立ったかは微妙で
(グールゴー自身もそうとわかってたから早々と出ていったんだろうが)
ラスカーズの眼精疲労が激しく仕事がなかなか進まなかったとき
プラナを連れてくればよかったなどとナポレオンはこぼしている
プラナの代わりにグールゴーを同行させたのは皇帝陛下ご自身でっせ
139
(2): 06/18(火)06:12 ID:0(139/498) AAS
ローバウ伯爵が活躍したら顔を赤らめて「おっ!私の羊はライオンになったのだな」とはしゃいだり
地図コレクターのグールゴーと地図の模写を共有して「これで君とお揃いだな」とニヤついたり
従僕長のマルシャンを臆面もなく「マルシャン嬢」と呼んだり
フェルナンド王太子が癇癪を起こして泣き喚くとよしよしと宥めたりしたことから
ナポレオンは当時からバイセクシャルだという噂が絶えなかった
140: 06/18(火)06:28 ID:0(140/498) AAS
>>84
その手のロンダリングの何が厄介かって
事実でないことを立証するのは簡単じゃないんだよな

以前ボナパルト家とベートーヴェンの関係について、彼をジェロームが宮廷楽長として
雇用したことがあると主張する書き込みがあったんだが、これなんかはルドルフ大公らが
さらに好条件を提示したので、楽聖はジェロームの誘いを断ってウィーンに
残留したという情報が調べれば簡単に出てくるので虚偽とわかる

しかし、そういうのはむしろ稀な例だと思う
結局、出典がない話は一律に創作と見なしておくのが妥当ってことになりそう
141
(1): 06/18(火)06:55 ID:0(141/498) AAS
>>139
確か海外でナポレオンバイ説を研究した本が出版されてんだっけ
ネイもバイ説があると聞いたことがある
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