【英雄】ナポレオン・ボナパルト【皇帝】 (498レス)
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95: 06/12(水)06:32 ID:0(95/498) AAS
まあデヴォーがマルモンの副官だったのはワーテルローより10年以上も前のことだが
ファビエ(パリ陥落の際、マルモンの代理として降伏文書に署名した)も
テスト=フェリー(百日天下の時、マルモンと一緒にガンへ逃げた)も
勇士として評価されてるわけで、マルモンは悪い意味で別格だな

それがマルモンの人間性のせいなのか、元帥という地位によるものなのかは
議論が分かれるところかもしれんけど
96: 06/12(水)08:37 ID:0(96/498) AAS
マッセナ「世の中、金だよ金。いい女を抱けば言うことはなし。あ、皇帝サンよ、うちの息子の初任務記念に勲章くれや」
デヴォー・ド・サン=サンモーリス「私は皇帝陛下のご恩に報いるために命をかけて戦う。ただそれだけです」

ナポレオン「(こうも両極端だとやりづらいな、おい……。マッセナはどす黒くギラついているし。デヴォー・ド・サン=サンモーリスは光り輝いて眩しすぎるし)」
97: 06/12(水)08:48 ID:0(97/498) AAS
マッセナの逸話だと
従「閣下おめでとう御座います
エスリンク公の称号授与が決まったとのことです」
マ「でそのエスリンク公とやらの年金は幾らなのかね?」
かな
出所は不明だけどね
Chandlerにも出て来なかったし
98: 06/12(水)08:59 ID:0(98/498) AAS
その点マルモンは両者の中間といっていい。わかりやすいのが七月革命の時で
力を貸してほしいとジェラールらに頼まれても言葉を濁して応じず
断固として鎮圧に当たれとアングレーム公がいっているのに不徹底で
挙句の果てに、ナポレオンとブルボン王家を両方とも裏切るのかといわれたが

要するにマルモンは軍人としての任務を放棄したくない
でも市民に大砲を向けたくない、でも自分の地位を守りたいと右往左往している
中道というよりは中途半端なんだけどな
99: 06/14(金)05:11 ID:0(99/498) AAS
マルモンっていくつか軍事書書いてるから
そこで知性派の元帥という評判はあると聞くな
問題は結果的な裏切り言うまでもなく
ヴァグラムでも到着遅くて友情で元帥になったと揶揄されたり
独立して指揮とったサラマンカでも速攻で流れ弾で負傷して瞬殺されたりと
いざ行動するときの持ってなさも凄まじいが
100: 06/14(金)06:16 ID:0(100/498) AAS
マルモンに重要な役割を任されると兵士は悲しんだとか
勝てる戦いもマルモンが指揮を執ると負ける気がしてならなかったとか
マルモンは散々な評価が残ってんだよなぁ…
101: 06/14(金)07:24 ID:0(101/498) AAS
なまじ元帥になってしまったのがマルモンの不幸だったのかな
逆にベルトランなんかは元帥にならなかったのが結果的に幸いしたように見える
いや彼は有能かつ勇敢な人物なんだけど
ナポレオンが手綱を取ってやれないところでは失敗もしているので
102
(1): 06/14(金)09:07 ID:0(102/498) AAS
軍事書の内容の妥当性を知らないからそこはわからないけど
理論畑の学者としては優秀だけど、実践させるとまるでダメな人は結構いるからね
103
(2): 06/14(金)12:17 ID:0(103/498) AAS
部下が困窮しても知らん顔だったのは上司としてはダメな部類なんだよね
ただ、ダルマチア総督時代に善政を敷いたり、大砲の運用システムを改良したりと、軍政官としては元帥の中でトップクラスで有能かと
104: 06/14(金)12:32 ID:0(104/498) AAS
>>103
共和歴11年式砲兵システムか
旧式の8ポンドカノンを新型6ポンドカノンに置き換えたり等全体として軽量化を進めたシステム
帝政初期のフランス砲兵の機動力優位に貢献したね
中期からは牽引チームの馬匹を減らさずを得なくなり優位が薄れたのが残念
105: 06/14(金)13:38 ID:0(105/498) AAS
>>103
副官のファビエ大佐が復古王政期に白色テロの余波を食い止めようと奮闘し
超王党派に憎まれて標的にされたときはマルモンが庇ってやっているので
可能であれば助けることもあるらしいんだよな

ただ無理だと見切りをつけるのが早いし
そうなったら本当に知らん顔をしがちなように思われる
106: 06/14(金)18:28 ID:0(106/498) AAS
>>102
ジョミニも実務では言うほどな疑惑あると聞く
よく言われるベルティエ以外でも同僚との関係最悪だったとか
ネイの部下の手柄を自分の手柄にしてる疑惑とか
こっちはそこまで昇進できずにやめたのとあまりにも著述家としての名声がでかいから
干した敵対者(ベルティエ)のほうがディスられがちだが
107: 06/14(金)20:11 ID:0(107/498) AAS
覇道進撃ではジョミニはフリートラントに従軍していたけど、実際は参戦していなかった
ジョミニがネイ麾下で従軍したのが確認されているのは、1805年のエルヒンゲンと1813年のバウツェンのみだとか
ネイにはジョミニとは別にべシェという参謀将校がいて、こちらは後にネイの参謀長に昇格している
べシェはネイへの助言や軍団の補給から各師団への伝達を含むありとあらゆる軍務をこなしていた
ネイの本当の女房役はジョミニじゃなくてべシェだったのでは?
108: 06/15(土)01:38 ID:0(108/498) AAS
ポルトガルからの撤退後、ネイが不服従を理由に罷免された時、マルモンが軍団長に指名されたんだけど、べシェは「ネイ元帥と一緒だと勝てるという自信があったが、マルモン元帥と一緒だと負けそうな気がした」と回想録に書いているんだよね。
109: 06/15(土)09:52 ID:0(109/498) AAS
ゴシップレベルではジョミニがいればワーテルローで勝ってたとか言われることもあるけど
現実には居ても従軍してなさそうだね、そもそも
110: 06/15(土)14:09 ID:0(110/498) AAS
ナポレオンがジョミニ評価してたのも参謀としてじゃなくね
著述家としてだからな
筆は立つ目立ちたがり屋で協調性なし
111
(1): 06/15(土)14:25 ID:0(111/498) AAS
ナポレオンがラス・カーズのことをあんまり褒めるものだから
そのような賛辞はランヌやデュロックですら賜ったことがあるまいとグールゴーがいったそうだが
筆の立つ人間の価値を皇帝はよく御存じだったと見える
112: 06/15(土)14:33 ID:0(112/498) AAS
ジョミニがネイと共に戦った2つの戦争のうち、エルヒンゲンはジョミニは参謀長でなく副官として従軍していて、参謀として助言した形跡がない
バウツェンもジョミニがネイに参謀として影響を及ぼしていた証拠は何一つないんだそう
ミュラの参謀長ベリアールがミュラの戦いに必ず同行してミュラの代行として各軍団や師団に命令を出していたのとはあまりにも対照的
113: 06/15(土)14:45 ID:0(113/498) AAS
ジョミニ、口ばっかで実は大したことない疑惑が浮上
114: 06/15(土)17:13 ID:0(114/498) AAS
ジョミニとベルティエの確執の原因

ジョミニがネイの司令部に所属する私的な顧問だったときに始まったらしく。ジョミニが軍の慣例や規律をよく知らなかったのが災いの原因
ジョミニが1805年にネイからチロルからの報告書を持って参謀本部に派遣されて、ナポレオンの注意を引こうとして到着すると、
本部の慣例に従ってベルティエに会うよう指示されたが、ジョミニはナポレオンにすぐに会うことを要求したようだ。
ベルティエはスイスの民間人に即座に無愛想に軍儀礼を教えた。

上下関係にうるさい官僚と民間上がりライターのしょうもない確執だな
才能どうこうじゃなくてマナーで確執とか
まあ国は違えど劉邦とかも礼儀なさで嫌われてるから案外そんなもんか
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