イエズス会宣教師が弥助の奴隷だったんじゃね? (65レス)
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4: 2024/07/24(水)11:59:38.27 ID:0(4/65) AAS
トーマスロックリーの著作の主張
弥助はインド語やポルトガル語など母国語を含め日本語もすぐ覚え語学堪能だったにちがいない。
イエズス会士は清貧の誓いを立てて奴隷制を反対してたにちがいない。
当時の名士のあいだでは黒人奴隷が流行にしてたにちがいない。
高山右近が非キリスト教徒を迫害し焼かれた跡地のそばに建てられた
教会に籠って暴徒を抑え込んだにちがいない。
イエズス会の政治的配慮で献上され小姓になったにちがいない。
従者付きの私宅と扶持と豪華な腰刀を貰うほどの好待遇だったにちがいない。
信長の機嫌を損ねたら侍女たちは皆殺しされたにちがいない。
本能寺の変で信長が切腹し蘭丸が切り落とした主君の首と刀を託されたにちがいない。
省6
59(1): 2024/08/15(木)18:20:56.27 ID:0(59/65) AAS
「盛んな奴隷貿易に伴ってキリスト教の伝道が行なわれ,しかもそれが間違いであるとは考えられていなかった。実を言うと,伝道団そのものが奴隷を所有していたのである。ロアンダ[現在のアンゴラの首都ルアンダ]のイエズス会の修道院には1万2,000人の奴隷が寄付された。アンゴラとブラジルの間で奴隷貿易が活発になった時,ロアンダの司教は波止場の近くの石の椅子に座り,出港する積み荷に祝福を与え,あらしのような人生の苦難が終わった時の将来の至福を約束した」。
「アフリカの初期から1800年まで」という本の中の引用文によると,イエズス会の宣教師たちが一度も「黒人奴隷貿易に対して異議を」唱えなかったことをC・R・ボクサーは確証しています。ルアンダでは,奴隷たちはスペインやポルトガルの植民地へ行く船に積み込まれる前に,「近くの教会に連れて行かれ……そこで何百人も一緒に一人の教区司祭から洗礼を施された」と,ボクサーは述べています。「聖水」を振り掛けられた後,奴隷たちはこう告げられました。「さあ,あなた方はすでに神の子供です。あなた方はスペイン人の土地に行き,そこでキリスト教について学ぶでしょう。自分がどこの出身であるかはもはや考えなくてもよいのです。……快く出かけて行きなさい」。
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