世界史なんでも質問スレッド164 (169レス)
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44: 10/24(木)21:35 ID:0(44/169) AAS
外部リンク:ja.wikipedia.org
プラスタグスの説明で歴史学者タキトゥス
ローマは彼の意思を無視し、
王国をローマ帝国に併呑し、
イケニの貴族たちの土地や財産を簒奪し、彼の遺族らは虐げられた

とあるのですがローマというのは歴史学者タキトゥスのことなのでしょうか
説明で歴史学者タキトゥスを刺しているのかわからないのでよろしくお願いします
45: 10/24(木)21:51 ID:0(45/169) AAS
説明が抜けて申し訳ないですがローマは彼の意思を無視し、
王国をローマ帝国に併呑し、
イケニの貴族たちの土地や財産を簒奪したとwikiに書かれている人物はタキトゥスなのですかね?
46: 10/25(金)09:53 ID:0(46/169) AAS
>>24
その辺の土地の所有権の不確かさ、農耕従事者の自由と権利制限が封建制のコア部分に近い。
なぜなら土地を媒介とした身分制支配 秩序の社会を作ってるから。

そして日本ではそうした封建社会を打ち倒したのが国家神道の天皇主義者たち。

天皇主義者によって土地の所有権や価値が明確なものとされ、
農業経営に関する自由が保証され、天皇制政府が権利が認めてきた。
47
(1): 10/25(金)10:13 ID:0(47/169) AAS
歴史学者タキトゥスの『年代記』によれば
(ほかの文献に出てこない唯一の文献)

プラスタグスは長命を誇り生きている間はローマとの関係を維持できたが
彼プラスタグスが死ぬとローマ(帝国・皇帝)はプラスタグスの意思を無視し、ローマ(帝国・皇帝)は王国をローマ帝国に併呑し、部族のイケニの貴族たちの土地や財産を簒奪し、王の遺族らも虐げられてしまった。
48: 10/25(金)19:10 ID:0(48/169) AAS
>>43
誰もよくわからないのでは

植民地の奴隷をイングランドに連れてきたときに
自由人になるのか奴隷のままかで裁判になった

植民地との関係でなくともイングランドとスコットランド法の違いもある
イングランドで親の承認が必要な年齢のカップルが
スコットランドでは親の承認が不必要な年齢なので
スコットランドで挙式する(『イギリス式結婚協奏曲』中公新書)というのもある

そういう細かい可能性をも視野に入れて近代法になっていくわけですが
49: 10/25(金)21:21 ID:0(49/169) AAS
メリーランド植民地など領主植民地は
荘園を想定して荘園裁判所を設置するので
カロライナ植民地が極めて特殊とも言えない
50: 10/26(土)03:21 ID:0(50/169) AAS
>>47
そういう意味だったのですね
詳しくありがどうございます
51: 10/26(土)13:07 ID:0(51/169) AAS
>>4
>コンゴ民主共和国が大国なのにウガンダルワンダ等の小国に虐められる理由は?

国土が広く分散配置されるので大差はない

現代の数値だけど
コンゴ民主 235万km2 9200万から1億 GDP550ドル、500億ドル
ウガンダ 24万km2 5000万 925ドル 380億ドル
ルワンダ 2万6000km^2 1300万 840ドル 100億ドル

民族・言語の多様性から考えると今後王国も緩い連合でプロパガンダで民族意識を焚き付けにくい

1位7.7%を筆頭に11グループで51.5%と過半数
支配・優勢民族はない
52: 10/26(土)19:28 ID:0(52/169) AAS
世界史とは、戦争の歴史でもある
つまり、世界史とは、戦争に勝利したものの都合のいい歴史をいう

正しいですか?
53: 10/26(土)20:39 ID:0(53/169) AAS
違う。記録を残したものが勝つ
54: 10/26(土)20:48 ID:0(54/169) AAS
現代より少しの記録しかない古代が有利
古代英雄扱いされてるのも現代だったら英雄になれてないでしょう
55: 10/26(土)21:32 ID:0(55/169) AAS
朝鮮・韓国は勝とうが負けようが・・・
56
(1): 10/27(日)09:49 ID:0(56/169) AAS
オーストロネシア人が東南アジアから来てメラネシアを通った際、多少の混血をした以外は痕跡がなく、素通りのような形でさらに東のポリネシア・ミクロネシアに定住していったのですか?
オーストロネシア人の航海術や武力がメラネシア人を圧倒していたことを考えると、なぜメラネシア人を支配しようとしなかったのだろうか。
57: 10/27(日)12:48 ID:0(57/169) AAS
>>04
オボテ(ランゴ族、ナイロート)
社会主義政党でオボテ派として党が二分
王党派イェッカと手を組み連立政権
軍の反乱、ケニア人を追放
のち王を排除して(メンゴ危機)、諸王国を廃止し共和政
暗殺未遂事件、野党第一党の議員を複数逮捕
非常時代宣言、反対は弾圧、秘密警察の活動
社会主義へ
海外訪問中アミンのクーデター
省2
58: 10/27(日)12:49 ID:0(58/169) AAS
イディ・アミン(カクワ族、ナイロート、イスラム)のクーデター
恐怖政治、スーダンなどのナイロート系の側近で固める
ガンダ人(バントゥー系)が当初歓迎、のち失望
59: 10/27(日)12:50 ID:0(59/169) AAS
ムテサ2世 ガンダ ニジェール・コンゴ
オボテ ランゴ ナイル・サハラ
アミン カクワ ナイル・サハラ(ルオ語)
ルレ ガンダ ニジェール・コンゴ
ビナイサ ガンダ ニジェール・コンゴ
ムワンガ ガンダ ニジェール・コンゴ
オボテ(第2政権) ランゴ ナイル・サハラ
オケロ アチョリ ナイル・サハラ
ムセベニ アンコレ バンツー
60: 10/27(日)12:57 ID:0(60/169) AAS
オボテ
出身は首長の息子
大卒で英語力
王党派と妥協で大統領そして
王を蹴落とす

アミンはクーデターに過ぎない

ナイロート優遇政策・高学歴・経済力も特筆するほどには感じられない
61: 10/27(日)17:04 ID:0(61/169) AAS
ルオ語を話すビト族はニョロ王国の特権階級だが北部のルオ語系の人々とは別なのか
62: 10/28(月)19:50 ID:0(62/169) AAS
>>56
オーストロネシア人が東南アジアから来てメラネシアを通った際、多少の混血をしてメラネシア人となった。
現在のパプアニューギニアのオーストロネシア語族は本島と海岸沿いや島嶼部に多いのでいくらかの痕跡の影響だろう。山間部は疫病などがあってスルーと思う
メラネシア人の集団がどれも小規模で小王国もなかったので支配しても小部族レベルで終わった
部族を大きく支配域を増やすと疫病で死にまくる
よって少数の言語集団が今日まで維持された
という仮説などいくらでも考えられるが
根拠・論拠が乏しい
63: 10/28(月)20:26 ID:0(63/169) AAS
伝説によれば南下したバンツーの諸王は当初はサン人(ブッシュマン)と通婚した。
コサ人の王族であるマンデラの顔は明らかにコイサン系に近い。
このような高貴な通婚をしていたのに、なぜサン人を蔑視する風潮があったのですか?
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