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【CIA】緒方竹虎を通じ政治工作 50年代の米公文書分析 (27レス)
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: 2009/07/28(火)17:43
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27: [] 2009/07/28(火) 17:43:53 ID:MWJVtEUE ■KGBスパイ暴露のレフチェンコ証言 1979年(昭和54年)にアメリカに亡命していたKGBのスタニスラフ・レフチェンコ元少佐(41)が、 KGBで東京駐在時代の日本人エージェントについて供述、米リーダーズダイジェストがまとめたものを、 毎日新聞の古森義久が入手して、昭和58年4/13の毎日新聞朝刊に掲載された。それによれば、 ソ連の対日工作にあたって、協力者としてKGBに情報提供などを行っていた日本人は23人だった。 このレフチェンコの対日工作については、古森が昭和57年12/2の毎日新聞朝刊で、 蒋介石の遺書として昭和51年1/23にサンケイ新聞「今日のレポート」に報じられた内容がレフチェンコ による捏造情報に基づくものだったと当人の証言を素っ破抜いており、そこから騒ぎになっていた。 当時のサンケイ新聞の報道は、1/29にソ連のタス通信が蒋介石の遺書の内容を本物であると 全面肯定していたが、これもすべてレフチェンコの罠であった。レフチェンコは昭和50年2月に 「ノーボエ・ブレーミヤ」(新時代)の東京特派員としてスパイ活動に従事、 昭和54年10月にアメリカへ亡命するまで、日本国内で暗躍していた。 1983年(昭和58年)4/12夜には米リーダーズダイジェスト社が8人の実名を公表した。 レフチェンコ証言によるエージェント7人というのは「公安秘密資料を友人より入手し、 10年もKGBに協力した」アトスとは社会主義協会事務局長の佐藤保、 カントとはサンケイ新聞編集局長の山根卓二、ギャバーとは社会党元委員長の勝間田清一、 グレースとは社会党衆院議員の伊藤茂、サンドーミルとは日本対外文化協会事務局長の杉森康二、 バッシンとは山川暁夫、フーバーとは自民党で元労相の石田博英、 そして協力者としてムーヒンことテレビ朝日専務の三浦甲子二。 いずれも毎日新聞紙上などで報じられたもの。 これ以外に名前が伏せられた人では自民党の田中伊三次や社会党の土井たか子、 社民連の楢崎弥之助、社会党議員多数などが週刊誌等で報道されたが、 レフチェンコ証言は伝聞情報が多く、結局、名前が出された全員が関与を否認、 山根だけが4/22にサンケイ新聞編集局長を辞任に追い込まれたが、残りの人たちは 特にその地位を脅かされる事にはならなかった。 その後、三浦に関しては加藤昭などによるソ連崩壊後の極秘文書の洗い出しによれば、 ソ連のエージェント活動をしていたという記載があり、 中川一郎自殺の際にも5日後に、ソ連に他殺説を連絡していたという。 ttp://www.geocities.jp/showahistory/history06/topics58a.html KGBの対日工作・番外編 ttp://wldintel.blog60.fc2.com/blog-entry-77.html 接触は八二年九月、レフチェンコ・メモにも名前のあった三浦甲子二・テレビ朝日専務の仲介で 極秘裏に行われたという。 http://potato.5ch.net/test/read.cgi/wildplus/1248550812/27
スパイ暴露のレフチェンコ証言 年昭和年にアメリカに亡命していたのスタニスラフレフチェンコ元少佐が で東京駐在時代の日本人エージェントについて供述米リーダーズダイジェストがまとめたものを 毎日新聞の古森義久が入手して昭和年4の毎日新聞朝刊に掲載されたそれによれば ソ連の対日工作にあたって協力者としてに情報提供などを行っていた日本人は人だった このレフチェンコの対日工作については古森が昭和年2の毎日新聞朝刊で 蒋介石の遺書として昭和年1にサンケイ新聞今日のレポートに報じられた内容がレフチェンコ による造情報に基づくものだったと当人の証言を素っ破抜いておりそこから騒ぎになっていた 当時のサンケイ新聞の報道は1にソ連のタス通信が蒋介石の遺書の内容を本物であると 全面肯定していたがこれもすべてレフチェンコのであったレフチェンコは昭和年2月に ノーボエブレーミヤ新時代の東京特派員としてスパイ活動に従事 昭和年月にアメリカへ亡命するまで日本国内で暗躍していた 年昭和年4夜には米リーダーズダイジェスト社が8人の実名を公表した レフチェンコ証言によるエージェント7人というのは公安秘密資料を友人より入手し 年もに協力したアトスとは社会主義協会事務局長の佐藤保 カントとはサンケイ新聞編集局長の山根卓二ギャバーとは社会党元委員長の勝間田清一 グレースとは社会党衆院議員の伊藤茂サンドーミルとは日本対外文化協会事務局長の杉森康二 バッシンとは山川暁夫フーバーとは自民党で元労相の石田博英 そして協力者としてムーヒンことテレビ朝日専務の三浦甲子二 いずれも毎日新聞紙上などで報じられたもの これ以外に名前が伏せられた人では自民党の田中伊三次や社会党の土井たか子 社民連の楢崎弥之助社会党議員多数などが週刊誌等で報道されたが レフチェンコ証言は伝聞情報が多く結局名前が出された全員が関与を否認 山根だけが4にサンケイ新聞編集局長を辞任に追い込まれたが残りの人たちは 特にその地位を脅かされる事にはならなかった その後三浦に関しては加藤昭などによるソ連崩壊後の極秘文書の洗い出しによれば ソ連のエージェント活動をしていたという記載があり 中川一郎自殺の際にも5日後にソ連に他殺説を連絡していたという の対日工作番外編 接触は八二年九月レフチェンコメモにも名前のあった三浦甲子二テレビ朝日専務の仲介で 極秘裏に行われたという
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