[過去ログ] 【世界大戦】自由民主党の派閥22【河破朋充】 (609レス)
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273: (ワッチョイ b733-2Qnj) 2022/11/29(火)00:38 ID:BC993HtW0(4/4) AAS
かつて僕は、数学は芭蕉の連句の様な心の遊びでやるものである。と間接的にお聴きした。それは次の様な意味であったと思う。
自分で数学を創ってゆく時、その数学の世界を心の連なりとして一つの連句の様に見做す。
そして、次の自分の仕事を踏み出す展開の方向を一つの付句と考えて思案する。
そこまではなかなか出来ないので、僕は上の様に考えることによって、
少なくとも自分の数学が、数学の全体と関わる契機を失って閉ざされた世界に留まり、
進むに従って貧しくなってゆくことの無い様心がけたいと思っている。
もう一つは、一つの新しい数学の世界を理解しようとする時、
一つ一つの定理を論理的に追って教科書を読めば済むのではなく、
それを創っていった人の工夫の跡を手繰って、その様を自分で再現し、
どこまでが自明なことで、何が本質的な発見か知らねばならないと云う。
そして遂にその世界が自分の掌に乗った如くに明らかになるのだと云う。
論理だけで理解したものはすぐに忘れてしまうが、
心の連鎖で捉えた発見者の魂は消えない。
この様な理解の仕方が、
連句一巻をその付味によって記憶しておくやり方とか、
自分の打った一局の碁を並べ直すことが出来るとか云うことと繋がっていることが、
朧げに僕には納得出来る。
また、人の仕事を真似ると云うことがしばしばあるけれども、
必ずその人の心の真似をするのであって決して技を真似てはならない、ともお聴きした。
芭蕉は、蕉風以前の連歌の付句の作法(物付け)に対して、彼の匂い付きを以てその様式を決定付けた。
匂い付きの数学をせよと先生は云っておられるのだと僕は考えている。
また、数学は向上心も真情も持って生きている。
人は数学をする時、その数学の向上心と真情とに自分を投入するのであって、
そこにおいては人の自由と云うものは無い、と云う意味のことも西野利雄先生を通じてお聴きした。
そして、岡先生が、この様な世界で味わう数学の醍醐味を、直趣無上菩提と云う言葉に託されていたと云うことも。
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