太平洋戦争は日本なら誰が悪かったの? (655レス)
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166: 08/01(木)23:18 ID:I2+Ez7CS0(1) AAS
だからそうやって責任を曖昧にする態度が、戦前のダメな行為をそのままなぞっている組織や企業が多い原因にもなっていて
ダメダメな行為そのものなんだよ。
167: 08/02(金)14:28 ID:qtPb3kTN0(1) AAS
近衛のアホが自殺などせず東京裁判できっちり裁かれていたらアメリカが引導を渡してくれていたのになw
「民主主義下ではこいつが最悪の権限を持って最悪の裁可を下してきた」とw
168: [Sage] 08/04(日)07:52 ID:h50x05h/0(1) AAS
>>165
ドイツやイタリアならすぐにヒトラーとムソリーニとわかるのにどうして?
同じ論拠で敗戦処理できなかったんですか?
169: 08/04(日)15:28 ID:fuPG9o9Z0(1) AAS
開戦前の日本には独裁者がいなかった というか最高指導者もいない

大日本帝国では首相は首席大臣に過ぎない 政党政治の頃は首相は第一党の党首でもあるから議会をバックにそれなりの力があったが、政党政治が死んでからはチーママ状態

開戦を決めたのが誰かなのかと言えば、みんなで討議して決めた程になっていて責任はボヤボヤにボケている

対米戦まで強力に引っ張った1番の人物は田中新一作戦部長だろう 
だが田中はあくまで参謀本部の一部長として起案したということで、連合国は田中に対して全く戦争責任を問うことはなかった
170: 08/04(日)16:22 ID:s9fS/8q/0(1/4) AAS
陸大海大の教育の失敗、
戦術論には長けても戦略論は拙かった。

戊辰〜日露までの軍人と真逆。
171
(1): 08/04(日)16:26 ID:s9fS/8q/0(2/4) AAS
賀屋や東郷ですら外交一本で避戦の考えでは無かったのは
彼ら自身にも開国から築き上げてきた権益を放棄したくない意識があったから。

戦争回避すべきだった、できたはずなんて言ってるのは東久邇宮や井上、吉田みたいに安全なポジションで
責任などなかった状況で好き勝手言ってた連中に過ぎない。
172: 08/04(日)16:27 ID:s9fS/8q/0(3/4) AAS
それか戦後になってああすべきだっただの、あいつが悪かっただの言ってる連中。
173: 08/04(日)17:38 ID:Mf9F6DzU0(1/3) AAS
明治の元勲達は軍人でもあり、政治家でもあった
明治14年に軍人勅諭で軍人は政治に拘らず、とされると、以降士官学校、兵学校での教育も当然政治にかかわるべからずとなる

これは列強でも当然で、軍学校では政治なぞ教えない シビリアンコントロールは、どのような体制でも当然のことで、独裁者でもシビリアンはシビリアン ヒトラーもスターリンも軍人ではなく政治家である

ところが日本はシビリアンコントロールの規定がない 軍は天皇に直属する これに政府が容喙する事は天皇大権である統帥権の干犯である

という事で日本軍はアンコントロール状態となる 厄介なのは陸軍だけでも派が四分五裂でその時々で声のでかいものが引っ張るので方針が二転三転する

軍人勅諭の軍人は政治にかかわらずはどこへ行ったのか、と思われるが、彼らに言わすと戦争するしないという政治の究極でさえ統帥権の問題となる
省1
174
(1): 08/04(日)17:55 ID:Mf9F6DzU0(2/3) AAS
>>171

天皇の権威を持って中国からの撤兵講和を決断するくらいしか戦争回避は無理だっただろう
それすら、天皇自身が内戦の危機あるいは退位を迫られるとビビる状況であり、昭和天皇はそんな大英断ができる性格ではまるでない

現在、北方領土、尖閣諸島、竹島、いずれかの放棄を政府が宣言したら。まず政権は崩壊するだろう 当時の日本で無条件撤兵はそれ以上の衝撃だろう

尖閣だの竹島だの北方領土など、双方にとって別に大した重要なものではない だが、問題になった以上絶対に譲ることはできない聖地と化す

降伏後北方領土が日本領のまま維持されたとしたら、日本人の多くは北方領土のことなど知りもしないし、人口希薄のど辺境扱いで、知床とセットでネイチャーツアーに組み込まれるのがせいぜいの土地
省1
175: 08/04(日)18:00 ID:s9fS/8q/0(4/4) AAS
>>174
その状況がわかってたからこそ例えば井上成美の戦後の内乱の方がマシ言い訳論に繋がるわけだ。
そういう軍人の皮を被った小役人養成所が海大陸大だったとしたら自虐的に言うなら負けるべくして負けた
というべきか。
176: 08/04(日)18:42 ID:Mf9F6DzU0(3/3) AAS
戦争を回避する アメリカに屈した事になり非戦を決定したものは政治的かつ生物学的に死ぬ

戦争をやる 負けたら回避した場合など比にならない状況となり、開戦を決定したものは連合国に吊るされる

戦争をやる 勝てば無問題、勝てる可能性はモリモリに盛った試算で何とかいける ならば死中に活を求め開戦 まあ、こうなる 今だってこういう状況になればこう決断するのがほとんどだろう

こういう究極的な選択をしなきゃならない状況にした事が問題で、その要因は日中戦争と三国同盟にあり、どちらかと言えば三国同盟こそが問題だった 1940年春頃から参謀本部と陸軍省は支那事変について撤兵の検討を始めていた 次長次官まで話が進んでいたというが、ドイツの西方電撃戦で、そんな話は消滅 バスに乗り遅れるなの大合唱で、地獄行きのバスに飛び乗ったわけである 

これに乗らなきゃ、英国は援蒋ルートの閉鎖を申し入れしていたし、蒋介石と適宜講和もできなくもなかったと思われる
177: 08/05(月)05:10 ID:KnH4c5jC0(1) AAS
日本が満州を占拠し続ける限り、いつかは必ず中国と先端は開かれるだろうし、三国同盟も国際連盟から弾かれた同士の結託だから、これも元を質せば満州事変に伴う連盟脱退。結局原因は満州事変に行きつく。板垣、石原と永田ら一夕会の暴走が原因。こいつらが出世して陸軍中枢を占め、ひいては国政をも牛耳った。その下では対米戦回避など出来ようもない。自分らの責任を問われるからだ。
板垣を祭神と祀る靖国神社、板垣の息子を幹部とし国会議員にまで押し上げた日本遺族会の見識の無さにもあきれる他ない。
・・・大量の戦死者を生み出し、遺族と言う支援者を大量に生み出した、組織の勢力拡大の功労者と捉えているのなら、祀るのも、息子の重用も理解できるが・・・
178: 08/05(月)08:52 ID:SXOJcwVj0(1/3) AAS
敗戦後、辻政信は反戦平和主義に鞍替えし、国民の支持を得て、大人気政治家になった。
当時の軍人・マスコミ・一般大衆は節操がないが、ある種日本人の典型だと言える
179: 08/05(月)13:45 ID:T9m5hFJt0(1) AAS
満州事変がなぜ起きたか
満州事変が起きた1931年9月、政府与党は立憲民政党で、若槻禮次郎が首相であり、幣原喜十郎が外相として英米協調外交を推進していた

政府としては満州国など考えの外だったが、嘘つき禮次郎と呼ばれた若槻に陸軍を抑える力量はなく幣原にもそれはなく民政党内閣は倒れ、政友会の犬養毅が政権を担うことになる

それもこれも濱口雄幸が暗殺されたためで、濱口健在なら満州事変拡大などできず抑え切っただろう 英米協調の幣原外交も濱口あっての事で、ロンドン条約での統帥権干犯問題も難癖も一蹴したその力量こそが濱口の真骨頂で、故に天皇の信任も大きかった

濱口は佐郷屋留雄に狙撃されたが、その動機は統帥権干犯問題にある この北一輝発明の筋悪理論を政争の道具に持ち込んだ犬養毅と鳩山一郎 彼らが濱口を殺し、満州事変を惹起させ、英米協調から国際孤立、日中戦争、三国同盟、対英米蘭へと流れてゆく

突きつめれば、犬養毅と鳩山一郎、そして謀臣の森恪 彼らが日本敗戦ルートの最初のフラグを立てたと言っていい
180: 08/05(月)14:43 ID:7IqKQp5k0(1) AAS
世界恐慌の後、満州事変がなかったら日本は餓死者が多数発生していたわけだがそこらの経済政策をどう考えていたのか満州事変原因論者を問い詰めたいw
181: 08/05(月)15:16 ID:mjOf3K0R0(1) AAS
事変がなければ餓死者が多数発生する、という前提はいかなる根拠に基づくのか

昭和農業恐慌に対して、事変が何か寄与をした事実があるのか

少なくとも満州移民が本格化するのは日中戦争あたりからで、特に農業恐慌の救済に役に立ったとは考えにくいが
182: 08/05(月)16:43 ID:GqGWddIk0(1/3) AAS
大日本帝国は、憲法上は天皇が絶対的な権力を持っていましたが、西園寺公望が「君臨すれども統治せず」という英国式の統治を裕仁親王に教え込んだため、天皇は直接的な政治には関与せず、象徴的な存在として君臨していました。

天皇の権力が絶対的であったため、日本にはナンバーツーに当たる存在がいませんでした。これは、幕府のような強力な武力組織が存在しないことを意味します。

天皇の下には、参謀本部、軍令部、陸海軍省、その他の省庁、総督府、枢密院など、様々な組織が直接的に属していました。これらの組織は、天皇に直接命令を受け、互いに協力しながら国政を行っていましたが、天皇が直接統治を行わなければ、それぞれの組織が自分の利益を優先するセクショナリズムに陥る危険性がありました。

平時にはまだしも、戦時下においては、セクショナリズムは国家の存亡に関わる問題でした。名目上は首相が政府の代表者でしたが、帝国憲法下では首相の権限は非常に限られており、他の大臣とほとんど変わりませんでした。

東條英機は、陸軍大臣時代に好き放題に権力を振るっていましたが、首相になると、自身の権力のなさに不満を漏らしました。東條は典型的な官僚であり、立場によって発言を変えるなど、状況に応じて都合の良いことを言っていました。
省1
183: 08/05(月)16:45 ID:dd+jYZD10(1) AAS
満州事変で費やされた戦費は18億円以上。 外部リンク:www.teikokushoin.co.jp
一方で1931年の国民所得は107億円。 外部リンク[pdf]:www.esri.cao.go.jp
不況に加え、国民所得の2割近くを戦費で浪費してるんだ。
財政出動の面もあるとしても効果は工業方面に偏り、飢饉対策にはならん。
これだけの予算が飢饉対策に回されていれば飢饉問題は解決しただろう。
満州事変は飢饉対策を後回しにさせ、悪化させた存在でしかない。
184: 08/05(月)16:45 ID:GqGWddIk0(2/3) AAS
日独伊三国同盟に、自動参戦条項は存在しなかった。
少なくとも、同盟国のいずれかが他の国と戦争状態に入ったとしても、他の同盟国が必ず参戦しなければならないという義務はなかった。
ドイツがソ連に侵攻した際、日本は参戦しなかった。この事実は、三国同盟に自動参戦条項がないことを世界に示した。

日本がアメリカを攻撃しても、ドイツやイタリアが必ずアメリカと戦争状態に入る義務はなかった。ドイツがアメリカに参戦するかどうかは、常にヒトラー総統の判断に委ねられていた。リッペントロープ外相は、三国同盟に自動参戦条項がないことを理由に、対米参戦を思いとどまるよう訴えたが、ヒトラー総統は強硬な姿勢を崩さず、対米参戦を決断した。

もし、ドイツがアメリカに参戦していなければ、連合国の戦況はより複雑なものになっていただろう。
185: 08/05(月)16:48 ID:GqGWddIk0(3/3) AAS
1940年7月27日、大本営政府連絡会議において、「世界情勢の推移に伴う時局処理要綱」が決定されました。

この要綱では、以下のような方針が示されました。

中国国民党政府の降伏: 第三国の中国への支援を断絶させ、あらゆる手段を講じて国民党政府を早期に降伏させる。
仏印への圧力: 仏印における中国への支援を阻止し、日本軍の補給や通過、飛行場の使用を認めさせ、必要な資源を確保する。必要に応じて武力行使も辞さない。
太平洋地域の仏領島しょ: 外交交渉を通じて、これらの島しょを日本の領土とする。
南方地域の諸邦: 日本の政策に協力させるための工作を行う。
南方問題の解決: 中国事変が終結した場合、または国際情勢が有利に変化した場合には、南方地域の問題を解決するために武力を行使する。
戦争相手: 武力を行使する場合には、イギリスを主な相手とし、アメリカとの開戦は極力回避する。ただし、対米開戦が不可避となった場合は、準備を進める。
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