太平洋戦争は日本なら誰が悪かったの? (703レス)
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386(2): 08/18(日)22:44 ID:FGCst/gl0(1) AAS
今の日本人見てるととてもバンザイ突撃や特攻などやりそうにない大人しくて温和な性格だと思うのだが
どこから変質したかと言うと、薩長が政権を奪取したところから語らねばなるまい
387: 08/18(日)22:52 ID:ebDeDWAK0(4/6) AAS
東條英機首相の口癖は「天子様は戦争反対だ」で
アメリカに譲歩しようとしてた。
アメリカの回答がハルノートでなければ、戦争を避けることができたはずである。
388(1): 08/18(日)22:59 ID:d+aaWji40(2/3) AAS
連合艦隊の出撃はハルノートの提出前であり、東條はアメリカは日本に都合が良すぎる乙案を拒否することを予想していた。そして帝国国策遂行要領の通り、開戦を強行した。
ハルノートが無ければ戦争は無かった、とする議論は、戦後に戦犯たちが自己弁護で言い始め。。
389: 08/18(日)23:06 ID:9QHsm5dE0(3/4) AAS
東郷茂徳はドイツ屋で、外交官としてはドイツ駐在が最も長く、嫁もドイツ人 大使経験はドイツ以外はソ連だけ 英米との関わりは極めて薄い
日米交渉をやろうという内閣の外相として最適とは全く思えない
英米に詳しい外交官は他にいくらでもいた
駐米大使経験者の石井菊次郎、幣原喜十郎、宮内大臣の松平恒雄は古すぎるとしても、英国大使だった重光葵、吉田茂、大物がいいなら広田弘毅でもいいわけである
内心はともかく、履歴が完全にドイツスクールの外相では、アメリカの心象がいいわけがない
省1
390: 08/18(日)23:18 ID:ebDeDWAK0(5/6) AAS
ちなみに日本の高等学校用の日本史教科書(山川出版社『詳説日本史B』、2007年版)には
以下のように記載されている。
「(略)新内閣は9月6日の決定を再検討して、当面日米交渉を継続させた。しかし、11月26日のアメリカ側の提案(ハル=ノート)は、中国・仏印からの全面的無条件撤退、満州国・汪兆銘政権の否認、日独伊三国同盟の実質的廃棄など、満州事変以前の状態への復帰を要求する最後通告に等しいものだったので、交渉成立は絶望的になった。12月1日の御前会議は対米交渉を不成功と判断し、米英に対する開戦を最終的に決定した(略)」
391: 08/18(日)23:18 ID:9QHsm5dE0(4/4) AAS
>>388
ハル・ノートは満州については特に問題としていない
東郷外相は撤兵を要求する支那には満州は含まれないという認識だと原枢密院議長に答弁している
だが中央では何故か満州を放棄など絶対できぬと開戦が決定するわけである
戦後、佐藤賢了はハルノートに満洲国を承認すると書いてあれば受諾していた とイケシャーシャーと語った
当然、対象範囲について明確に確認されるまで開戦は延期するのが当然の処置だが、もう開戦に走り出している アメリカが何を言ってこようと乙案丸呑み以外は即開戦だろう
12月を逃せば季節的に作戦困難になる上、回答を確認するまで機動部隊をハワイ近海で遊弋させとくなんて出来るわけがない 燃料が問題になる上、そんなところプラプラしてたらいつ発見されてもおかしくない
省1
392: 08/18(日)23:34 ID:d+aaWji40(3/3) AAS
「ハル・ノート」は日本本国の政策決定過程においては最後通牒と主張され、開戦の最終決定に至った。「ハル・ノート」は自らを試案であり、(今後の交渉がこれに)拘束されるものでないとしていて、これが実際に最後通牒といえるかについては議論があるものの、日本側から提示された「乙案」と「ハル・ノート」の差が大きい以上、戦争は避けられない状況にあったとの主張も、日本にある[5]。
ただし、「ハル・ノート」中の中国からの撤兵要求につき、当時の日本にとって、この中国に満州を含むかどうかが重要な問題で、当時の東郷外相は初めから満州を含むものと考えて報告[6]し、それがため開戦に踏み切らざるをえなくなったかのように、当の東郷自身は戦後主張している。
一方で、責任ある地位にいた者の中で「満州を含む」と解釈していたとは認められず、これは結局、戦後に戦犯裁判に架けられた者の側からの日本は戦争に追い込まれたとする一種の陰謀論ではないかとする説[7]もある。両説どちらからも、東郷のそもそもの真意や実際の行動がどうであったか、疑問が呈されている。
また、「ハル・ノート」の内容が多くの日本側の戦争回避論者を失望させたことや、開戦主張論者に交渉成立の「見込み無し」として利用されたのは事実であるが、そもそも「ハル・ノート」が最後通牒を受けたも同然と言われるようにまでなったのは、少なくとも公には、戦後の東京裁判等で東郷が自身の戦争開始責任を逃れるため言い出し、それに合わせた議論が主張されるようになってからである。 (ウィキペディアより引用)
393: 08/18(日)23:55 ID:ebDeDWAK0(6/6) AAS
ハルノートでの「支那における重慶政権以外の一切の政権の否認」の中には、汪の南京国民政府のほかに満洲国政府も含むと考えられた。瀬島龍三
394: 08/19(月)06:44 ID:dejSZgWH0(1/6) AAS
仮にアメリカじゃなくて、中国🇨🇳のみとか、中国🇨🇳&ロシア🇷🇺だけと戦ってたら勝てた?
395(1): 08/19(月)06:46 ID:dejSZgWH0(2/6) AAS
対米戦において日本がどの時点で撤退すべきだったかは、戦略的な視点や状況によって異なりますが、いくつかのポイントが撤退の好機とされています。
1. **ミッドウェー海戦後(1942年6月)**
ミッドウェー海戦での大敗が、日本にとって大きな転機となりました。この戦いで日本は空母4隻と多数の熟練パイロットを失い、太平洋での戦略的優位を失いました。この時点で大規模な攻勢を維持することが難しくなり、早期撤退を検討すべきだったという見解があります。もしここで撤退し、防衛線を固めて講和交渉に入る選択をしていれば、戦局の悪化を多少は防げたかもしれません。
2. **ガダルカナル島撤退後(1943年初頭)**
ガダルカナル島の戦いは、日本軍の消耗戦の象徴となりました。この戦いは長期化し、日本軍は資源や兵力を消耗しました。1943年初頭に日本軍は撤退を余儀なくされましたが、この段階で戦争拡大を抑え、できる限り早く防衛ラインを固めて米国との和平交渉を模索すべきだったとも考えられます。
3. **マリアナ諸島陥落後(1944年夏)**
サイパン島を含むマリアナ諸島の陥落は、アメリカ軍が日本本土を爆撃できるようになる大きな転機でした。これにより、日本本土への直接的な脅威が現実となり、さらに戦争の継続が極めて厳しい状況に追い込まれました。この時点で戦局の逆転はほぼ不可能であり、戦争からの撤退と降伏を検討すべきだったと言われています。
4. **レイテ沖海戦後(1944年10月)**
フィリピンのレイテ沖海戦で日本海軍は壊滅的な打撃を受け、残存する戦力もほとんど無力化されました。この時点で、アメリカは日本本土侵攻の準備を着実に進めており、日本が勝つ見込みはなくなっていました。ここでの降伏や講和は、日本のさらなる破壊を防ぐために現実的な選択肢だったでしょう。
省1
396(1): 08/19(月)07:29 ID:VsN9TS9P0(1) AAS
>>386
ところが長州人は折れるべきところは譲歩してきた
下関条約で割譲された遼東半島は三国干渉で返還しているし
対華21カ条要求を袁世凱に飲ませたにも関わらず山東還付条約でドイツ租借地を返還している
そういう態度を「弱腰」と批判して長州閥の打倒を掲げていたのが佐賀閥
張作霖爆殺を河本大作に指示した村岡長太郎
河本大作を庇ったり、熱河作戦を行った武藤信義
部下がトイレにいっただけなのに銃撃で行方不明になったとして盧溝橋で先端を開いた牟田口廉也
397: 08/19(月)09:40 ID:T9yRKLT00(1/2) AAS
>>396
山東半島返還を決めたのは原敬内閣だろ
398(1): 08/19(月)09:43 ID:T9yRKLT00(2/2) AAS
>>395
ミッドウェーで多数の熟練パイロットを失ってなどいない
失ったのは飛龍の搭乗員で残る3空母の搭乗員は出撃準備中に母艦が攻撃され、かつ雷撃ではなく急降下爆撃のため沈没まで相当の時間があったから大半が駆逐艦に移乗し生還している
399: 08/19(月)10:00 ID:xCCS+UOh0(1) AAS
>>386
いやいや、王法と仏法と家族制度が結びついたところから説かねばなるまい
400: 08/19(月)11:41 ID:dejSZgWH0(3/6) AAS
>>398
その通りです。ミッドウェー海戦における日本軍のパイロット損失についての指摘は正確です。
実際、ミッドウェーでの損失は空母4隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍)とともに航空機の損失が大きく報告されていますが、搭乗員の大部分は生還しています。特に、赤城、加賀、蒼龍のパイロットは母艦が急降下爆撃を受けた際、出撃準備中であり、その多くが駆逐艦に避難することができました。
一方、飛龍のパイロットは実際に出撃し、攻撃任務に従事していたため、飛龍の沈没とともに彼らの損失が大きかったという点が重要です。したがって、「多数の熟練パイロットを失った」という表現は誤解を招くもので、正確には飛龍の搭乗員に限られます。
この点に基づくと、日本軍の大きな損失は空母自体とその航空機の喪失であり、それに伴う戦略的な後退と太平洋戦線での優位性の喪失がミッドウェー海戦の重大な影響と言えるでしょう。
401(1): 08/19(月)12:09 ID:dejSZgWH0(4/6) AAS
仮に真珠湾攻撃せず、中国とロシアとだけ戦してたら勝ってた?
402: 08/19(月)12:32 ID:t/Sf89QJ0(1/2) AAS
>>401
開戦以来4年以上も戦い日露戦争以上の戦死者を出して勝利の見通し皆無
中国だけでこのザマで、この上ソ連と戦って何とかなるわけがない
何とかなるとすれば、ドイツがソ連に勝ってくれる場合のみ レンドリースのウラジオルートが潰せるから多少ドイツに有利になるだろうがそれでもドイツがソ連に勝てたとは思えない
ウラジオルート分は白海周りとイランルートが厚くなる事でカバーするだろうし
403: 08/19(月)12:44 ID:dejSZgWH0(5/6) AAS
日清日露や対米戦は映画やドラマになるけど、日中戦争は取り上げられないな
なので詳しくは知らない
404(1): 08/19(月)16:11 ID:GxY0PLJp0(1/3) AAS
「ハルノートが戦争の原因」だと主張するのは東條内閣の閣僚や側近たちで それは戦後の自己弁護や責任転嫁諭でしかない。このスレでも彼らに与太話をドヤ顔で書いてる奴がいるが、ハルノートがでようがでまいが、日本は乙案拒否即開戦をすでに決定していたから開戦は不可避だった。 こういう一か八か、死中に活路を見出すのは日本人の国民性であり、東條のみならず日本全体が破れかぶれ状況になっていたのだろうねえ。
405: 08/19(月)16:25 ID:t/Sf89QJ0(2/2) AAS
破れかぶれってのもちょっと違うと思う
この時点でヨーロッパ全域は、ドイツおよびドイツの同盟国友好国が支配しており、残るは、モスクワ前面まで攻め込まれたソ連と、ドーバー海峡を挟んで対峙するイギリスのみ
ドイツが勝てば何の問題もなく、そしてドイツは勝ちそうに見える そもそも勝ち馬に乗ったつもりでドイツと同盟を結んだのである
対ソ戦は年内の勝利はないと判断されるが、ドイツ優勢は変わりなく、翌年には片付くだろう
イギリスも、もう時期英本土上陸作戦が行われそう、とベルリンの大島が蕎麦屋の出前報告をあげてくる もちろんそんなの無理という報告も多々あるが、人間みたいもの聞きたいものしか見ないのである
故に1942年中にはドイツが英ソを打倒し、アメリカは戦争目的を失い戦争は終わる
省2
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