安濃豊の戦勝国は日本だったについて (938レス)
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865(3): 10/12(土)23:28 ID:zt583bA00(4/4) AAS
〉交渉の議題にも争点にもなっていないのが「アジア解放」である。なんでこれが開戦理由や
目的に該当するのかさっぱりわからない。
とありますが、日米交渉の長い期間の中で、
※1.に、付録第三十一 日米「原則協定」案 というのがあります。見てみると、
日米「原則協定案」昭和16年3月17日 日米私人作成 と題名にあります。
※2.民間外交から日米交渉の開始へ 二人の聖職者の来日と井川忠雄の活躍 から
「日米交渉は民間外交を起点として、その後に正規の外交ルートに乗せられたという経緯を持つ。」
とあり、当初は日米私人が交渉していて、そのときに作成されたもののようです。
原則協定案の「西南太平洋自主連邦」という項目があります。※1.P345(本のページでは655)
1.日本は西南太平洋に存在する特定国及び属領に対し、安定を確保し且つ非侵略的意図の所作として
省7
867: 10/13(日)01:21 ID:vJgJODmZ0(1/5) AAS
>>865
>当初、「アジア解放」に関しての議題はされていたようです。
????
質問。その私人作成の「日米原則協定」案は政府間の日米交渉の中で取り上げられたのかね?
それと
>>864の末部分 の >援蒋ルートの遮断→欧米植民地への侵攻 のくだりを詳しく解説願いたい。 論理が飛躍していている。援蒋ルートの遮断だけならビルマと仏印(開戦前に実行済み)であるが、その他の東南アジア地域侵攻の説明にならない。
さらに言うと
>支那事変を収束させる→(省略)→植民地の独立
わらしべ長者 風が吹けば桶屋が 的な結論誘導の感があるね。回答を聞いてから863〜865の感想を述べる。
870: 10/13(日)17:46 ID:vJgJODmZ0(4/5) AAS
>>865
ここは俺の不勉強による知識不足のため867の回答を読んでから再度答える。このスレで俺が問題にしているのは国策と国会の意志である。
元ブラジル大使沢田節蔵と、井川忠雄は政府要人と接触をしているのでこの「原則協定」案が全く両名の妄想とは言わないし、現に日米諒解案の素案にもなっているのだが、君が紹介した東南アジア処理案がその後の政府交渉に取り上げられたとは俺は聞かないので
俺のレス文中の「交渉の議題にも争点にもなっていないのが「アジア解放」である。」の反証になっていないので考えは全く変わらない。
間違っていたら指摘してほしい。
878: 10/14(月)21:58 ID:q1Xc0p4B0(2/2) AAS
877続き
「七.太平洋の政治的安定に関する両国の方針
A.日米両国政府は欧州諸国が将来東亜及び南西太平洋に於いて、領土の割譲を受け又は現存国家の併合等をなすことを、容認せさるへし。]
この部分は過去に目にしたことがあり、その時は特に深読みもせずにスルーしていたのだが、君の指摘のように日米原則協定案の中の「西南太平洋自主連邦」部分の延長と読み取るのはキツイものがあるな。仮にそう考えても 換骨奪胎・空文化だねえ俺的には。
あと874〜876にざっと目を通したが、事実関係については互いに認識の違いはないようだ。あとは互いの主観 私見の違いなのでそこについてはすでに俺は言いたいことを全開したのでこれ以上は特にないな。とにかく気になったのは>>865だけ。
また君のレスをじっくり読んで意見があればレスするよ。 今はこれだけ。
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