[過去ログ] 日蓮って ver.29 (720レス)
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207(2): 2014/08/31(日)11:54 ID:87JovFEj(1) AAS
>>200
>>204
横レス失礼しますね。
法華経物語をよく読んでくれるお方ならば、方便品偈文の件を御覧くださいませ。
爾前の教えが方便であるかの趣旨の語りになっているにもかかわらず、ここではもう筆者の目線上に、仏像、仏画、仏塔
などとを示唆するものがあることの矛盾を感じられるのではないでしょうか?
ここでの語りは方便品であり、釈迦が滅後を予言された話ではないのですね。
私見ながら、ガンダーラ仏教の美術が盛んに行われた期間、またはその以降にこの物語が作られた可能性は大にあると思われますね。
もし文上から私の見解が間違いがあるようでしたらご指摘くださいませ。
釈迦が爾前で教えていた頃すでに信者達の中で愚像崇拝をしてたという話があれば面白いのですが。
省1
208: 2014/08/31(日)12:05 ID:lhUOXYZv(1) AAS
>>206
>「南無妙法蓮華経」の「南無」という言葉は、「頼りにします」「すべて任せます」という意味で
いやいやいや。
現代ヒンディー語の「ナマステ(namaste) あなたを敬います」と一緒だ。
感嘆形なので「敬います!」程度が原義。
209: 2014/09/01(月)07:34 ID:X6kAh8qh(1/2) AAS
>>205
204です。ご教示ありがとうございます。その本は読んでいませんので、目を通させていただきます。
古来、色んな民族が次々に西北インドに侵入してきたようですから、時期によって征服民と先住民が変わります。
しかも遊牧民なので侵入されたほうも消息が何となく曖昧です。また農耕民はそのままだったかもしれません。
サカ族が侵入したのは紀元前ですが、別の王朝に征服された後、紀元後にまた別のサカ族の王朝が成立します。
サカ族の後のクシャーナ朝で仏教文化は栄えましたが、私見では法華経はそういう安定期前ではと思っています。
中村元博士は、クシャーナ朝の有名なカニシカ王の次のヴァ−スデーヴァ治世に法華経ができたと考証されています。
210(1): 2014/09/01(月)07:58 ID:X6kAh8qh(2/2) AAS
>>207
たしかに方便品では、像や画や塔を供養する功徳を賛美する記述があります。しかもかなり高価な宝物のようです。
ちょっと「最後は金目でしょ」みたいな印象もありますねw
ガンダーラ美術は紀元前から始まって、最盛期がクシャーナ朝ですから、推定される法華経の成立時期を完全にカバーしています。
したがってご見解の通りです。ところで、上の209に書いたように中村元博士はそれがヴァ-スデーヴァ朝だっと推定されています。
その理由のひとつは、この時期多くの仏塔(ストゥーパ)が建てられ、法華経に仏塔崇拝が極めて強いことを挙げられています。
むろん、これは現在のような形での法華経が最終的に成立した時期という意味です。
しかし法華経は仏塔崇拝もさることながら、次第に自画自賛の経典崇拝がトーンを高めているようにも思うのですが、どう思われますか?
211(3): 2014/09/01(月)18:06 ID:2inJnOWW(1) AAS
法華経方便品ではその仏塔を容認しつつ、分別功徳品では否定するかのような語りですね。
その方便品での仏像、仏画、仏塔を作る者は「仏道を成就してる」とだけ述べているだけであって、
この者達を例に出して三乗と一仏乗を説こうとしてますね。
所謂、法華経が作成される爾前に、このような者達が存在してたということになってしまわれるわけです。
例えば、
菩提樹の下で釈迦が覚りを得た時期から、この法華経が説かれるまでの数年間で“仏像、仏画、仏塔を作る者”がおられたということですね。
これは大集経での像法でいうところ、多造塔寺堅固の枠内に入った説明を混同したもの思われてしまいます。
ここ法華経の段階では、多造塔寺堅固というものを濁らすよな余計な話を取り入れた筆者は、釈迦に成りきれずに、
この法華経物語を完璧に作ることができていなかったと思いましたね。(本人も難信難解)
上レスでも少し触れたのですが、これを予言的な説法で展開されていればよかったとは思うのですが、
省12
212: 2014/09/01(月)19:30 ID:nf6kBv3b(1/2) AAS
>>211
ニチレン教が互いに争い周囲にも迷惑を及ぼすのは
「ニチレン・サイクル」と異名のある無反省な二項対立志向
これが原因だろ(笑)
何の不可思議もない
ニチレンが迷盲な人々に勘違いされ、崇められるのは
先哲から我田引水している部分をニチレン本人の主張に
迷人(ニチレン教信者)が勘違いしているからだ
創価員が池田の著作とされる本の中の文に
引用される他者の思想提言を池田のものと
省1
213: 2014/09/01(月)20:41 ID:nf6kBv3b(2/2) AAS
ニチレン教の頑迷さの現れの例
初転法輪之(の)道場と銘打ったところで、一体何が行われているのか
あろうことか、水風呂に漬かったり木の棒を狂乱して
振り回して居るのだ
この様である、棒を振り廻すのが転法輪か?
たけし軍団、ダチョウ倶楽部に弟子入りした
ほうがお似合いであろう。
214(2): 2014/09/01(月)23:43 ID:TUKTzmm2(1) AAS
>>210 >>211
>たしかに方便品では、像や画や塔を供養する功徳を賛美する記述がありま
す。
>その方便品での仏像、仏画、仏塔を作る者は「仏道を成就してる」とだけ
述べているだけであって、
方便品を見ましたが、そのような記述はないですね。もし、あるのでしたら
経文の引用をお願いします。
215(3): 大乗非仏説 2014/09/02(火)00:05 ID:b/DSCt8n(1) AAS
>>214
このあたりじゃないでしょうか?
若於曠野中 積土成仏廟
乃至童子戲 聚沙為仏塔
如是諸人等 皆已成仏道
若人為仏故 建立諸形像
刻彫成衆相 皆已成仏道
或以七宝成 鍮鉐赤白銅
白鑞及鉛錫 鉄木及与泥
或以膠漆布 厳飾作仏像
省7
216(1): 2014/09/02(火)07:45 ID:66h7bIf9(1) AAS
>>211
たしかに分別功徳品では方便品で散々持ち上げた仏塔や仏像の功徳を寿量品の教説を聞くことに比べれば取るに足りないと貶していますね。
しかしまあ経典全体として見た場合、教主釈尊の常住不滅を説いた寿量品がキーでしょうね。これさえ押さえれば、あとは何でも言い放題です。
仏像はギリシア彫刻の影響でガンダーラで盛んに造られたのが発祥といわれています。200さんの法華経ガンダーラ発祥説と一致します。
また法華経で、美しいもの、尊いものを表現するのに、換金性の高い金銀や宝玉などをもって繰り返し強調されるのは商人文化的です。
法華経ほどではないにしても、般若経典なども後期のものは、同じ傾向があります。クシャーナ王朝の東西交易で栄えた商人文化の影響でしょう。
そうはいっても法華経が含む教説や説話の淵源はさらに古層にまでさかのぼるものとは思いますけど。
>>215
ソコですね。
217(1): 2014/09/02(火)08:58 ID:ock4odyA(1/2) AAS
>>216
時間がなく詳しいレスができないのですが、
法華経での“常住不滅”を説いたはずなのに、涅槃経でどれだけ悲しんだ人達がおられたのか?ということも考えてみれば、この寿量品の話はなんだったんでしょうね。
(この寿量品だけは釈迦が亡くなる寸前の説法にすればよかったのに) と思いましたです。←これも私ごとではありますがw
>>215
手抜きしたような私のレスでしたが、該当箇所の提示してくれまして
有難うございます。確かにそのあたりであります。
サンスクリットから訳された岩本氏も殆ど似たように訳されてますね。
218(2): 2014/09/02(火)20:26 ID:XyN3V39Z(1) AAS
>>215
経文を教えていただき、ありがとうございます。方便品第二は、知っていた
よりかなり長いんですね。私が知っていたのは、前半だけでした。
>>207
>私見ながら、ガンダーラ仏教の美術が盛んに行われた期間、またはその
以降にこの物語が作られた可能性は大にあると思われますね。
その通りだと思います。釈迦が亡くなってから、遺骨は分けられてストゥー
パに埋葬されました。釈迦滅後500年間、インドは平和な時期が続き、釈迦
は、「農業の神様」としてあがめられ、人々はストゥーパで祈りを捧げてい
ました。ところが、紀元前後に北方遊牧民族が侵入し、ガンダーラを中心に
省15
219(1): 2014/09/02(火)23:53 ID:ock4odyA(2/2) AAS
>>218
レス有難うございます。
>おそらく、法華経の制作者たちは、釈迦像の前で瞑想をし、直接、釈迦から
>説法を聞いているつもりで、法華経を制作していったのではないか、と思い
>ます。
まぁ、そういうこともあろうかとも推測はできますね。
ただ、この法華経文中に
@『受持・読誦・書写・この経・一偈・一句』
の単語が随所にでてきてます所に、この作者はとんでもないミスをされているかと思いますね。
作成された時期云々よりも、釈迦がこのようなこと(@)を言ったとなりますと、釈迦が執筆者ということになります。
省7
220(2): 大乗非仏説 2014/09/03(水)06:18 ID:HFYjFfKU(1/3) AAS
>>219
私のもっているテキストでは72760字になります。ただこのテキストには序文や品名等が
はいっており、さらには括弧等のもはいっていますので、69384字はそんなにはずれてい
ないのではないかと思いますね。
221: 2014/09/03(水)07:25 ID:t4vAYtzu(1/3) AAS
>>217
まあ寿量品の「常住不滅」さえあれば、その他はすべて「方便」と一蹴できる仕掛けになっていますからね。
>>220
ダラ二品か何かが欠落した写本だったのでは?羅什の緊縮した漢訳でその字数は決して無視できない差分です。
特に書かれてもいない文底秘沈の文句さえ透視した日蓮にとって文字数が少ないというのは由々しき事態では?
222(1): 2014/09/03(水)07:55 ID:v2XbyB1k(1/2) AAS
観音経なんて丸ごとホッケ経に添加されているが
オリジナルの方にしかないものがあるね。
223: 2014/09/03(水)08:16 ID:v2XbyB1k(2/2) AAS
しかし、ニチレンは「頸」が好きだよね
破門された時に師匠から
「おまえは頸だ!」
とでも云われたのだろうか。
224(1): 2014/09/03(水)08:24 ID:t4vAYtzu(2/3) AAS
>>218
その「ガンダーラの大虐殺」というのも205でご教示いただいた「ブッダ―大いなる旅路〈3〉」にあるのですか?
じつはまだその本を読んでいませんが、ガンダーラに侵入した遊牧民が農民を大虐殺したというのは違和感があります。
遊牧民がやることは略奪でしょうし、暴力の犠牲もあったでしょうが、大虐殺の話は聞いたことがありません。
バラモン教復興を掲げ仏教を弾圧したシュンガ王朝のプシヤミトラは異民族ではないし、ガンダーラでもないし。
225(1): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/09/03(水)08:52 ID:W0rrtVSe(1) AAS
現存する法華経諸本はいずれも69,384字ではない、と聞いたか読んだかしたことがあります。
各品の品名?を除いてみるなど、字数の数え方を色々と変えてみても、そうはならないそうで。
こう書くとまた、「当時は69,384字の法華経があったのだ!」などと横槍が飛んできそうですが、
当の日蓮筆「註法華経」からして字数は異なるそうですから、おそらくどこかで聞くか学ぶかした
数字をそのまま記したのではないでしょうか。※当時の総人口の記述も同様だろうと思います。
一般的にはそれらの誤記など無問題ですが、「末法の御本仏」にはあるまじきことですね。
226(1): 2014/09/03(水)09:23 ID:KWLDelhh(1) AAS
>>224
>その「ガンダーラの大虐殺」というのも205でご教示いただ
いた「ブッダ―大いなる旅路〈3〉」にあるのですか?
はい、書いてあります。西遊記で有名な玄奘三蔵がガンダーラ
にたどりついたとき、虐殺により、ガンダーラの土地が真っ赤
になった、というような伝説がたくさん残っていたそうです。
玄奘三蔵がガンダーラに到着したのは、西暦631年ですが、その
とき、仏教は衰退していて、仏塔や寺院などは、ほとんど崩れて
しまっていたようです。
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