[過去ログ] 日蓮って ver.29 (720レス)
上下前次1-新
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
308(2): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/09/06(土)01:07 ID:3XJs2WQe(1/8) AAS
>>275 さん
そうですね。様々な立場・見方・考え方から、日蓮その人に対する是非論も当然あるだろうと思います。
ただ、先の龍ノ口の話ひとつ取ってもお分かりのように、今なお唱えられている日蓮像は専ら「虚像」です。
歴史に名を残した人達には多かれ少なかれあることですが、宗教系は特に"盛り方"が酷いですね。
>>276 さん
そうなのですけどね。その「詮無し」の書(に限らず、多くの日蓮文書)の信憑性が>>269の通りでして。
仮にそれが日蓮の記述だったとしても、その文書全体の内容や、他に現存している直筆文書(真蹟)群から、
教義的な説明や(意地悪な見方も含めた)推測は可能です。「釈迦も法華経も無益」ではありませんが。
ただ元寇については、日蓮は(自分ではなく)「仏の予言」という理解でしたから、確かに衝撃だったようですね。
>>287 さん
省1
309(1): 2014/09/06(土)01:22 ID:VJyh1FmT(1/3) AAS
>>299
ありがとうございます
「ヨセフスの歴史書」について調べてみました
外部リンク[html]:www.sevenz.com
疑惑がありそうですね
キリスト教は、ローマ帝国が都合よく利用していた所があり
いたるところに疑惑の匂いがするんです
ですが、西洋諸国がキリスト教なので、
なかなかメスが入れられない
もし、イエスの物語が捏造であるならば、
省5
310(1): 2014/09/06(土)01:27 ID:VJyh1FmT(2/3) AAS
>>304
あなた、イエスの復活を信じているんですね
>しかも処刑された後に、信者らはイエスの復活を福音、つまりグッドニュースとして述べ伝えるために喜び勇んで立ち上がった。
>これは単純に伝説だと言い切れない世界史的な事件であることは間違いない。
311: 2014/09/06(土)01:41 ID:VJyh1FmT(3/3) AAS
キリスト神話-偶像はいかにして作られたか トム・ハーパ著
312(1): 2014/09/06(土)01:59 ID:I2vAdEwp(1/2) AAS
>>308
>>269
> > 「余経も法華経も詮なし」
> これについては他スレで何度か議論をしたことがあるのですが、私は日蓮の本来の意図を無視した、
> 切り文と恣意的解釈によって振り回されている、もっとも代表的なフレーズの一つであろうと思います。
> しかも真蹟は無し。日興写本だそうですが、それも未確定。日蓮系はこういう類が非常に多いです。
本来の意図を無視した切り文と恣意的解釈と主張しているから、反論として真蹟で「余経も法華経も詮なし」に該当する部分を引いただけだが。
>>287
> 「在世の本門と末法の始は一同に純円なり但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり。」観心本尊抄
妙法蓮華経は以前に釈尊に下種された衆生のための脱益であり、末法の我々には縁がないから役に立たない。
省1
313(1): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/09/06(土)02:36 ID:3XJs2WQe(2/8) AAS
>>312 さん
種脱に差異や勝劣があるのなら、「一同」でも「純円」でもなくなりますからね。
私が勝手に言ってるんじゃないですよ。天台・妙楽・日蓮に一貫していることです。
観心本尊抄にもちゃんとそう書いてありますよ。
314(8): 2014/09/06(土)06:17 ID:cb6y4l16(1/7) AAS
>>313
種脱に差異や勝劣があるから、「但し」と文章が続くのでしょう。
文章的には、前の文章が長々とあるのですが、「所謂一往之を見る時は久種を以て下種と為し
大通前四味迹門を熟と為して本門に至つて等妙に登らしむ、
再往之を見れば迹門には似ず本門は序正流通倶に末法の始を以て詮と為す、」とあり、
「在世の本門と末法の始は一同に純円なり」と結ばれているのは、
「在世の本門」で説かれる法も「末法の始」に説かれる法も「成仏の法」として「一同に純円」と言うことでしょう。
その上で、「但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり」と差異を主張している文章で、
このような差異を主張する以上、当然のように自身の法が「末法の始」において勝っているという話でなければ、
わざわざ、その差異を主張する意味がありませんね。
315: 2014/09/06(土)07:41 ID:DQbMAQJ1(1/4) AAS
>>314
>このような差異を主張する以上、当然のように自身の法が「末法の始」において勝っているという話でなければ、
>わざわざ、その差異を主張する意味がありませんね。
脳悪にもほどがあるな。
316: 2014/09/06(土)08:19 ID:HxdhrO+C(1/4) AAS
>>310
いや信じてはいない。信じられれば自分はクリスチャンになるだろう。ただ一概にデマと一蹴できない事情があるのではと思う。
多くの病人を治したとの伝承は事実ではなかろうか。わずかの期間に権力が恐怖するほど、多くの民衆がイエスにつき従ったのである。
祭祀階級出身でもないイエスが説法だけでそれほど多くの民衆をひきつけたろうか。なにか数々の奇跡的な能力を示したのではないか。
イエス自身、信仰の薄い時代は証拠を求めると嘆いている。何らかの仕方で、その証拠を示したと考えるほうが自然であると思う。
釈尊にも奇跡譚が伝えられているが、似つかわしくない。釈尊は超自然的能力というより、尋常ならざる人格的感化力を持っていたように思える。
317: 2014/09/06(土)08:42 ID:1++y/Fju(1/2) AAS
>>182
魔訶止観の折伏は、ここ一箇所だけだな。
(魔訶止観)
即此意也。若人性多貪欲穢濁熾盛。
雖對治『折伏』彌更増劇。←←◎ココ
但恣趣向。何以故。蔽若不起不得修觀。
譬如綸釣魚強繩弱不可爭牽。
但令鉤餌入口。随其遠近任縦沈浮不久收獲。
・・・
即ちこの意味であり、もし人の性質が貪欲と穢れや、
省14
318: 2014/09/06(土)08:52 ID:1++y/Fju(2/2) AAS
たとえ法華経と日蓮御書がすべて
歴史上のじじつだったとしても、
その内容は、なんだか智慧オクレでおバカな話の
連発だなー、としか思わん・・。
スバラシイ ! ! ! とか連呼してる人たちは、
漢文古文が読めない、ある種の文盲な人々としか
言い様がないですな。
自分で辞書引いて一字一句読んで見ればいいのに、
受け売りやめて・・。
319: 2014/09/06(土)08:54 ID:QtZ+rc1X(1) AAS
>>309
捏造があればカルトになるわけではないのだが、君は何を言っているのだね?
ある意味、単純脳でうらやましいが
320(1): 2014/09/06(土)09:26 ID:HxdhrO+C(2/4) AAS
>>314
そんなあなたに質問です。寿量品では教主釈尊の常住不滅が明かされています。入滅は方便だと明言しています。これはいわゆる「本門」にあたる部分です。
これが真実なら、末法と言う観念は当然、破綻します。法華経の他の章や他の経に末法が説かれていても、それは方便であって真実ではないことになります。
もし常住不滅も方便で、実は末法説が正しいなら、法華経のなかで末法を述べた章および末法説を説いた他の経は正しいことになり、「詮なし」にはならない。
前にも書きましたが、つまり「余経も法華経も詮なし」は存在論的に成り立たない命題なのです。種脱相対以前に、そこを論理的に説明できますか?
321(1): 2014/09/06(土)09:44 ID:HxdhrO+C(3/4) AAS
>>314
もうひとつ。仮に無理筋の「末法では余経も法華経も詮なし」を不問に付し、すべての経の有効期限が切れたとしましょう。
そこでなぜその詮ないはずの「法華経に帰依します」と羅什訳法華経の題名を音読みで唱えることが導かれるのでしょうか。
これは私以外の他の方々も前から提出されている疑問のひとつです。
羅什訳でなければならないなら、日蓮教の三宝を、羅什を仏宝、題目を法宝、日蓮を僧宝とすべきではないでしょうか。
322(2): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/09/06(土)10:45 ID:3XJs2WQe(3/8) AAS
>>314 さん
「寿量の法門は滅後の為に之を請ずるなり」。釈尊の法華本門は在世限定の脱益法でも、
「抜け殻」でも「去年の暦」でもありませんね。だから本尊抄にも書いてあると言ったでしょう。
「此の本門の肝心南無妙法蓮華経」「寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経」
説かれる法は同じですね。一品二半=南無妙法蓮華経です。だから「一同に純円」です。
種脱相対論は本尊抄だけでも既に矛盾爆発です。「詮なし」の上野殿御返事にも以下の通り。
「南無妙法蓮華経と申すは法華経の中の肝心」です。別物ではないのですから勝劣も無し。
差異があるのは正像末の「時」であり衆生の「機(機根)」です。説かれる「法」ではありません。
これが日蓮が書き残した主張です。他の真蹟群でも同様です。この基本は終始一貫しています。
ついでに言うと日興・日目らも同じです。あなたの論は、主に日寛以降に唱えられた別物です。
省1
323(1): 2014/09/06(土)11:20 ID:cb6y4l16(2/7) AAS
>>322
>あなた達の「文底読み」が客観的に立証されない限り、対外的には何の説得力も持ち得ません。
「文底読み」などはしていませんよ。
>>314は文章のまま読んで、あなたの言うように一品二半=南無妙法蓮華経で「一同に純円」で、
「成仏する法」として同一でしょう。
私は「但し」以降の文章で、種脱に差異や勝劣を日蓮が主張しているとしているのですよ。
種脱の違いはそれ以前に説明があるように、生死を繰り返して仏になる修行法と、今生で仏になる修行法の違いでしょう。
「彼は一品二半此れは但題目の五字なり」は、そのまま字数の違いではないでしょうかね。
日蓮は「題目」を唱える簡易な修行法の優位性を主張していたのですから、「此れは但題目の五字なり」で優位性を示している
と、解釈するほうが、日蓮の他の主張と合いますね。
324: 2014/09/06(土)11:46 ID:DQbMAQJ1(2/4) AAS
機根に対する適切性と法体の優劣を混同する間抜け。
325(3): 2014/09/06(土)12:05 ID:I2vAdEwp(2/2) AAS
>>322
>一品二半=南無妙法蓮華経です。だから「一同に純円」です。
「在世の本門と末法の始は一同に純円なり但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり。」観心本尊抄
の一品二半は、天台の定義。
しかし、大聖人の一品二半は、厳密にはこれと違う。
知っている限り、天台定義の一品二半の冒頭部が少し削られている。
大聖人は、「日蓮が法華経の智解は天台伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども」(開目抄)と謙遜されている。
にもかかわらず、妙法蓮華経の心臓部と呼べる一品二半の定義を変えた。
それは、天台の一品二半と大聖人の一品二半は「別物」であることを示す。
326(3): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/09/06(土)12:25 ID:3XJs2WQe(4/8) AAS
>>323 さん
字数の違い、行法の違い。まぁ何でも良いですが、いずれにしても法門の勝劣ではないですね。
と言いますか、あなたの論は正宗系の各教団が唱える日蓮本仏論ともかなり異なるようです。
日蓮本仏論では、釈尊所説の妙法蓮華経と、文底独一本門の南無妙法蓮華経は別物です。
それら異なる法門の正邪勝劣を判じたのが種脱相対です。そもそも五重の相対自体がそうです。
ですから、種脱相対を主張するのなら、本尊抄の「但し」以前を「実は同一でない」と置き換える
文底解釈が不可欠で、その為の「金口嫡々の御内証」であり「大聖人直結の信心の血脈」です。
ザッと見た限り、創価学会でも日蓮正宗でもこの点に関する主張は今も変わっていないようですし、
私もそれを踏まえてこれまでレスを書いてきたのですが、あなたは何を根拠に書かれているのでしょう。
種脱相対論は、主として日寛の「文段」に拠ります。まずはその辺りとの整合を取って下さい。
省1
327(2): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/09/06(土)14:12 ID:3XJs2WQe(5/8) AAS
>>325 さん
これで連投規制にかかると思いますが・・・あら?ID:cb6y4l16 さんは別の方ですか?
日蓮本仏論における「別物」の理解は>>326の通りですが、天台の定義?を削った?からとは
知りませんでした。かつては聞きかじって知っていたかもしれませんが、とうに忘却の遥か彼方です。
「南無妙法蓮華経と申すは一代の肝心たるのみならず法華経の心なり体なり所詮なり」
建治・弘安年間以降も、こういった記述が無数にあり、日蓮は身延最晩年期まで法華経を読み、
釈迦立像の仏前にも供え、門下に講義し、勧めもし、その身に携行もしていたのは御存知の通り。
私はもう買い被られるほどの見識もありませんが、それでも日蓮らの言動とは辻褄が合いません。
それは文上だから?示同凡夫だから?不相伝の浅識だから?まぁ、色々と言われますね。
ではその文底なり、人師論師の釈なり、相伝とやらなりの正当性は何か。そこに行き着くわけでしょう。
省1
上下前次1-新書関写板覧索設栞歴
あと 393 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル
ぬこの手 ぬこTOP 0.022s