[過去ログ] 日蓮って ver.30 (737レス)
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129
(4): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/10/22(水)00:27 ID:mCW3zKGC(1) AAS
>>121>>125 さん
なるほど、そうですか。私はむしろ逆に、事実認識がかなり異なるのが原因なのかもと感じていました。
私の浅識では、三戒壇と聞けば東大寺・下野薬師寺・筑紫観世音寺ですし、真言律宗など、いわゆる鎌倉仏教は
基本的に南都・比叡山などの既成仏教に対する反発から起こり、各地で独自の戒壇や作法が数多く生まれたという
認識でいます。当の叡尊がそう(自誓受戒→西大寺他の戒壇建立)ですし、忍性も合流以降は同様の立場です。

道元は比叡山で受戒しましたが、官寺でないため中国では僧とはみなされず、改めて中国曹洞宗の印可を受けました。
ところが帰国後、今度は叡山から否定され弾圧されます。これまた根拠を失うわけですが、道元の偉大さはゆるぎません。
が、それらの「厳格な宗派」も、室町以降は世俗化、形骸化、分派とか内紛とか事件とか犯罪とか、まぁ色々です。
しかしながら、偉僧・傑僧も出ているわけで、これらが私が受戒や潅頂、相承などにさほど意義を見いだせない理由です。

そんなこんなを、揚げ足取りや論破目的などと思われないよう、上の方では出来る限りやんわりと書いてきたのでした。
省2
130: 38 2014/10/22(水)01:12 ID:gA0TiJKn(1/2) AAS
山椒コラ

なにが矛盾か言ってみろコラ。
おまえのレスは仄めかしばかりで、掴み所がねーんだよ。
バカが賢ぶってるようにしか見えんぞ。

ハッキリ言えやヘタレが。
つーか失せろおまえ。
殺すぞおまえ、ホンマ(*´∀`)
131: 2014/10/22(水)01:26 ID:iM4eaFR/(1/2) AAS
キンマンコ信者乙。
132: 38 2014/10/22(水)01:53 ID:gA0TiJKn(2/2) AAS
ネット左翼乙。
言論や思想だけで世の中が変わると思ってるユトリ乙。

おまえらネラーの言論など言論ですらないが。
ただの暇潰しのくせに、いっちょまえに抜かすなアホ。
133
(1): 2014/10/22(水)08:11 ID:/RdBBOmd(1/2) AAS
>>129
山椒島さん、私が事実関係の認識で大差がないといったのは、伯耆公御房消息にある日蓮の教示が経典上の根拠を欠くということです。
このため私は「おまじない」に類するとしましたが、あなたはこれに対し、燃やしたのが法華経だから「おまじない」ではない、他宗にも似た化儀がある、
燃やした灰にも薬効があったはず(102)とか、当時は医学や科学だった(106)とか、日蓮は病気についても色々書いているから、仏説として意識
していたはず(109)とか、とげぬき地蔵でも地蔵の絵を飲む(116)とか仰いました。こららはいずれも私の問題としているところではありません。
しかし経典上の根拠があれば日蓮に詳しいあなたがそれを知らないはずはありません。、そこで「経典上の根拠はない」という事実認識においては、
双方大差はなく、それを私のように「おまじない」と見なすか、あなたのように正式な化儀と見なすかという評価の違いとしたのです。
134
(1): 2014/10/22(水)08:15 ID:/RdBBOmd(2/2) AAS
133の続き
三戒壇については浅識どころかお詳しいです。ただ私は121で「日蓮当時は」と言いましたが、下野薬師寺はそれ以前に機能停止していたのです。
したがって日蓮当時は東大寺、筑前観世音寺、比叡山延暦寺の三か所だったのです。また叡尊の自誓受戒については以前も書きましたが、
すたれた戒律を復興する趣旨で授戒する師がいないため、東大寺戒壇院で行われたものです。受戒をいかに重視していたかが読み取られます。
また道元が比叡山延暦寺で受戒したのは事実ですが、中国でそれが通用しなかったのは延暦寺が「官寺ではないため」ではありません。
延暦寺戒壇はれっきとした国立戒壇でした。中国でそれが通用しなかったのは東大寺以外は大乗の菩薩戒しか授戒しないからです。
当時の中国では菩薩戒のみの受戒は認められていなかった。このため道元を連れた明全は国家公認で東大寺の戒牒を偽造して入宋しました。
道元はそこで清浄で緊張した曹洞宗に触れ深く感動し、厳しい座禅修行に励み、師の如浄に認められるにいたりました。しかし帰国してみれば、
山椒島さんが116で仰るように、日本の仏教界の堕落ぶり、荒廃ぶりはさらにひどいものでした。そこで道元は疎んぜられたのです。
宗派が乱れ、無戒・破戒が蔓延し、受戒や潅頂が形式化したのは仏教界の堕落の結果であって原因ではありません。
省3
135
(2): 2014/10/22(水)22:01 ID:iM4eaFR/(2/2) AAS
そういえば、日寛の六巻抄を読み返したが、改めて見ると天台本覚に想を得て、その行き着いたところは
念佛ではなく唱題であれど、西山浄土宗とほぼ同じなのだな。まさに700年経て漸く、である。

要は九識心王真如の都すなわち佛性はあらゆる有情に備わっているのだから、
下種佛法の下すところの佛種は既にあらゆる有情に元初から下されているのであって、
廣宣流布は久遠の昔に終わっているのである。そのことを覚らないところにこそ無明があり、
その自覚を促す自行化他が、唱題行という事行であって、それはまさに未然の行ではなく、
已然の行、(浄土風に言えば報恩行)なのだ。
136
(1): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/10/23(木)00:06 ID:oXSV7oc/(1/5) AAS
>>133ー134 さん
教義・化儀・作法・相承・受戒・潅頂と、色々と話しは膨らみましたが、とどのつまりは経典上の根拠だとのことですので、
どうしても分からない点を改めて教えて下さい。その余についても参考にさせていただきます。色々とありがとうございます。

忍性の祈祷(薄い木板に法華経の偈を書き、池に投げ込む)の経典上の根拠はどこにあるとお考えでしょうか。

灰を飲む、池に投げ込む。他には、私が知る限りでは、蔵にしまいこむ、地中に埋める、海や川に流す、などがありますが、
直接的な経典上の根拠が「無い」と言えばありません。が、たとえば写経の延長線上と考えれば「ある」とも言えます。
さらに、「仏様は素晴らしい」「お経はありがたい」などといった観念、まぁ菩提心でも何でも良いですが、そういったものから
派生したと考えるなら、仏舎利信仰や胎内仏信仰などといった慣習と同列に観ることも出来るのかもしれません。

私の素人感覚では、焼くのも投げるのも埋めるのも流すのも、「経典を粗末に扱っている」感が満載、違和感バリバリです。
「阿弥陀像の中に法華経を納めるなんて意味不明」だなんて思ったりもします。ですが、当時は「そういうもの」だったそうで。
省1
137
(1): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/10/23(木)00:14 ID:oXSV7oc/(2/5) AAS
>>135 さん
六巻抄を、しかも読み返すときましたか。
正宗信徒でないのでしたら、なかなかに奇特な方ですね(笑

私なんかは、「当に知るべし」とか「故に知んぬ」などのフレーズが
半ばトラウマになっていて、今さら読めと言われても読みたくないです(笑

浄土宗については(も)全く疎いので分かりませんが、その日寛の理論は
「末法の始めの5百年」が過ぎた後ならでは、という印象を受けます。
138
(5): 2014/10/23(木)00:24 ID:yWz2Pz0x(1/9) AAS
AA省
139
(5): 2014/10/23(木)00:26 ID:yWz2Pz0x(2/9) AAS
>>138 続き

私の解釈 日蓮以降の本質的で致命的な誤謬−2

○ 従ってこの日蓮が大昔に開発したこの唱え行とは単純に真言の阿字観瞑想法。
  少なくともその亜流にほかならない。

○ それが、法華経というお経のタイトルにしたので、たまたま経文と関係づけれて
  迷信と同様に啓蒙主義以前、中世以前の意識によって関係付けられ、中世的理解
  の中で「騙されて」仏教として広まっただけに過ぎない。

○ これを本質的な「仏教」に昇華するには、この体で反響するものを日蓮的に
  受け取っている限りは不可能である。
140
(4): 2014/10/23(木)00:49 ID:yWz2Pz0x(3/9) AAS
>>139 続き
私の解釈 日蓮以降の本質的で致命的な誤謬−3

創価学会という現代の集団が、結局はこの>>138の感覚で受け取り、伝統宗教の必要
を感じなくなったのは、近代の科学論理の啓蒙主義以後の流れとして必然であり、
単純に「無意識に暗示を掛けて成功する種類の自己啓発教」に過ぎないと観念した
のは、この真言的行法の本質からすればむしろ当然である。

(例証)速度が速い創価学会
動画リンク[YouTube]

従って、日蓮教は現代では本質的に科学的に相対化されていくことになる。
創価学会という存在はその一例に過ぎない。
省11
141
(2): 2014/10/23(木)01:18 ID:yWz2Pz0x(4/9) AAS
>>140 続き
さて、そこでこれが創価学会や日蓮正宗の皆さんの最大の関心事となるだろう。。

>>139
○ これを本質的な「仏教」に昇華するには、この体で反響するものを日蓮的に
  受け取っている限りは不可能である。

そうだ、これに気が付けば、皆さんも本質的に成仏が可能となる。

創価学会や日蓮正宗の皆さんは、今皆さんが仏教だと思って専心しておられる
処のものが、実はそれとは似て非なるものであることを知らなければならない。

ではご意見あれば書いておいてください。ではまた。
142
(3): 2014/10/23(木)01:30 ID:cfz8Vrg4(1/2) AAS
>>137
>私なんかは、「当に知るべし」とか「故に知んぬ」などのフレーズが
>半ばトラウマになっていて、今さら読めと言われても読みたくないです(笑

定型文だと思えばそんなもんですが、肝腎の依義判文抄あたりに多いので
そういう印象があるのかもしれません。

> 浄土宗については(も)全く疎いので分かりませんが、その日寛の理論は
>「末法の始めの5百年」が過ぎた後ならでは、という印象を受けます。

「久遠元初の仏法僧は則ち末法に出現して吾等を利益し給う。
若し此の三宝の御力に非ずんば極悪不善の我等争でか即身成仏することを得ん。
故に応に久遠元初の三宝を信じ奉るべし」 『当流行事鈔』
省4
143: 2014/10/23(木)01:47 ID:juGjBeJv(1) AAS
大石寺日寛と富永仲基は、ほぼ同じ時代だったんだね。八代将軍吉宗の時代だ。
144: 2014/10/23(木)02:05 ID:cfz8Vrg4(2/2) AAS
先入観を捨てて読めば、様々な元ネタが透けてみえる。
145
(1): 2014/10/23(木)08:37 ID:YkZJE0vC(1/2) AAS
>>136
山椒島さん、私が日蓮の「経文を燃やした灰を飲め」という指示が、おまじないの類というのは、経典上の根拠がないからだと繰り返し言いました。
とどのつまりではなく、初めからそう言っています。レス番でいえば101や104は示唆しただけですが、108や112は明確にしたつもりです。
ただそのたびに133で例示したように、山椒島さんが話を敷衍してこられたのです。それで私はやはり経典上の根拠はないのだと思いました。

忍性の祈雨祈祷についてですが、昨日も多少気になったのですが、山椒島さんが129で言う、「伯耆書では焼いて灰を飲ませ、
忍性の祈祷は木片に書いて池に投げ込む。どちらも同じ法華経です。面白いですよね。」の何が面白いのか私にはわかりませんでした。
で、昨日は触れませんでしたが、再度136で、「忍性の祈祷(薄い木板に法華経の偈を書き、池に投げ込む)」と繰り返されました。
山椒島さんが既定事実とされているかのような、この記述の出所は、ひょっとして日蓮宗の坊さんの高橋某師のブログでしょうか?
もしそれ以外なら、ソースをご教示願えればと思います。
146
(3): 2014/10/23(木)08:39 ID:YkZJE0vC(2/2) AAS
145の続き
そこでご質問の「忍性の祈祷(薄い木板に法華経の偈を書き、池に投げ込む)の経典上の根拠はどこにあるとお考えでしょうか。 」ですが、
私の知る限り、忍性の具体的な内容は未詳と思っています。そこでこれが事実かどうかはとりあえず不問にして簡単に私見を述べます。

真言の祈雨といえば空海が天長元年(824年)、京都の神泉苑で行った請雨経法が有名ですが、鎌倉時代に叡尊の書写と言われる、
「神泉苑請雨経法道場図」(重要文化財)というのがあります。これは延応2年(1240)にやはり京都の神泉苑で行われた祈祷の図です。
空海の時と同じく、請雨経という経典に基づいて密教の作法で執り行われたものと考えられ、また忍性は叡尊の直弟子ですから、忍性もまた
この請雨経法を行ったと思われます。雨や水を支配するのは蛇つまり竜王ですし、請雨経法曼荼羅では内院に描かれますから、八大竜王も
当然入っていると思われますが、この図では孔雀明王が本尊とされています。孔雀は毒蛇を食べるとされているので、蛇すなわち竜を調伏させ、
「雨を降らせよ」と言うことを聞かせるわけです。ちゃんと教理として筋道が立っています。また密教の祈雨法に水天法というのがありますが、
この場合でもまず八大竜王を勧請することが色々な経典にあるとのことです。まず竜王を呼び出して、それから祈祷するというのは道理です。
省3
147
(1): [age] 2014/10/23(木)12:36 ID:b7FhVH2d(1/2) AAS
>>146
>おっしゃるような「池に竜王を呼びだすための木片を投げこむ」というの
はうなづけます。ただそれが法華経であったかどうかやや疑問です。

最近、極楽寺にある池の調査が行われ、かわらけに、法華経の経文が書かれ
た物が発見された。忍性の時代の、かわらけだった。したがって、極楽寺良
観(忍性)は祈雨のとき、法華経を唱えながら、法華経の経文を書いた、か
わらけを池に投げていたと推察される。当時、どの宗派にとっても法華経は
大切な経であり、極楽寺良観が、法華経を唱えていても不思議ではない。

法華経以外は、祈祷であまり効果がない、と言ったのが日蓮だったが、極楽
寺良観が法華経を唱えて祈祷し、雨が降らなかったとすると、面倒なことに
省1
148: 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/10/23(木)12:54 ID:oXSV7oc/(3/5) AAS
>>142 さん
取り去って抽出ですか、なるほど。
「釈尊の仏法は正像で終わり」と言い放ち、種脱相対を立てて日蓮本仏論に持っていくという、
六巻抄(これも依義判文抄でしたか)に関する記憶や印象から来る違和感が解けました(笑

ただ、日蓮の広宣流布観はやはり、天下万民一同に南無妙法蓮華経と唱える時、でしょうから、
日寛が遺文を引用した時点で、既にある程度のズレが生じているのかもしれませんね。
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